【戯曲】鹿鳴館(ろくめいかん)

紀瀬川 沙

第1幕

登場人物

◆西原永護 海軍大尉 ・・・二十八歳

◆姉小路侯爵令嬢 雪子 ・・・十七歳

◆樺山資紀 子爵

◆同 子爵夫人

◆大山巌 伯爵

◆同 伯爵夫人

◆井上馨 伯爵

◆同 伯爵夫人

◆大山巌陸軍大臣付きの武官

◆フランス海軍青年将校

◆宮廷装束の女官

◆華冑界や在野の紳士淑女ら舞踏客多数

◆外国人指揮者に率いられた軍楽隊


【樺山海軍次官、同夫人と連れ立って階段を昇る。背後には、樺山次官付きの武官が追随している。樺山、舞踏場へ向かう途中、階段の踊り場でおもむろに立ち止まって、振り返る】


樺山 〈まったく、階下でお前の撞球に付き合っておったら、せっかくの舞踏にすっかり出遅れてしまったわい〉

西原 〈それはそれは、大変申し訳ございませんでした。しかし、お言葉を返すようですが、キューボール、オブジェクトボールを見つめて熱中しておられたのは、閣下の方でいらっしゃったかと存じますが〉

樺山 〈はっはっは、撞球が不得手なのは仕方のないことじゃ。わしは球撞き棒よりも、サーベルの方を好むでな。遊戯に疎いはいかんともし難い。もっとも、志士の気概、いまだ忘れ難きによって、なお、日本刀の方が手に馴染むがな(ト盛装に不相応な抜刀の構え)〉

西原 〈御意。やはり、剣の柄の、五指にしかと来る感触はえもいわれぬものがあります〉

樺山 〈くっくっく、欧州仕込みのわっぱよ。剣に関して知ったような口ぶりだて。そもそも、近頃の若い衆は何から何まで、撞球など、遊戯まで西洋かぶれしておって、けしからぬ。汝が、いかに現代剣道の手練れの士とはいえ、近藤、沖田、斉藤を前にしては何ができようか〉

西原 〈壬生の浪士は、代々の語り草でございますゆえ、私もおそれをなしております。連隊組長のうち、数名は現代も生きながらえているとのこと。この明治の御世に一つ、撃剣指南頂きとうございます〉

樺山 〈笑わせるでない。マァその意気でこそ、吾輩が西郷、大山に先んじて見込んだ将校なのじゃが。よいか、今宵お主は吾輩の甥として夜会に申請されておるのだから、言葉づかい並びに立ち居振る舞いも、それ相応なものにするように。これに伴って生じるやもしれぬ無礼も、今宵限り許す〉

西原 〈はっ。いえ、わかりました、伯父上殿〉

樺山 〈そうじゃ。それにしても、鹿鳴館に来るのは久方ぶりであるな、お前も今宵は存分に楽しんで参れ。とは言うものの、浮揚するような宴においてさえも、政を健忘せぬのが、今日の安寧を築きたる、我々薩摩隼人の猛たる所以なのであるがな。ははは(ト通りすがりの舞踏客が怪訝そうにするのも構わず、磊磊落落に哄笑)〉

西原 〈閣下のおっしゃる通りでございます。天長地久の吉辰も、薩摩人の功績を無視しては、祝し奉ること能わざることでしょう。ただし、今宵の夜会は閣下の盟友、井上外務大臣夫妻による主催、ここは一つ、伯爵夫妻に花を持たせ申し上げてください〉

樺山 〈わかっておる。だがまったく、伊藤総理大臣をはじめ、長門の者どもの考えることは、昔からいまいちわかりかねる。井上伯爵もかつては英国公使館を焼き払ったほどの蓋世の士。時代は変わり、洋行して人も変わったといえども、異国と相対するのに、こちらからへいへいと近づかなくてはならぬとは。あくまで凛と構えて待てばよかろうものを〉


【階上の舞踏場より音楽が漏れ出でて、かすかに聞こえるパストラールの舞踏曲終盤部分】


西原 〈それは、深謀遠慮の御方々でいらっしゃいますから、長州人も何かしら腹中の計あっての沙汰でございましょう。あにはからんや、二階ではそろそろ閣下御得手のマズルカが始まる頃でございます〉

