第22話 足らない覚悟

「だらああああああああっ!」


 ライカの右拳が唸る。

 狙うは腹。

 するりと避けられる。掴まれる、と判断して肘打ちへ移行。上。頭突きが来た。重い。けれど肘打ちも入った。追撃を、とどれだけ命じても頭突きのダメージでからだが動かない。奥襟を掴まれた。投げられる、と身を固くした瞬間、


「ちゃんとやって」


 怒られた。

 一切の攻撃をせず、ただひと言告げただけ。


「……あ?」


 舐められた、とは思わない。

 意図が分からず、問い質す。


「なんで顔、狙わないの」


 予想外の答えに、ライカから集中力が削がれる。


「な、なに言ってんだ、おまえ」

「手加減とかしないで!」


 しようとした反論を、ミューナは天高く放り投げることで封じた。

 またかよ、と舌打ちしつつライカは頭を下に。ミューナの右拳がすぐそこまで迫っている。首を振って回避。耳を拳が掠める。遅れてやってくる彼女の顔へそのまま頭突きを、


「──ライ!」


 顔を囮にしてミューナは左掌をライカの腹部に当てて雷撃を放った。


「がっ!」


 稲妻が収まるとライカの肌も修練服も浅く焦げ、吐いた息は黒ずんでいた。

 やばい。内蔵をやられた。「療」を、と精霊を踊らせるが、それよりもミューナの追撃が早い。修練服が破れて剥き出しになった腹へ、突き刺すような蹴り。耐えることも出来ずにくの字に折れる。

 胃の中身が錆びた鉄の味を伴って逆流してくる。すぐ目の前にはミューナの顔。

 反射的に両手で口を押さえ、強引に飲み込む。くそ不味いががまんする。

 ライカからすれば、これは誰が相手でもやったことだ。仮にオリヴィアやディルマュラが相手でも同じ事をやった。偶発的なものならともかく、飲み込める猶予があるならそうする、というだけのこと。

 なのに、 


「ほらまたそういうことをする!」


 追撃もせずにミューナは頬を膨らませて怒る。

 またかよ、と嘆息しつつ苦酸っぱい口を開いて問う。


「だからおまえ、なに怒ってんだ」

「わたしはライカの全部を受け止めるの!」

 

 んだよそれ、と眉根を寄せつつライカは「療」を展開。内蔵のやけどを中心に治療を行う。けれどオリヴィアのようにうまくいかない。あいつはやっぱりすごい。なんだかんだ言いながら、自分とミューナをしっかりフォローしてくれている。あいつのことを思い出したらなぜか少し元気が出た。治療も終わった。

 だから、いく。


「──ジン!」


 イメージしたのは、真っ二つ。

 ミューナを脳天から縦に切り裂くように放った術は、しかし左の肩口に命中。ミューナが踊らせている精霊たちの守護もあって浅く肌を切りつけただけに終わった。

 柔肌からひと筋流れる赤をじっと見つめてミューナはまたも頬を膨らませる。


「ちゃんと狙って!」


 もうがまんの限界だ。恥も外聞も棄てて叫ぶ。


「だからなんでおまえが怒ってるんだよ!」

「ライカがちゃんとやってくれないから!」

「ちゃんとやってるだろうが!」

「絶対手加減してる!」


 無茶言うな、と毒づいてライカは拳を握る。


「おらぁっ!」


 狙うのは顔面。額で受けるミューナ。ぐい、と押し返してくる瞳は憤怒に満ちていて、なにがそこまで彼女を憤らせているのかがわからないままの拳はすぐに弾かれてしまう。


「シッ!」


 崩れた体勢にミューナの左ハイキックが追い打ちをかける。弾かれた拳を開いて蹴りを受け止め、足首を極める。そのまま軸足を払って完全に崩すと極めた足首を持ち上げ、放り投げた。


「なんで!」


中空で猫のように翻り、きれいに着地。ライカは追撃しない。ミューナは吠えながら跳躍。加速して戻ってくる。


「なんで本気出してくれないの!」


 まだ言うか、と呆れるのと同時に戦意が急速にしぼんでいく。

 す、と拳を収め、ゆっくりと言う。


「わかったよ。あたしの負けだ。あたしじゃおまえを満足させてやれない。煮るなり焼くなり殺すなり好きにしろ」


 じわ、と間合いに入る寸前のミューナの金色の瞳に涙が浮かぶ。


「そんなのやだ!」

「あたしだってやだよ!」


 偽りはない。ライカだって逃げ出したい気持ちと同じ、いや、半分ぐらいはミューナと闘いたい気持ちもあったのだから。


「だったら、負けとか言わないで」


 いまにも泣きじゃくりそうなミューナに、ライカは優しく言う。


「いまのあたしじゃおまえが出して欲しい強さじゃないんだろ? だったらどっちにしてもあたしの負けじゃねぇか。そんな試合、やる意味なんかねぇよ」


 顔を背け、半ば自棄気味に言い捨てるライカを叱ったのはクレアだった。


『明確な実力差が無いままのギブアップや試合放棄は認めないわよ』

「あ? んだよそれ」

『もしこのまま勝手に帰るようなことがあったら、あんたたち三人は除籍。神殿と関わる権利を永久剥奪して永久に精霊と踊れないからだにするから。これは維穏院長としての命令よ』


 すすっ、とリングに降り立ち、ライカはクレアを強く睨む。


「ずるい、です。そういうのを人質にするのは」

『ここで逃げたりすると、他の子たちに迷惑なの』

「だからそういう風に他人を」

『ライカ・アムトロン、維穏院の理念を言いなさい』


 睨みつつ、一度大きくため息を吐いて。


「人々の愛と安寧を守る。です」

『ん。あなたは人々が不条理な暴力に晒されていても、相手が自分より強いからと言って逃げ出すの?』

「それとこれとは話が別だろ!」

『いいえ。同じことよ。ミューナが敵の手に落ちて、洗脳とかされてライカの前に立ち塞がる可能性だってある。それでも、』

「あんただったら殺せるのかよ! そうなったミューナを!」

『そんなわけないじゃない』


 きっぱりと言われ、ライカはむしろたじろいだ。


『あたしの愛の力で元に戻すだけよ。いきさつはどうあれ、ミューナはあたしのかわいい娘。手にかけるなんて絶対にしない。そりゃビンタの一発ぐらいはするだろうけどね』

 

 反論しようとしたライカよりも早く、クレアは続ける。


『でもそれはライカ、あなたがそうなっても同じことをするわ。絶対に』

「……」

『ま、あんたの場合はイルミナがすっ飛んで行くだろうけどね。……話がズレたけど、あたしたちにとって、相手の強さとか見てくれなんかは闘わない理由にならないってこと。分かったらさっさとこっち向いて構えなさい』


 何も言えなかった。

 すがるように見たイルミナは、ただじっとライカを見つめている。

 あの松葉色の瞳に見られていると、自分が誰のために神殿にいるのかを否応なく思い出してしまう。

 だからと言って、ミューナを振り返る勇気などこれっぽっちも出ては来ないのだけれど。


「ライカ」


 背後からの呼びかけにも、肩を震わせることしかできなかった。

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