短編集

その日を、夢見ていた

 いつからだったか、今の様な生活をしているのは。



 不特定多数の人々と同じ空間にいることは普通ではなくなった。顔を合わせるの知人は、顔の目から上しか知らない会社の人ばかり。それだけ。あとは無機質なスクリーン越しで十分になった。


 何でもインターネットで買う時代になった。トイレットペーパーから家まで何でも買える。返品することが多くなったけれど、殆どの物は買い直すことが出来るから、寧ろ購買欲を満たしてくれる。


 家から出ることは普通ではなくなった。けれども外出できないわけじゃない。アクティビティもそれなりに楽しめる。例えば、公園は厳格な管理がなされ、1日の入場制限人数まで入園できるし、彼らは十分な距離を保って伸び伸びと運動できる。あるいは麗かな天気の日に、木陰でひんやりとした風を感じながら読書に耽るのも悪くない。



 私達は少しずつ過去を忘れていった。恐怖はどこからか沸いて、ある日突然世界に君臨して、私達は恐ろしさに心を打ちのめされた。それでも絶望はしていなかった。世界は戸惑う私達を置いてけぼりにするかの様な勢いで変化していった。私達は過去を振り返りもせずに、変わる世界を必死に追いかけた。事実、振り返ることなど許されていなかった。そうしているうちに、変化の波にさらわれているうちに、私達の今まで培ってきたイロイロは削れて風化していった。



 冬になると私達は家に篭る様になった。さながら冬眠するクマの様だ。たまに冬眠に失敗した奴が山を降りてきて害獣となり、しまいには捕獲されるところまでソックリだ。


 私達は厳しい冬をじっと耐えるかない。毎年、この時期が一番心に堪える。私の場合、春から秋にかけて作った思い出の貯金を少しずつ取り崩して心の養分にするのだが、他人も往々にしてそうしているだろう。


 それも尽きると、赴くままに夢想する。まずは春の瑞々しい匂い。柔らかくて暖かい日の光を全身に感じつつ、空気を目一杯に吸い込む。そこかしこに命の兆しを認めて、生命の力強さに心を震わせる。

 次に夏の湿っぽい匂い。力強い陽光を全身に取り込んで、四肢を力一杯に伸ばす。嵐と灼熱の太陽に負けず、人々は生き延びる為の冒険へと繰り出す。

 そして最後に秋の透明な匂い。斜陽の煌びやかな光が全身に降り注いで、私達の内に巣くう不安を暴き出す。地平線に過日の栄光を垣間見て、すぐそこまで這いよる禍時に心を曇らす。


 それすらも尽きると、夢を見る。

 何の疑問もなく、私は人ごみの中の一人として立っていて、袖が触れ合うほど至近距離ですれ違う人々は互いに怯えることもなく己が道を行く。

 向こうから誰か来た。親くしている友人だった。そうだ、一緒に最近できたショッピングモールへ行く約束をしていた。歩いて10分くらい、駅と直結しているから便利だ。適当にショップを冷やかした後、混雑を免れようと早めにレストランエリアに来たけど、皆考えることは同じで既に混んでいた。どうしようかと考え込んでいたら、通路の端で誰かと対話をしている、あの人を偶然見つけてしまった。しかも恋人らしき人と一緒だった。私は悲しくなって、気づいたら友人と喧嘩別れして、悲嘆と怒りで泣くしかなかった。


 目が覚める。夢と現実の曖昧な目覚めの時間は、ただ感情に任せてむせび泣いて、暗闇に目が慣れるにしたがって冷静に現実を見るようになる。ああ、夢だったんだな、と大きく一呼吸する。



 現実では、あの人との関係は変化してしまった。今となっては、彼とは混雑した回線に苛立ちながらチャットでいくらかデータをやりするくらいだ。それすらもよそよそしくて、以前の関係とは程遠い薄っぺらい間柄になってしまった気がする。

 本当は、いつもそばにいて、春にはその到来を共に祝福し合って、夏には厳しい状況を共に支え合って、秋には過去を共に振り返って、冬には未来を共に探りたかった。


 今は言葉で喜び合うだけ、励まし合うだけ、語り合うだけになってしまった。最初はそれでもいいと持っていたけど、間違っていた。



 本当は、彼じゃなくてもいいのかもしれない。一人は辛い。外に行っても、記号の様にしか見えない何かと遠くですれ違うか、私を検査対象にしか思っていない機械と出会うのみだ。誰か、人間と出会って、叶うのならずっと一緒にいたい。


 初めは昔の日々を夢見ていた。うんざりするほど人があふれた日常。当たり前に他人に会えた世界。

 でも、今はもっと根源的なことを渇望している。人との出会いをずっと求めている。そんな日が来ることを願っている。


 今日もその日を、夢見ていた。





























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