樺山 〈おお、さようか。では一つ、夜会のために習得した、英国正統譲りのマズルカをお披露目と行こうではないか〉

西原 〈井上外務大臣閣下を始め、伊藤総理大臣閣下、大山陸軍大臣閣下など皆様がお待ちかねでございましょう(トマズルカがポーランドの農民舞踊に端を発することなどオクビにも出さずに言う)〉

樺山 〈ふむ、では行こう。そうじゃ、再度言っておくが、お前の今宵の身分をくれぐれも忘れぬことじゃ〉

西原 〈重々、承知しております、伯父上殿(ト樺山に相対している時は満面の笑み、樺山が踵をめぐらせて階段を昇る背中に向かっては反抗的な眼差し)〉


【西原の口から「大山陸軍大臣閣下」の語が発せられると時を同じくして、舞踏場入り口の幔幕より大山巌と同夫人登場、しばらくは揃って二階に設けられた藤棚を賞翫しているが、この時には階段を降りて来ている】


樺山 〈今思い返すに、ちょうど三年前であったか。たしか、天長節ではなかったように記憶しているが・・・。ここ鹿鳴館でな、昔からわしに懐いておった西郷伯爵直々に、辣腕もて海軍を拓いてくれぬかということで、海軍大輔職への斡旋を受けてなあ(トしゃべっているうちに階段を降りてきた大山巌と鉢合わせになる)

おっと、これは失礼致した〉

大山 〈こちらこそ、ごめん。あっ、これは、これは、樺山さんではありませんか。ご無沙汰しております〉

樺山 〈おお、これは大山君ではないか。もとへ、今は大山陸海軍両大臣閣下と言うべきかな〉


【夫人も良人に従って挨拶するが、劇の進行上、動作だけで声は発しない】


大山 〈何をそんな、滅相もない。西郷さんの後釜という光栄を、差し当たり務めておりますが。こちらの方こそ、恐縮してしまう次第です。樺山さんには、年齢にもそぐわない、煩わしい役務を担って頂いており、大変感謝しております。いかんせん、煩わしくも極めて肝要な役どころでありまして、樺山さんほどの人物でなくば務まらんのです〉

樺山 〈いやいや、同郷の者同士ではなかか、気遣いはしなくてよか(ト地元の方言をわざとらしく出す)〉

大山 〈ほんのこてあいがともさげもす。そういえば、先程の晩餐会でたいそう滑稽なことがありましたよ。烏丸子爵をご存知ですか。あの御方が、あろうことか、フィンガーボールの水をきれいさっぱり飲み干しになりましてな。周りはしばし沈黙、指摘し申し上げるも恐縮してしまい。すると、自ずから気付いた当人は、見る見るうちに赤面なさり、抑えきれずに卓上はみな失笑の嵐でござんした〉

樺山 〈そいはほんのこておもしてなぁ。正直なところ、わしも、子爵の轍を踏みかねんかった。幸いにも近くにおわす井上伯爵夫人にお教え頂いたので、辛くも避けることができましたわい〉

大山 〈それはよかった、よかった。西洋作法などという、本来我々が知らずともよろしいことの会得にも躍起にならざるを得ない時代というのも、窮屈なものでございますな。そうだ、今から階下でハバナ葉巻でも喫みながら政談とはいかがでしょうかな〉

樺山 〈せっかくのお誘いありがたいのですが、今から二階の井上外務大臣に、一言ご挨拶がてら、踊りでもと思っておりましてな〉

大山 〈なんと。井上は西洋かぶれの情けなか奴じゃ。おいは外国人にびんたを下げるのは気に喰わなか。せっかく、松方さん達の考えた通り、総理大臣を神輿とし、井上には世間からの批難が巻き起こっていて、政局の風はまさに我々への追い風になっていると言うに。樺山さん、そうでございましょう〉


【西原は樺山の背後で、両者に冷たい視線を送っている。しかし、西原の慎重さを象徴するように、彼のこの視線に気付く者はいない】


樺山 〈うぅむ、ごわんどか、そいなら行こう(ト階下へと向かう。西原は制止できずに追随しようとするが)

