第18話:返事の来る当てのない言葉たち、動き出す時間

「拳銃をさ、そんなふうに構えちゃいけないよ」


 そう言って如月浩太きさらぎこうたはニヤリと笑った。


「如月准尉……あなたは自分が何をしているのか分かっているのですか? 院士に対する反逆は死に値します」


 そう言い終わらないうちにサオリは俊敏な動きで拳銃を構え、その銃口を如月に向ける。


「これで、三対二。如月さん、投降してくれるのなら……、この件はなかったことにしますよ」


 ハルタの表情には珍しく焦りの色が浮かんでいた。相手が手練れだということは十分に理解できていたからだ。


「そう簡単に引き下がれない理由があるのでね……」


 如月は銃口の照準器に神経を集中させながら、銃把を握る両手を微かに調整していく。


「あなたの経歴は拝見しましたよ。まさにエリート中のエリートと呼べる素晴らしい経歴です。そんなあなたがなぜ厚生労働省へ転属したのか気になっていたんです。どうも匂うなと思っていたのですが、やはりあなたを信用しすぎていました」


「それはどうも……」


 その瞬間、如月の両手に握られていた二挺の拳銃が火を噴いた。二発の弾丸のうち、一発はサオリの拳銃を弾き飛ばし、もう一発はハルタの右手を撃ち抜く。その衝撃でトワに向けられていた拳銃は床に落下した。激痛に顔をゆがめたハルタは、左手に握る拳銃の引き金を引いたものの、乱れた銃口から飛び出した弾丸は、むなしく壁に数個の穴を開けただけだった。その隙に、トワは床に落ちた銃を如月の足元に向かって蹴飛ばすと、床を転がるように彼の後方へ隠れた。


「あんちゃん、お嬢ちゃんを連れて、ここから出ろ。廊下をまっすぐ走るんだ、いいな。俺も後から追う」


 ツグムはうなずくと、トワの手を引いて部屋の出口へ向かって駆け出す。


「待てっ」


 如月の銃声に、ハルタの声はむなしくかき消されていく。如月は銃を乱射しながら少しずつ後退し、出口から廊下へ抜けると、先を走るツグムとトワを追った。


 無数の埃が舞い、硝煙が立ち込める乾いた空気の中で、ハルタは右手から滴り落ちる真っ赤な血を見つめていた。割れた窓ガラスから強い風が吹き込み、床に散らばる薬莢をカラカラと転がしていく。


「サオリ……すべて抹消するんだ。そう、すべてを消そう」


■□■


「なぜ助けるんです?」


 ツグムは追いついてきた如月にそう問いかける。長い間、眠らされていたせいか、体を激しく動かすと、全身が酸欠状態になったかのように苦しい。


「あのエレベーターで地下へ向かう」


 如月はツグムの問いには答えず、正面に見えてきたエレベーターホールを指さす。


「さて、どこから話したものか……」


 そうつぶやいた如月はエレベーターの起動スイッチを押しこみ、灰色の扉を開けた。中に乗り込んだ彼は、スーツの胸のポケットから、トワの母親の認証パス取り出し、扉横の端末に差し込む。最下層を示す地下三階のボタンが点灯すると扉がゆっくり閉まっていく。


「これはお嬢ちゃんが持っていな」


 如月は母親の認証パスをトワに握らせると、ゆっくり話を続けた。


「なぜ、ユーフォリアシステムが誕生したのか、おおよそのことは分かってるな?」


「ええ……。未知のウイルス感染症が急速に拡大していく中で、この国の社会や経済は立ち行かなくなった。人々はそんな現実から逃れるようにして、政治的な意思決定を人工知能に任せた。その慣れの果てがこの世界……」


「そうだ。で、そのウイルスはもう存在しない。このプロジェクトが始動して一年ほどで消えた。なぜだか分かるか?」


「治療薬やワクチンが開発された? でもそんな話……知らない」


「そう、知らないということさ。この国では誰もね。ただ事実として、ワクチンは田邊重工の科学院がすでに開発している。いや、この感染症が拡大する前からワクチンは準備されていんだ」


「まさか……」


 エレベーターの下降していく音が断続的に響き渡る狭い空間。まるで時間が止まったかのような空気に包まれ、ツグムは言葉を失った。


「人工のウイルスなんだよ。お嬢ちゃんの父さんはその可能性を疑った唯一の人間さ。科学院の医薬衛生工学部にまで立ち入ることができたのは、同じく科学院の情報電子工学部に所属していた陽子さんがいたからだ」


「母が……」


「そうだ。君の両親は科学院のネットワークをハッキングして、ウイルスの全ゲノム情報の入手に成功した。解析の結果、そのいずれもが自然界に存在しないゲノム配列であることが分かったんだ」


「でも、なぜ父は人工のウイルスだと最初から疑いを持てたのかしら……」


「まだ世界中でウイルス感染症が拡大している状況で、ワクチンの承認申請書類が、開発国の日本ではなく、米国の食品医薬管理局に直接送られていたことが独自の調査で分かってね」


 エレベーターの下降速度が徐々に緩やかになっていく。最下層が近いのだろう。足元がふわっとする感覚に若干のめまいを覚えたツグムは。気圧の変化で聞こえがおかしくなった耳を軽く抑える。


