砲撃音と断末魔と小さな恋の物語

羽鳥紘

砲撃音と断末魔と小さな恋の物語

その日、長く続いた二国の戦争に終止符が打たれた。

前線にその報せが届いたのは、協定が結ばれてから三日も後のことだった。


「俺は……これからどうすれば……」


 アレイン・ヴィセンドルはガルガンダ帝国の英雄だった。数々の戦を制して武勲を立てた。その戦績を湛えられ、平民出身にも拘わらず姫を娶り、次期国王の座も約束されている。そして、戦争は終わった。死なずに終わった。生きて終わった。

 生きている。

 それが死ぬほど虚しい。

「帰らな……ければ……」

 重い足を持ち上げて、進む。そこらじゅうに味方の、敵の躯が転がる荒野を歩く。きっと彼らは生きたかったに違いない。

 なのに自分が生き残ってしまったことを、アレインは悔やんでいた。恥じていた。

 ふとうめき声が聞こえて、足を止める。

 そちらへ目を向けると、瓦礫にもたれている兵士の姿が見えた。死体だらけの中にあるそれもまた、骸に見えた。だが確かに声が聞こえたのだ。

 鎧を纏った姿は表情も見えなければ怪我をしているか否かも一見してわからない。だが腹部がかすかに動いている気がする。両手で兜を脱がして、アレインは驚いた。

 黄金が溢れてきたのかと思った。

 目をつぶすような眩い金色の、長い髪。

「……女?」

 うっすらと菫色の瞳が開く。だが焦点が合っていない。

「誰……だ……敵、か?」

 目が見えていない、とアレインはすぐに悟った。こちらは顔を晒している。敵味方問わず、ガルガンダの英雄を知らぬ者などいない。そもそも鎧には帝国の紋章が刻まれている。敵か味方かわからぬ筈がなかった。

 男が答えずにいると、彼女はそれを敵だからだと判別したようだった。左手が剣を探して動く。

「憎きガルガンダの兵に、この命はやれぬ……私はまだ戦えるぞ……」

 形の良い唇が紡いだ言葉に、男は眉を顰めた。


(終戦を知らない?)


 それを告げるか否か、男は迷った。

 なぜなら、己は知りたくなかったと思うからだ。戦を終わらせるために戦うのだと思っていた。だがいざ終われば虚しさがじわじわと胸を食う。

 知りたくなかった。

 戦っていたかった。

 戦場で長く生きすぎた。もはや人を殺す以外に生きる術を知らない。

 平和になった国でどう生きればいいのかなど見当もつかないのだ。

「……安心しろ、俺は味方だ。ここは危ない。安全な場所で怪我の手当をしよう」

 抱え上げた女の体は、鎧を身に着けているというのに、軽い。まるで空の鎧を持ち上げているかのように。





「此度の戦、見事であったぞアレイン!」

 広間中に、王の愉快そうな哄笑が響き渡る。

「その栄誉を称え、我が娘エルシーリアとの婚姻を認めよう」

 跪いていたアレインが、その顔を上げる。王の隣に控えていた娘が薄く頬を染める。

「……ありがたき、幸せ!」

 王の笑い声も、辺りで沸く歓声も、アレインには砲撃や悲鳴にしか聞こえない。





 衣擦れの音に、アレインは顔を上げた。

「気が付いたか?」

「ここは……」

「前線から少し離れた廃村だ。気分はどうだ?」

 彼女は起きあがると、辺りを見回した。それから自身の両手を広げて、そちらに視線を落とす。

「目を……やられたようだ」

 やはりそうかと、男は呟いた。

「これからどうする」

「無論、前線に戻る。私は……戦わねば」

 ふらつく体で、それでも彼女は起きあがった。剣を探すように宙に這う手を、アレインはそっと掴んだ。

「その体では無理だ。無駄死にするだけだ」

「何か言ったか? 砲撃と、悲鳴が……うるさくて……」

 彼女が耳に手を当てて、顔をしかめる。

 戦は終わっている。砲撃の音などしない。だがアレインにも聞こえている。砲撃の音も断末魔の悲鳴も決して鳴り止まない。

「せめてもう少し体を癒せ」

 掴んだ手に力を込める。それを振り外せるだけの力を持つわけもないのに、彼女は抗う。

「行かなくては……戦場へ……行かなくては」

「……聞け。この廃村の近くに、英雄アレインの陣がある」

 ピタリと。もがいていた彼女が動きを止める。すうっと彼女のまとう空気が変わる。それをなんと呼ぶか男はよく知っている。殺意。悪意。殺気。

「機を待って攻め込もう。俺とお前で奴の首を取るんだ。……だから今は休め」

 あれほどまでに抗っていた女が、別人のようにおとなしく従う。そして笑った。花が開くように美しくわらった。

「感謝する。アレイン・ヴィセンドルの首をこの手で落とすためなら、私はなんでもする」

 可憐な微笑みにはそぐわない言葉を、女は歌うように告げる。鈴が転がるような儚く綺麗な声で。


(もっと……聴きたい……)


 それは、戦場で敵を屠り続けた英雄が抱いた、初めての願望だった。

 戦は終わった。そう言えば彼女はきっと命を絶つだろう。

 同じ目をしていたから。戦うこと意外知らぬ目をしていた。真実を教えればきっと彼女も自分と同じ気持ちになる。戦場を求める。ならば知らぬ方がいい。そう思ったのは本当だ。

 だが今は違う。


(真実を告げねば、このままここで、二人だけで静かに暮らせる)


 英雄の心に誰かが囁きかける。





「聞いてくださいまし、アレイン様。わたくし、お子を授かりましたの」

 砲撃の音で聞こえない。

「アレイン様……こちらを向いてくださいまし」

 断末魔の悲鳴が絶えない。

「見てこのお花……いい香りがしますわ」

 血のにおい。





 女の怪我は快方には向かわなかった。

 日に日にやつれていく。

「怪我を治して戦わないと。私は、奴を……アレインを倒して帰るの……あの人が待っているから……」

 このところうわごとのように、彼女はそう呟く。

 あの人。その存在について男は尋ねなかった。どうでもいいことだった。


(ここから逃しはしない)


 戦場に帰れば、戦が終わったことがわかってしまう。それは彼女にとっても不幸なことなのだ。

 何も告げる必要はない。

 彼女を連れて町まで行けば、ここよりは食料も薬もある。だが必要ないのだ。万に一つも、彼女の目は見えてはいけない。

 一人でなど歩けなくていい。動けなくていい。

 体が震える。



「ああ……幸せだ……」



 砲撃の音が鳴り止まない。断末魔の悲鳴が絶えない。


 それを二人きりで聞く、この空間が、堪らなく堪らなく、堪らなく愛おしい。

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