第25話 宇宙船ブリズエール号

 惑星カイセスの静止軌道には宇宙船が停泊している。天気が良ければ地上からでもうっすら船底が見えるほどに巨大な船だ。

 銘はブリズエール。

 約二百年前に人々がこの星に渡ってきた時に使用していた船の一隻だ。

 現在は常駐している者はおらず、無人運転だが、月に一度ほどのペースで神殿の者がメンテナンスに入る。

 修練生たちは拳術の修練の合間を縫って半年かけて宇宙に慣れる訓練や座学を行い、立秋祭を終えた頃にブリズエール号のメンテナンス実習を行う。

 今回はクレアが受け持っていない修練生たちも含めた、百名あまりの修練生が一堂に会しての実習。当然それぞれの教官だけでなく、事故を防ぐため、維穏院以外にも療護院からも可能な限りの大人も参加し、合計で百二十人。

 この人数を宇宙まで上げるには、風の神殿の東側にある軌道エレベーターを使う。


「修学旅行みたいなものね。船で一泊するし、授業みたいなこともやるし」


 事前説明でクレアがそう言うと、緊張気味だった修練生たちにも笑顔が生まれていた。ちなみに学舎院でも修学旅行はある。風の神殿の場合は、南西にあるジンガ王国が行き先。六王家で唯一の工業国であるジンガとの出会いで技師へ進路を変える修練生も毎年何人かは出る。

 そしてもうひとつ補足すれば、四つの神殿全ての修練生がブリズエール号で実習を行うわけではない。それぞれの神殿が管理する移民船や工業船などがあり、そこで実習を行う。


「はい、じゃあディル。なんでブリズエール号や工業船が二百年も残されているかの理由を言ってみて」

「星の環境が激変した時などに脱出できるように、です」

「それもあるけど、大事なことが抜けてる」


 え、とライカを含む全員が驚く。


「ちゃんと技術を継承するためよ」


 そういうことか、と全員が得心する。

 技術の継承、というものは実に難しいものだ。マニュアルだけでは子細は伝わらず、完熟するまでは時間がかかる上、人は老いて技の使用がままならなくなる。

 かと言って完全に機械制御にしてしまうと、整備をする機械が必要となり、さらにその機械を、と無限に機械が必要となってしまう。なので人の手で行ったほうが結果的にはやく収まるのだ。


「まあ説明はこのぐらいにして。減圧始めるから、全員準備して」


 言われて全員がヘルメットの右耳側にあるスイッチを押し、シールドを下ろす。

 シールドには装着者のバイタルデータや酸素残量などが表示され、強い太陽光から保護するために薄暗く変色する。

 ライカたちはいま、ブリズエール号の減圧室にいる。

 彼女たちが着用している与圧服は、その祖先のような鈍重さはなく、だがボディラインがくっきり見えるような薄さでもない。一部の修練生からは安堵の声が、ごく一部からは不満の声が出たのは余談として置いておく。

 全員、背中には実習で使う道具や鋼材などを詰め込んだ籠を背負い、整列して正面に立つクレアから最後の説明を受けていたところだ。


 壁際の操作盤の脇に立つクレアは、片手に持つタブレットに「全員異常なし」の表示が出るのを待ってからパネルを操作する。照明が赤に切り替わり、ドアと天井近くにある、気圧を示すモニターの数値が見る間に減っていく。


