生きる意味と死ぬ意味と②




「おはよ!」

「あぁ、おはよう」


すれ違いざまに挨拶をしながらも、意識は先程のことですっ飛んでいた。 長い黒髪に、どこか虚ろな瞳。 しなやかでありながらも、どこかか弱さを感じさせる身体。 一目惚れをしたとかではない。 

ただ、無性に気になるというだけだった。 教室で準備をしていると、クラスメイトが集まって話しかけにくる。 それもいつものことだ。


「昨日の月9見た?」

「もちろん見たよ。 勉強も一段落ついたところだったからね」


裏も表もなく、気持ちよく答える。 相手は学校で一緒にいることの多い友達だったのだが、そうでなくても竜真はそうしていた。


「かぁーッ! 勉強をやっているって流石だよな。 受験までまだ半年以上も先だと思うと、なかなか身が入んなくて」

「別に受験勉強というわけではないさ。 それで、ドラマがどうかって話じゃなかったのか?」

「あ、そうそう! 小枝ちゃんの告白するシーンに、何かを感じなかった? って、さっき話していてさ」


昨夜見たドラマの、雨が降る川辺でヒロインの女優が告白をするシーン。 傘も差さず全身びしょ濡れのままの迫真の演技は、画面越しにも熱が伝わってきそうな勢いだった。 

 

「何か、って・・・?」

「口では言いようのない何かだよ!  あの告白には、絶対に何か裏があるって!」

「コイツ、さっきからそればっかり言っていてさ。 竜真にも聞いてみようって言って、聞かねぇんだ」


―――何かを感じる、か・・・。


竜真は友達の話よりも、やはり先程のことの方が気になっていた。


『・・・屋上へ行けば、何かを感じるのかと思った。 でも、何も感じなかった』


―――彼女は、そう言っていた。


屋上。 それも、柵を越えたその先だ。 一歩間違えれば落ちてしまい、そしてそれは、大事故では済まない惨事になる。


―――やっぱり、自殺志願者だったのかな。


だとすると『何も感じない』という言葉の説明がつかない。 “もし自分がそこに立てば”と置き換え、考えてみることにした。


―――・・・恐怖、か?


遊園地に設置されているジェットコースターのように、恐怖を感じることを娯楽としているものは多くある。 風の気持ちよさ、それも同様に感じることができるだろう。


―――だけどそれでも、何かが引っかかる・・・。


「・・・竜真? おーい、竜真!」


思案していたところで名前を呼ばれ、ハッと我に返った。


「ッ、あ、どうした?」

「どうしたって、それはこっちの台詞だよ。 どうしたんだ? 急にボーっとして」

「あぁ、いや・・・」

「ん?」


自分より更に顔が広い友達なら、何か知っているのかもしれない。 そう考え、聞いてみることにした。


「・・・さっき屋上で、変わった女子に会ったんだ。 黒髪でストレートロング。 それ以外には目立った特徴はないんだけど、同じ学年だと思う。 知っていたりするか?」

「おいおい、ウチの学年に黒髪ストレートがどんだけいると思っているんだ。 流石にそれだけでは分から・・・。 ちょ、ちょっと待てよ。 変わっているって、言ったな?」


変わった女子。 確かに自分で口にした言葉ではあるが、どこがどう変わっているのかと聞かれると難しい。 


「同じ学年なのに、見覚えがなかったっていうだけだけどな」

「もしかしてアイツか? “ブラックレイン”の異名を持つ、伝説の女子」

「は・・・? ブラックレイン?」


まるでアニメのような単語が飛び出したことに、竜真は驚いた。 中二病。 そのような単語が、頭を過る。


「そう。 黒髪のロングヘアが、黒い雨のようだからってさ。 “保健室の主”とも、言われているらしいぞ」

「保健室の主?」

「あぁ、教室に一度も顔を出したことがないらしい。 噂だけどな。 あまりに関りが薄くて、いじめられるようなこともないらしいんだけど・・・。 で、屋上で何をしていたんだ?」

「あー、俺は別に何もしてないんだ」

「ふーん?」

 

彼女の名が“小橋沙夜(コハシサヤ)”であるということも聞いた。 伝説と呼ばれるのは、彼女の姿を見た生徒がほとんどいないからだそうだ。


―キーンコーンカーンコーン。


始業のベルが鳴ると、皆一様に解散し席へと着いていく。 同じ学校であるため当然なのかもしれないが、友人のおかげで気になった彼女の情報を得ることができた。


―――・・・小橋沙夜、ね。

―――一限目が終わった後、保健室へ行ってみようかな。


特に深い理由はない。 ただ、彼女の言った言葉が気になるだけだった。 そう自分に言い聞かせると、ガラリとドアから入ってきた国語の教師へ顔を向けた。



一限目が終わった休み時間。 友人たちに断りを入れ、竜真は教室を飛び出した。 向かう先は当然保健室。 自身の体調には何の問題もないため後ろめたさを感じるが、今はなりふり構っていられなかった。