西原、お前は先に上の舞踏場へ行き、おのおの方へ挨拶をしておけ。あと、井上外務大臣によって見世棚に並べられた良家の手弱女を、夷狄の手から守ることも忘れるでないぞ〉

西原 〈はっ、かしこまりました〉

大山付きの陸軍武官〈西原さん、一つお伺いしたいことがあるのですが、よろしいですか〉

西原 〈どう致しましたか、何なりと〉

大山付きの陸軍武官  〈海軍でも、文武両面にて不世出との誉れ高いあなたが、どうして・・・失礼ですが、樺山次官の傘の下に入っておられるのですか。不肖、私にはそれがわかりかね〉

西原 〈なんと、それはまことに心外〉

大山付きの陸軍武官 〈見当外れでありましたか。申し訳ございません。聞かなかったことにして頂ければ幸いです。

(大山、樺山の遠ざかる姿を見て)

もうあんなに離れて行ってしまった。それでは、これで失礼致します(ト大山を追って去ろうとする)〉

西原 〈お待ち下さい。心外というのは、私の本心を見透かされて心外という意味ですよ〉

大山付きの陸軍武官  〈えっ〉

西原 〈たしかに、樺山次官閣下は西郷伯爵や大山大臣と比べまして、愚物と断言することができますよ。ですがそれは、私のような下の者にとっては、この上ない、付け入る隙なのです。いいですか、彼らがのし上がって来た時代とは異なって、私やあなたのこれからの時代は、剣腕が物を言う時代ではございません。彼らのような、出自をたどれば下級武家の者どもが、二十余年前剣腕もって成り上がったように、これからは政治上の策謀こそが下剋上の刃となりましょう〉

大山付きの陸軍武官 〈・・・・・・・・(ト立ちすくむ。ややあって真意を悟ったような表情)〉

西原 〈おわかり頂けましたか。では、今度は私の方からお願いします。今のはくれぐれも他言無用でよろしくお願い申し上げますよ。これからの時代を生きる者同士、同盟とゆこうではございませんか(ト社交的な笑みを残して舞踏場へ向かう)〉


【舞台中心は舞踏場内へと移行】


西原 〈(舞踏場に入ってすぐ)もしもし、お伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか〉

姉小路侯爵令嬢 〈(出し抜けに話し掛けられオドオドする様子で)は、はい、どうぞ。何でございましょうか〉

西原 〈井上外務大臣閣下はどこにいらっしゃるかご存知でしょうか〉

姉小路侯爵令嬢〈ええ、、た、たしかあちらにいらっしゃっているかと〉

西原 〈(離れたところで外国公使と歓談する井上を見て、挨拶は諦め)わかりました。ありがとうございます。申し遅れました、私は樺山資盛と申す者でございます。お見知り置きを〉

姉小路侯爵令嬢 〈いえ、こちらこそ。私は姉小路家の長女で、雪子と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます(ト言い終えたところで可愛らしくクシャミを催す)

これはご無礼を致しました。申し訳ござりません〉

西原 〈いえ、私の杞憂ならばよいのですが、どこかご体調でも崩されておられですか。不躾で大変失礼ながら、心配でありますので〉

姉小路侯爵令嬢 〈ご心配お掛けして申し訳ございません。実は、おっしゃる通り、今日は体調が優れませんで・・・。もともと丈夫なほうではございませんのですけれど、ただでさえ風邪気味のところへ、馴れない今宵の洋装の締め付けや、活発な西洋舞踊で、おはずかしうございますが、この通り・・・〉

西原 〈それはお労しいことで。よろしければ、この場はひとまず退出なさって、階下の談話室ででも休息なされたら〉

姉小路侯爵令嬢 〈いえ、つい弱気になってしまいましたけれども、何とか大丈夫なのでございますよ。ご心配ありがとうございます。それに、私事になりますが、父母がせっかく、こんな豪華な西洋ファッションや軽快な舞踊を仕込んでくださったのですもの。今宵の夜会が開かれているあいだは、なるべく舞踏場にて皆々様をご接待申し上げるよう、きつく言いつけられておりますのよ〉

西原 〈それはまことにこの国、いや、お父上・お母上に対しましてはたいそうな親孝行でございますな〉

姉小路侯爵令嬢 〈おほめ頂き光栄でございますわ。ところで、樺山様は、今宵はどのようなご関係から鹿鳴館へ〉

西原 〈とおっしゃりますと〉

姉小路侯爵令嬢 〈どなたかとご同伴ででもいらしたのでしょうかと思いまして・・・。つかぬ事をお聞きしました〉

西原 〈それでは、私の伯父をご存知ありませんか。海軍次官の樺山資紀と申します〉

姉小路侯爵令嬢 〈あら、ご気分を害されたなら、まことに申し訳ございません。わたくし、政治というものにたいそう疎くございまして。しかし、それも大事なればこそ、わたくしのような者には〉

