第19話:葛藤という情動、最後の時に見る夢は遥か

 端末のデスクトップに張り付けられたいくつかのフォルダを開いていく。まるで過去の記憶を紐解いていくように、時間が静止した情報の網目をかいくぐっていくと、タイトルの設定がないフォルダが見つかった。


「開いてみてくれ……」


 如月きさらぎはそう言って、端末を操作するトワの後ろからモニターを覗き込む。


「そのファイルに間違いない。このメモリーにダウンロードできるか?」


 トワはスティック状のメモリーを如月から受け取ると、端末横のポートに差し込んだ。


「バックアップ……ですか?」


 モニターの画面から目をそらしたツグムは、そういって如月の横画を見つめた。その真剣なまなざしに、武骨で語気は荒いが、とても几帳面で細やかな一面を垣間見ていた。


「それもあるが……。この端末はセキュリティー上の理由から外部のネットワークに接続されていない。外部に情報を公開するためには別の端末を使うしかないんだ」


 モニターにはシークエンスの進捗状況が水色のバーで表示されている。次々とコピーされていくファイルの拡張子からは、画像や動画ファイルなども含まれていることが分かる。その数は膨大であり、データサイズが大きいためか作業完了までの残り時間はあと十五分を示していた。


「少し時間がかかるようだな……」


 そうつぶやいた如月が小さくため息をついた瞬間だった。後方から扉が開く鈍い音が響きわたり、その奥から姿を現したのは、獣のようなシルエットだった。それは、小動物のようにしなやかの動きをする四足歩行型エンフォーサー、猫型一般意志執行システムラミア


「ラミア……」


 後方を振り返ったツグムの横で、如月は拳銃の安全装置を解除した。


「くそっ。進捗は?」


「あと90%」


 トワは動じることなく、ただ静かにモニターを見据えている。


 ――91%、92%、93%


「了解。コピーが終わったら、メモリーを引き抜いて、この部屋の奥にある階段を降りろ。すぐ正面にミソラの制御コンソールルームつながる直通エレベーターがある。それに乗るんだ。いいな?」


 二体のラミアは音も立てずに軽やかにジャンプすると、整然と並んだ机の上に降り立ち、周囲を見回していた。前足の爪は鋭く、カチカチと机の表面を叩いている。

 やがて周囲を警戒し終えたのか、頭部に光る視認センサーの赤い光が如月を注視すると、獲物を見つけた猛獣のように飛び掛かってきた。


――97%、98%、99%


「コピー完了。ツグム、行こう」


 トワとツグムは床にかがむようにして、机の下を潜り抜け、そのまま部屋の奥に向けて駆け出す。その後方では如月が発砲した銃声が断続的に鳴り響いていた。


 如月の拳銃から飛び出した弾丸は、ラミアの視認センサーを撃ち抜き、そのまま頭部を破壊した。しかし、彼はもう一体の動きに間に合わなかった。床に転がるようにしてラミアの強襲を避けたものの、前足の鋭いカギ爪が、大腿の奥深くに食い込んでいた。


「こっちを見てるんじゃねえ」


 如月はラミアの頭部に銃口を押し当て、至近距離から引き金を引く。飛び散る細かな金属塊が頬に突き刺さり、片目の視力が消えた。激痛に立ち上がることもできず、如月は机の下を這いつくばり扉の奥に視線を向ける。


 靴音を響かせて室内に入ってきたのは、右手に包帯を巻いた大柳ハルタと、伊坂サオリの姿だった。二人の後方にはエンフォーサーと思しきシルエットが見える。青く光る視認センサーの数からすると、少なくとも十数機のエンフォーサーが控えているようだ。


「ラミアを生身の人間が破壊するなんて……。本当にすごいですよ、如月准尉。あなたは軍人としても優秀だった。ミソラが惚れ込んだ理由はよく分かるんです。惜しい人材だったが……でも、もうおしまいだよ。ね、サオリ」


 腕を組み、ハルタの隣にたたずむサオリは、かすかに頷きながら耳から延びる小さなインカムに手を添えた。


「執行モード、リーサル。対象を完全排除」


 二人の後方で、エンフォーサーの視認センサーが青色から赤色に代わると、如月に向かって音もなく滑走を始めた。彼らは並べられている机を触手で持ち上げ部屋の隅に放り投げながら、まっすぐに向かってくる。

 積もり積もった床の埃が舞い上がり、如月は大きく咳き込んだ。すでに動かなくなった右足を引きずりながらも体制を整えると、迫るエンフォーサーに片目で照準をつけていく。弾丸は限られていた。だから彼らの急所である頭部を的確に撃ち抜かねばばならない。


「きりがねえ……」


 部屋の隅に後退しながら壁にもたれた如月は、最後の弾丸を目の前のエンフォーサーに至近距離から浴びせた。床に転がったエンフォーサーの椀部を引きちぎると、金属で作らている腕のコアを抜き取り、それを両手に構える。


「まるで軍神のよう……。考えを改めるつもりはないですか? 如月さん」


「ないね」


 そう吐き捨てるように言った如月は、目の前に迫るエンフォーサーを両手で握りしめた金属棒で殴りつけた。頭部のコアがへこんだエンフォーサーは姿勢制御を失い、床に這いつくばって意味不明な行動を繰り返している。彼はエンフォーサーの背中に金属棒を突き立て、とどめを刺した。


「如月さん、あなたは知らないと思うけれども、ユーフォリアシステムが存在しているのはこの国だけじゃない。すでに複数の国で稼働しているんです」


「なんだと!?」


「あなたも元軍人なら知っているでしょう。この世界の片隅では、誰に知られるでもなく激しい戦闘が繰り返されている。民族紛争をはじめとする内戦の悲惨さは、この国にいる限り、とうてい理解できるものではないでしょう。争いが絶えない世界、そうした悲惨な状況で絶望を感じているのはいったい誰ですか? 前線の兵士ですか? 権力抗争に明け暮れる政治家たちですか? 混乱に乗じて不当な金品を巻き上げる警察組織ですか? 僕はそうは思わない。貧困にあえぎ、苦しい生活を強いられているのは、名もなき一般市民ですよ」


 動きの止まったエンフォーサーの背中から金属棒を抜き取ると、如月は荒い呼吸を整えつつも、迫ってくるもう一体のエンフォーサーの動きに集中する。


「幻想でも良いから幸せを垣間見たい、そんな平凡な市民たちの願いをかなえる希望。それがユーフォリアシステムなんです。ユーフォリアシティズムは、あなたたち日本人には理解できない思想なんですよ、そもそもが……」


「お前はいったい?」


「科学院が開発したウイルスが、世界中の紛争の多くを停戦に追い込んだことは少なからず事実です。何もかも失われた世界で、平和と幸福と生存を約束してくれるユーフォリア。その素晴らしさをあなたと共有できなかったことは非常に残念ですよ」


 視界がかすみ、腕から力が抜けていく。如月の目の前まで迫ったエンフォーサーは、その触手を彼の腹部に突き立てた。


「うう……」


 残された最後の腕力でエンフォーサーの胴体部に金属棒を突き刺し、壁に体重を預けながら脚部を蹴飛ばす。全身から力が抜けた如月はそのまま床に崩れ落ちていった。足元には腹部から噴き出した血液が大きなシミを作っていく。


 コツコツと床を鳴らす靴音も耳には入ってこない。ただ痛覚や聴覚が消えても触覚だけは残っているのだろう。額に冷たさを覚え、如月は閉じかかった瞼を開ける。目の前にはハルタの無表情な視線があった。


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