「・・・失礼します」


保健室になんて、いつ来たのか分からない程に訪れない。 自身が怪我しても、多少のことであれば我慢していた。 強いていうなら怪我をした生徒を運ぶ時であるが、基本的には保健委員がそれを行う。 

更に言うなら、少しばかりここには来たくない理由もあった。


「あらぁ? イケメンくん、どこか悪いの?」

「イケ・・・ッ。 いや、俺はどこも悪くはないんですけど・・・」


それが、この保険教諭だ。 服装は至って普通なのだが、その着こなし方が教師として適しているとは言い難い。 胸元をはだけさせ、スカートを組んだ足から下着が見えそうな程に短くしている。 

ただ竜真は年相応に女性に興味があるタイプではないので、顔を赤らめたりすることはなかった。


―――女子は、いないな。


室内を見回してみたが、保険教諭以外は誰もいない。 ベッドの仕切りのカーテンも開いている。


「誰か探しているの?」

「あー、はい。 ブラッ・・・。 じゃなくて、黒髪ロングの女子を」


その言葉を聞いて、彼女はクスリと笑う。


「小橋さんのことね。 今ここにはいないけど、何か大事な用事?」

「いや、特にそういうわけでは」

「へぇ・・・。 特に用事があるわけでもないのに、男子が女子を探している。 君はそう言うのね?」


ジッと見つめられると、全てを見透かされたような気分になってくる。


「そんなんじゃないです!」

「じゃあ、どんなんなの?」

「ぅ・・・」


わざと繰り返すように言う彼女に、反論する言葉が出ない。 本当に深い意味はないのだ。 自分でも、何故気になったのかよく分かっていない。


―――・・・この人、絶対にドSだよな。


このようなやり取りを、好んでやってくる男子生徒がいるとも聞いたことがある。 だが、自分にそんな趣味はない。 

竜真がどう言おうかと困っていると、それに満足したのか彼女は微笑みを浮かべてきた。


「さっきまでいたんだけどね。 一限目が終わる数分前に、まだ出ていっちゃったのよ」


詳しく聞くと、彼女はふらりと現れふらりと消えるらしい。


「どこへ行ったのか分かります?」

「どうして小橋さんに拘るのか教えてもらっていないのに、言うわけにはいかないわね」


不敵に笑いながら、彼女は足を組み替えてみせる。 ジャストサイズの布地が、艶やかに動いた。 どうやら簡単には教えてもらえそうにない。 

これ以上食い下がる必要もなかったのだが、このままではただ暇つぶしに使われただけになってしまう。


「どうして、勝手にいなくなる彼女を止めないんですか?」

「それは生徒の自由だからよ。 本人がそれでいいなら、それでいいの」

「なら、彼女の行き先くらい俺に教えてくれても」

「しつこい男はモテないわよ」

「別にモテたいとは思っていませんから」

「ふぅーん。 まぁ、いいわ。 行き先なんて知らないわよ。 私は、彼女の保護者ではないんだから」

「そんな・・・」


無駄足だった。 今までのやり取りは全て不毛。 結局、ここへ来て分かったことは何もない。


―――だけどこの話ぶりからすると、小橋さんが保健室へよく来るというのは間違いなさそうだな。


「また来ます」

「あら、そう」


休憩時間も終わりそうなため、竜真は大人しく背中を向けた。 だが手を伸ばしたところで急にドアが開き、思わずその場で固まってしまう。


「・・・ん」


そこに立っていたのは――――今まで探していた、小橋さんだった。 彼女は一瞬竜真と目が合ったがすぐにそらし、軽く俯きながら言う。


「どいてもらえる?」

「あ、ごめん」


慌てて隣に避けると、彼女は保健室の奥にある机へと向かっていった。 更に振り返ると、保健教諭がニヤニヤとしながらこちらを見ている。 癪であるが、このまま声をかけるのは躊躇った。


―キーンコーンカーンコーン。


更に間の悪いことに、チャイムが鳴ってしまう。 それに続くよう、保健教諭が言った。


「ほら、教室へ戻った戻った。 二限目が始まるわよ」


―――・・・仕方ない、昼休みにまた来てみるか。



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