西原 〈さようでございますか〉

姉小路侯爵令嬢 〈日頃は、もっぱら邸内でワイオリンや和洋の舞踊に明け暮れておりまして・・・。世事とは余り関わりがなく。お許しくださいまし〉

西原 〈いえ、こちらこそ飛んだ思い上がりで、失礼致しました。私はその甥でありまして、任官したる役職は機密守秘のため明かすことができませんのが〉

姉小路侯爵令嬢 〈改めて、よろしくお願い申し上げます、樺山様。ご覧じて、楽士達が次曲の準備に取り掛かっておりますわ〉

西原 〈さようですね。どうでしょうか、体調がよろしく、もしお嫌でなかったら、次の舞踊は私と踊っては頂けませんでしょうか〉

姉小路侯爵令嬢 〈ええ、具合はもうすっかり大丈夫でございますから、喜んで〉


【独人エッケルト、仏人シャルル・ルルーに指揮された二組の楽団がマズルカを奏でる。以下二人の、踊りながらの至近距離における対話が続く】


西原 〈踊りながらご無礼。あなたのマズルカの何と華麗なることでしょう〉

姉小路侯爵令嬢 〈ありがとうございます。英語で申しますところの、マナーとやらを、お気になさっておられるのでございますか。構いませんわ。ここはあくまで東京でございますもの。ロンドン、あるいはパリなどではございませんから〉

西原 〈マナーの別も分からないほど、私は不慣れでございますゆえ、ご諒恕ください〉

姉小路侯爵令嬢 〈(何とも応答のしようもなくうち微笑む)〉

西原 〈月曜日の東京踏舞会には出席しておられたのですか。ヨハネス某とかおっしゃる高名なダンサーが指導のこととか〉

姉小路侯爵令嬢 〈ヨハネス某とは面白いことをおっしゃりますこと。いいえ、ぜひそこで他の御家の方とお付き合いがてら、舞踏の練習ができればと願っていたのですが、父が専属の家庭教師として付けてくださったものですから〉

西原 〈道理でお上手なはずだ。チャリネはご覧になりましたか〉

姉小路侯爵令嬢 〈いえ、残念ながら。獅子や印度虎の狂言なるものは、一目みたかったですわ。九月に神田で興行がございました時分には、年甲斐もなく父に駄々をこねましたのよ〉

西原 〈なんと〉

姉小路侯爵令嬢 〈こんな年になって、我がままを申しまして〉

西原 〈いえいえ、無理もございません。私は築地海軍原でみたのですが、白馬にまたがった少女が輪をくぐって再び白馬の背に戻るなんて、そうとう鍛錬を積まなければできない代物だと思いましたよ〉

姉小路侯爵令嬢 〈千歳座で菊五郎丈が何やらチャリネに扮したお芝居をなさるとか。ほんとうのものを見れなかった代わりと申しては何ですが、そのお芝居は見逃すまいと心に決めてございますの〉

西原 〈ああ、それなら私も風聞したことがありますな〉

姉小路侯爵令嬢 〈お話がよく合って、とてもたのしゅうございますわ〉

西原 〈私も同感です。何か、こう、今この時だけは、舞踏会の渦中にいながらにして煩雑な世事から解放されているかのような、そんな心持ちがしているのです。お笑いになられますか〉

姉小路侯爵令嬢 〈いいえ。でも、お人がお悪うございますわ。お戯れにからかわれているのでございましょう(ト自分でも気付かない巧みなしなを作りながら話す)〉

西原 〈いえ、決してそのようなことは・・・。本心から申し上げているのですよ〉


【演奏終わり、小休止となり舞踏客大勢は流動的に喧々としている】


西原

姉小路侯爵令嬢 〈(両者同時に一礼しながら)ありがとうございました〉

西原 〈ほんとうに、束の間の夢のような時間でした。私のごとき不束者をご接待してくだすって、ただただ感謝の意をのべるしかございません〉

姉小路侯爵令嬢 〈こちらこそ、とても愉快な一時をありがとうございました(ト何かを言い出す勇気がないような様子)〉


【バルコニーに板付いていたフランス人が先刻より場内をうろうろしていたが、今、西原の背後、すなわち姉小路侯爵令嬢の視界に入るところまできたりて、宮廷の古風な衣裳をまとった女官にフランス語で何やら迫っている。手には盃を持ち、ほろ酔いの心持ちである】