「でも時は既に遅しさ。ユーフォリアシステムは田邊重工が誇る科学技術の総力と、東亜メトロの強力な物資輸送能力によって瞬時に完成してしまった。ほどなくして全国民がシステムの同化対象となったんだ。君たちが眠っていたあのカプセルの中でね」


「同化?」


「そう、ミソラはユーフォリアシステムを通じて、人間に死ぬまで幸福感を与え続ける。しかし、それと引き換えに脳の処理能力を奪うんだ」


「つまりあのカプセルの中にいる人たちの脳は、ミソラに利用されているということ?」


「概ねそういうことだ。だからシステムに同化する人間が増えれば増えるほど、社会全体の幸福量が増加するとともに、ミソラの処理能力も飛躍的に向上するということになる。この国に住んでいる総人口の脳機能をすべて利用できるということは、巨大なスーパーコンピューターを何千台も並列につないだ処理能力をはるかに上回るんだ」


「人を利用して人工知能の性能を高めているということなの……」


「ああ。ユーフォリアとは、人間の生命活動を保証し、なおかつ幸福を与え続ける代わりに、その脳機能をミソラに差し出すシステムのことさ」


「そんなことが許されるなんて……」


「もちろん、倫理的な批判もあったし、国内でも同化を拒む人たちはいたさ。でもその人たちがどうなったのかは、君らも見てきただろう。自分の言葉、感情、記憶を奪われ、ただシステムに利用されるためだけに外の世界を生きている」


「たとえこの国の社会がミソラに支配されてしまったのだとしても、そんなこと国際世論が見過ごすはずない……」


「ウイルス禍はね、この国の社会だけでなくグローバル社会の関係性までをも破壊してしまったのさ。すべては最初から仕組まれていたことなんだよ。この国はワクチン供給国、ただそれだけで十分なのさ。おそらく日本にもっとも近い隣国、大韓民国だって、今のこの国の現状を把握していないだろう。それだけ情報統制が厳密に行われているんだ。だからこそ、陽子さんはこの状況を世界に知らしめるべく、お嬢ちゃんに同化抑制剤を投与したのさ」


 最下層に到着したエレベーターはガクンと振動しながら停止した。扉が開くと、正面の壁には田辺重工科学院のエンブレム、その下には情報電子工学部と書かれていた。


「同化抑制剤……。それで、わたしの記憶は断片的に残っていたのね。母さんの記憶も」


 如月は正面の壁に向かって足早に歩くと、二人を振り向き手招きをした。


「ここに認証パスを入れてくれ。それと、二人の指紋認証が必要なんだ」


 トワが壁に取り付けられた小さな端末に認証パスを差し込むと、その下部に設置されたモニターが青白く転倒した。


「この先に何があるの? あなたを信用する根拠は今のところ不十分……」


 トワは差し出した親指を止めて如月を見つめる。


「これを見てくれれば信用してもらえるかな?」


 そういって彼が取り出したのは一枚の写真だった。写っていたのは如月とトワの父親、佐伯洋介だ。


「これは……父を知っているの?」


「洋介は俺の同僚だよ。自衛隊や警察組織が消滅してしまった社会でも対外的な自衛組織は必要だった。洋介はそのどさくさに紛れて、俺をここに送り込んだんだ。幸いにも自衛隊での経歴や医学部卒という学歴をミソラは気に入ってくれたようでね。ご丁寧にも准尉なんて階級までもらったよ」


 ツグムはトワを見つめるとゆっくりうなずいた。二人は青白く光るモニターに親指を押し付ける。ほどなくして、灰色の壁は真横にスライドスライドし、同時に天井の照明が点灯した。


 目の前に現れたのは情報電子工学部のオフィスだった。広い室内には整然と机が並んでおり、そのそれぞれに研究員が使っていたであろうノート型の端末が置かれている。


「ここが陽子さんのデスクだ」


 如月が立ち止った先の机にも灰色の端末が置かれていた。


「かあさんの端末……」


 トワは椅子に腰かけると端末に向き合い、そのモニターを立ち上げた。起動スイッチを軽く押すと、幸いにも電源は生きているようで、ほどなくしてパスワード入力画面が表示される。


「パスワード……」


 そう呟いたトワは、ためしに自分の誕生日を入力してみる。すると、すぐにオペレーションシステムにログインすることができた。彼女はデスクトップに表示されているメールアプリケーションを立ち上げると、その受信ボックスに目を凝らした。

 

 千件を超える未読メールが一斉に受信を始めていく。サーバから受信ボックスに次々と送られてくるメールの件名とアドレスは、全てトワの携帯端末から送られていたものだった。


「母さん……」


 それは彼女自身が送り続けていた返事の来る当てのない言葉たち。


 10件、20件、40件、80件……。まるで過去から未来へと、一瞬で時が流れていくかのように、その時々の言葉に込められた情景がつもり重なっていく。


「母さん、会いたかった……」


 160件、320件、640件……

 

 端末モニターの青白い光を浴びながら、机にうつぶせるようにして、トワは肩を震わせながら泣いた。


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