ユーフォリア

星崎ゆうき

プロローグ

「世界の果てを見たことがある?」


 そう言った少女は、首を少しだけ斜めにかしげながら、ショートボブの髪を風に揺らしていた。薄いピンク色と、淡い空色が入り交じる空気は、ほんの少し生暖かい。春の温かさは少なからず不安を孕んでいる。それでも、アスファルトの灰色がキラキラ輝いていて眩しい。


「見たこと……ないよ」


 世界に果てがあると信じられていたのは、いつの時代だろうか。


「そう。世界の外側に、今ここではないどこかに……。君はそんな景色に興味がある?」


「君は見たことがあるのかい? その……世界の果てってやつを」


 最果ての地というようなロマンも、ある種の幻想なのだろう。そんなことは少女も分かっているはずだ。どこか冷めた瞳がそのことを物語っている。世界の果てにはロマンなんてない。あるのは現実だけだって。


 色あせたガードレールに腰かけた少女は、背景に溶け込んでしまうほどの淡い空に視線を向けると、小さくため息をついた。


「君が望むのなら、いつだって連れ出してあげる」


 遠くの景色がかすむ。意識が急にクリアになる瞬間。今ここはどこなのだろうという素朴な疑問符が脳内を駆け巡っていく。前にも来ていたということ、きっと同じ空を見ていたということ、そのことだけは確かだと分かるのに。それはまるで、波の音が聞こえるわけじゃないのに、微かに潮の香りが漂ってくるような感覚。


 高圧電線の鉄塔が景色を横切っていく。そんな光景の意味を考え、この情緒を感じることは、人類の敗北でもあり、また希望でもある。一匹の白猫が、ガードレールを器用に飛び越え、そして視界から消えた。


今ここにはない、だけれどもいつだって足元にある世界。

それは確実性とは対極にある不確実な世界。

不確実な中だからこそ、そこには希望があるのかもしれない。


「僕はただ……」


――どこに向かいたいのだろう。何を知りたいのだろう。


「完全な世界がないように、不完全な世界もまた存在しないの」


「不完全な世界?」


世界が白くキラキラした輝きを増していく。


「漆黒の背景に、淡い桜たちが、ひらりひらり。それはとても、泣きそうな程、美しい光景」


少女の声が遠くなり、視界は真っ白に染まっていく。

やがて何も見えなくなった。


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