仏人将校 〈xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(トフランス語で口説いている)〉

女官 〈そうですか。はい、はい、そうですか。申し訳ござりません・・・(ト意味もわからず、その場をしのごうとする)〉

仏人将校 〈xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(トしつこく寄り添う)〉

女官 〈そうですか(トうつむいて押し黙る)〉

仏人将校 〈xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(ト女官の手を取ろうとする)〉

姉小路侯爵令嬢 〈マァ、大変でございます。樺山様、あれをご覧じて〉

樺山 〈あの外国の方は、舞踏に誘う相手をわきまえていらっしゃらないようだ〉

姉小路侯爵令嬢 〈先刻から彼女にまとわり付いて、嫌がっていらっしゃるのにしつこく言い寄っているのでございます〉

西原 〈無礼な。私が行って、たしなめ申し上げて参りましょう〉

姉小路侯爵令嬢 〈いえ、あなた様は、異人とのご不要な軋轢は避けてくださいまし。ちょうど、彼女と目が合いました。わたくしが行って参ります(ト西原の慰留も意に介さない)〉

姉小路侯爵令嬢 〈(訛りが強いながらも)ムッシュウ〉


【以下、フランス海軍将校と姉小路侯爵令嬢によるフランス語での会話が続く。時折、姉小路侯爵令嬢が通訳となりつつ女官を交えての話し合いが行われる。やがて、姉小路侯爵令嬢と女官とが揃ってフランス海軍将校に丁寧なお辞儀をして、その場が収まった模様となる】


姉小路侯爵令嬢 〈何とか退治致すことができましたわ〉

女官 〈まことにありがとうございました〉

姉小路侯爵令嬢 〈いえ。しかし、また、どうしてあなたに寄って来られたのでありましょう〉

女官 〈はて・・・私は西洋舞踊も一向に存じ上げませんし、何よりも、かような装束の私にお声掛けなさるとは・・・〉

姉小路侯爵令嬢 〈かような装束を召した方には、いくら舞踏会といえど、お戯れになるべきでございませんことは、たとえご存知なくとも、夜会に先立ってどなたかが教え申し上げておられるはずなのですが〉

女官 〈フランス語にてお話になられておりましたゆえ、何とおっしゃってきたかは皆目見当もつきませんが・・・。何やらシバシとおっしゃっていましたあれは、新橋のことでございましょう。ああ、その前にヨコハマとも〉

姉小路侯爵令嬢 〈ふふふ、あなたもフランス語をお習いになるとよろしいわ。では、わたくしはこれで(ト西原のもとへ戻ろうとする)〉


【この時、仏人将校が、突然姉小路侯爵令嬢へ再度近付き、彼女に絡んで来る。絡むと言っても、傍目には、極めて紳士的で、舞踏への勧誘を繰り出しているように映る。しかし、その意図は悪意に充ちている】


姉小路侯爵令嬢 〈(虚をつかれ、西原に視線を送り)ええっと、まことに光栄の至りでございます、が、ええと・・・〉

西原 〈(ぞんざいに両者の間に割って入り、先の姉小路侯爵令嬢のフランス語よりも遙かに訛った英語で)Excuse me. This is my dance partner,sir.(ト姉小路侯爵令嬢の手を強く引いて離れた場所へ)〉


【両者言葉はない。見つめ合うことあってから微笑み合う。その時、舞踏場の左右の仕切りが取り払われ、次いで楚楚として『美しく青きドナウ』のワルツ流れ来る。音楽に押し出されるかのように、両者手に手を取って踊る。舞台かたわらでは、仏人将校が早くも代わる相手を見つくろったと見え、ルイ十五世時代風衣裳をまとった公爵夫人と踊っている】


西原 〈・・・・(ト無言で微笑みかける)〉

姉小路侯爵令嬢 〈・・・・((トうっとりとした笑み)〉


(舞踏ながらく続いた後、音楽及び舞踏が終わる)