『気分の悪くなったひととかはいないわね? いちおうこっちでもモニターしてるけど、数値に出ないことまでは分からないから』


 クレアが珍しく不安げに語っているのには理由がある。

 宇宙空間には、精霊がほとんどいないのだ。

 森羅万象と共にあるとされる精霊たちだが、彼らにとっても宇宙空間は過酷であるらしく、ライカたちが身につけている腕輪に宿る精霊たちもそれは同じ。

 なので宇宙に出る時は全員が腕輪を外して神殿に保管し、本当にただひとつの命になるのだ。


『じゃあほんとにエアロック開けるから。靴底の磁石はちゃんと機能してるわね?』


 はい、と全員が返事をしてクレアは意を決したように解除キーを押す。

 重苦しい音とアラーム音を響かせながら正面のエアロックがゆっくりと左右に開いていく。

 蒼く輝く惑星カイセスが、金属の出入り口の向こうに広がっている。

 きれい、と誰かがつぶやく。

 確かにきれいだけれど、過去に見たときほどの感動はなかった。

 不思議だったが、二度目だからだろうと割り切ってライカはゆっくりと歩き出す。


『すぐ近くに見えるけど、あんたたちのからだはいま秒速七キロ以上の速さで動いてること忘れないように。靴底の磁石の過信は絶対にしないように。いいわね』


 言いながら、クレアは近くにいた修練生の背中をぽん、と押して出るように促す。

 よろつきながらその修練生はたどたどしく歩き、すぐに背筋を伸ばして歩き出した。

 これまで何度も聞いた説明を繰り返されてもライカは不満に思わない。それだけ宇宙は危険な場所なのだから。

 五列縦隊の一番後ろに居たライカたちの順番がやっとまわってきた。

 久しぶりの宇宙に、口を開いて出た感想はシンプルなものだった。


「やっぱでかいな」

『ほんと。いろんなことが莫迦らしく思えてくる』


 独り言のつもりだったが、オリヴィアが珍しく返してくれた。

 少し驚いたが、彼女が口にした思いは自分も同じだった。


「だな」


 そっと右足から踏み出す。

 ここは元々艦載戦闘機の発着デッキで、エアロックの前には離発着用のカタパルトがまっすぐ伸びている。本来いるはずの艦載機も多くは解体され、いまは操縦訓練用に二機が、整備練習用に一機が残されているだけ。

 が、今日のライカたちの担当はこのカタパルトの整備だ。


「普段使ってないのに細かく穴が開いてるんだな」


 ライカが感心したように言うと、オリヴィアが呆れた声で返す。


『流れ星にもならないような細かいチリとかがぶつかってるって説明あったでしょうが』

「聞いてはいたけどよ、こんなにはっきりと穴になってるとか思わなかったからな」


 自分でさえ宇宙空間に緊張しているというのに、普段以上にのんきなライカに嘆息しつつオリヴィアは指示を出す。

 この時もう少し、ライカの視線がどこを向いているのかを気に留めておくべきだった。


『どっちでもいいけど、さっさと終わらせるわよ。ミューナ、道具出して』

『うん。電ノコでいい?』

『ん。まずは穴を切り出さないと』


 拳術以外の修練は積極的なオリヴィアが丸鋸を片手に、手の平ほどの大きさの穴の前にしゃがみ込む。丸鋸の電源を入れ、穴の縁に当てる。火花が派手に上がり、穴は見る間にきれいな四角形に切り広がる。


『うわ、中の配線までやられてる。ライカ、ケーブル出して』


 しかし返事がない。


「ライカ?」

 

 拳術以外の修練はそれほど乗り気ではないが、決して気を抜いているわけではないライカの様子に、オリヴィアはなにか不穏なものを感じ、視線をやる。


『あ、ああ。悪い。なんだっけ、ケーブルだっけか』

「そうよ。ぼーっとしてないで。ここ危ないんだから」

『わかって、る、よ』


 それでもまだ、夢遊病者のようなライカに、オリヴィアは通信先をライカだけに設定し、マイクの音量を最大にして叫ぶ。


「ライカ!」

『な、なんだよ。でかい声出すなよ』

「しっかりして。ごはん抜きにするわよ」


 子供っぽい叱り方だとは思うが仕方ないと割り切る。いっそ子供みたいにはしゃいでくれたほうがまだ良かったのに。


『わ、わるい。でもな』

「でもじゃない。しっかり作業に集中して」


 トーンを落として、丁寧に言い聞かせる。これでだめならぶん殴るつもりだ。


『ライカどうしたの? お腹痛いの?』


 不安そうにミューナが問いかける。

 念のためオリヴィアもライカのバイタルデータをヘルメットのモニターに呼び出す。あいつが病気になっているところなど見たことはないが、やせ我慢していただけかも知れないから。

 しかし、異常は出ていない。脳波が睡眠時のそれに近いが、この様子は寝惚けているからだと断定し、クレアに繋ぐ。


「先生、ライカの調子が、」


 そこまで言って異変に気付く。


「なにやってんの莫迦!」


 ふわりとライカのからだが浮き上がっていた。


『すごい、きれいなんだ』


 熱に浮かされたような声音。

 聞いたことがある。

 闇の世界である宇宙では、からだは意思と関係なく光を求めてしまうと。

 ライカが、それに罹った。

 オリヴィアはそう判断した。

 しかしクレアはここから一番遠く、船尾にあるスラスターノズルの修理を担当する班の指導に同行している。


『どうしたのオリヴィア、ライカがどうしたの?』


 オリヴィアからの通信、ということにクレアの声音も緊張している。

 ならばいまから言うことに疑問は挟まないだろう、と説明を省いてオリヴィアは叫ぶ。


「いますぐ船内重力を入れてください!」

『え、わ、分かった!』


 細かい理由を訊かないクレアに、いまばかりは感謝した。

 ややあって自身に重みが戻ったことを感じるオリヴィアの視線の先で、

 ライカが置き去りにされた。


 宇宙に、

 秒速七キロメートルの速度で。


「ライカ!」

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