西原

姉小路侯爵令嬢 〈(見つめ合いながら、口を揃えて)二曲とも、同じ相手と踊るのは、礼を失する野卑な振る舞い。かようなことは、極東の、日本人でも知っている。ましてやフランス海軍の、壮気溢るる将校が、いくら東の果てでとて、それは貴国の地図の上、水波の愚挙に及ぶのは、おこの振る舞い、沙汰の外(ト両者ふざけ合い、破顔一笑する)〉

姉小路侯爵令嬢 〈マァ、黙阿弥の書くお芝居のようなこと・・・。おはずかしい〉

西原 〈あなたは心底芝居がお好きなようですね。よく行かれるのですか〉

姉小路侯爵令嬢 〈マァ、仮そめにも江戸よりこの方、悪所と呼ばれる所へでございますか〉

西原 〈いずれにせよ、こんなに早く夢の続きが訪れるとは、一身に余る僥倖でございました〉

姉小路侯爵令嬢 〈こちらこそ、ありがとうございました〉

西原 〈お身体の方は大丈夫でございますか。いくらワルツとは言え、二つ続けての舞踏となってしまいまして、ご負担をかけ・・・〉

姉小路侯爵令嬢 〈いえ、そんなことは。それに、成行が成行でございますから、こちらこそ窮地を救って頂き、かえって感謝しておりますの。それよりも、二人は周囲にどう映ったでございましょう〉

西原 〈ご心配には及びませんでしょう。先程のあなたの言葉ではありませんが、ここはあくまで帝都東京でございますからね〉

姉小路侯爵令嬢 〈ふふふ、またどこかでお逢いすることは、叶いまして〉

西原 〈(黙然として)私もぜひとも望んではおりますが・・・。私、樺山資盛は、今宵こうして目の前に候ひしものを、明日の宵、明後日、嚮後は、果たして〉

姉小路侯爵令嬢 〈(意を解せず)また難しいことをおっしゃって。私は信じておりますわ。明日も、明後日も、とこしえに〉

西原 〈・・・・(ト懐中より名刺を取り出しかけるが、思い留まる)〉

姉小路侯爵令嬢 〈何か答えてくださいまし。次の沈黙を、一体どう拝聴すればよろしいのですか〉

西原 〈・・・・(ト沈黙のままであるが、雪子を見つめる眼には燃えるような情熱が潜んでいる)

これにて、ごめん〉


【西原が踵をめぐらすと、前方には不敵な笑みを浮かべた樺山資紀が立っている】


樺山 〈西原、ちょっと、階下へ共に来るのだ。西郷伯爵がいらっしゃっておる。どうやら我々だけで話さなくてはならぬことがあるようじゃ。同席を許す〉

西原 〈(あくまでけろりと)はっ、かしこまりました(ト樺山に追随してゆく)〉

樺山 〈八月の長崎での事件、お前はどう見ている〉

西原 〈警察は殊勲の働きでございましょう。付近の住民も加勢・応戦したとのこと。これは、清国北洋艦隊による侵略とも取れる事件でありまして、いずれは警察よりも、我々の肩にのし掛かってくる問題であるかと存じます〉

樺山 〈して、それはいかに〉

西原 〈そう遠くない将来のいずれか、巡査が兵卒に、刀剣が軍艦に替わるやも知れません。私としては、定遠・鎮遠ほどの軍艦は沈めるには惜しく、将来の戦略上、できる限り鹵獲したいと思います〉

樺山 〈ほう、なかなかの千里眼だの。今の話も含めて、西郷大臣と会わせておく価値はあるわい〉

西原 〈ちなみに、私は西原ではございません。私は、樺山資紀海軍次官閣下が甥、樺山資盛と申す者でございます〉

樺山 〈はっ、「盛」の字を用いるとは、何ともの太い奴よ。マァ、なかなかいい名じゃないか。よろしい。では、参る〉


【庭の噴水に設置された打ち上げ花火が上がり、閃光と爆音はほとんど同時に館内へも到達する】


樺山 〈(驚いて)花火か、心臓に悪いわい。在りし日の大筒を思い出させる、美しくも、むごき音よ・・・(ト再び歩き出す)〉

西原 〈・・・・(トまったく動じずに追随して行く)〉


【両者話しながら階下へと向かう。その声は聞こえない。ただ西原の後ろ姿を、姉小路侯爵令嬢がたたずんで見つめている。そんな中、カドリールが急に始まる。舞踏客一斉に踊り出すも、場内中央の令嬢は微動だにしない】

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