龍天に昇り虎涙す
夜月蓮
孔明訃報
空気が徐々に涼しくなり、秋の訪れを感じさせる8月のある夜のことである。一人の男が庭に佇み、空を見上げていた。名を諸葛子瑜という。
「兄より先に逝くとは、あの馬鹿者めが……」
子瑜に弟である諸葛孔明の訃報が届いたのは、つい数時間前のことであった。彼には幾人かの兄弟がいるが、それぞれ呉と蜀に別れている。長男である子瑜は呉、次男孔明と三男均は蜀に仕えて、今やそれぞれ国の重臣であった。
後漢が倒れてから十年以上が経ち、天下は北の魏、西の蜀、南の呉に分かれていた。世にいう三国時代である。
一人庭で弟を偲ぶ彼に使用人が近づいてきて、申し訳なさそうに声をかけた。
「ご主人様、お客様が門前にてお待ちでございます」
「今は誰とも会いたくない」
そう告げると使用人は困った風になり「いやしかし」などとモゴモゴ呟いている。
「なんだ、来客とは誰か?」
「上大将軍陸伯言様でございます」
「なに、伯言殿が? 何故それを早く言わんのだ。すぐにお通ししろ。決して失礼のないようにな」
彼は名を聞くや態度を変え、使用人に来客を呼びに行かせ、すぐに別の者を呼び、もてなしの準備をさせた。そして自身も服を着替え、濡れて乱れていた顔を整えた後、来客を部屋に招き入れた。
「伯言殿、よう参られた」
「子瑜殿、こんな時に申し訳ないな」
訪ねて来た男の名は陸伯言、子瑜と同じく呉の重臣である。
「構いませんが、わざわざやって来られた用向きをお聞きしても?」
「孔明殿のことで」
「……でしょうな」
孔明は蜀帝である劉公嗣を除けば実質的な蜀の指導者であった。その孔明のが死んだという事実は蜀のみならず、同盟国である呉、この二国と対峙する魏にとっても一大事である。
「ご主君からは日が昇り次第ただちに会議を開くとの命が下った」
「ええ、私のところにも届いております」
時の呉帝は孫仲謀、呉の祖と言える孫文台の次男であったが、父兄とも早くに逝ってしまい、やむなく後を継ぐこととなった人である。
「弟の死を嘆く暇もなく大変であろうが、明日に備えて我々の間で少し内容を詰めておきたくてな」
「互いに他国の臣となった時から覚悟していたこと、お気になさらず」
二国に別れた諸葛兄弟であるが、それぞれの主君へ忠義を尽くし、僅かでも裏切りの疑いを抱かれないよう行動を徹底していた。どちらかが使節として出向いたとしても、決して二人きりになることはなかった。そのため両国の主はこの兄弟を深く信頼したという。
「ではさっそくだが子瑜殿、呉は今この時どのように動くべきだと考える」
「ただちに軍を蜀に差し向けるべきでしょうな」
この問いに対して彼が間髪入れず答えると、伯言は一瞬驚いた後笑みを浮かべた。
「いや流石は子瑜殿だ。もしやショックで考えが曇ってはいないかと心配したが、そんなことはなかったな」
「すると伯言殿も?」
「うむ、孔明殿という柱を喪った蜀がどうなるか正直読めぬ。それを確かめるためにも軍を送りたい」
「ええ、こちらの動きに合わせて対応してくるようならば、まだしばらくは安心できましょうが」
「まともに動けんようなら、むしろこちらが蜀の領地を切り取るつもりでいかねばならんだろうな」
子瑜はうなずくと、棚から地図を取り出し広げた。
「ひとまずは救援と称して巴丘に軍を進めるのがよいかと」
「そこで様子を見るのだな」
「ええ、ここで我らに侵入を許すようならば、蜀は時を経ずして北から魏に呑まれましょう。そうなっては呉に勝ち目はなくなります」
「そうならぬように、いざというときは我らが蜀の要衝を抑えて、魏への守りとなす」
「弟を喪った蜀が呉の同盟国足り得るか、そこを見極めることが肝要かと」
「では、明日の会議ではその旨上奏することにしよう」
「ええ、ご主君にも納得いただけるかと」
「反対する者が出た場合には、協力して説き伏せるとしよう」
そうして互いの意見が一致していることを確かめると、しばしの世間話をして伯言は帰って行った。子瑜は見送った後着替えを済ますと、もう庭に出ることなく部屋に入った。
彼は部屋の中で、弟の死を伝えた文書を読み返していた。そこには、孔明が魏との戦いの最中五丈原で没したことのみが記され、死因などの記述はない。しかし、彼は弟の死因をおおよそ理解していた。
「おそらくは、過労によるものか」
他国の重臣とはいえそこは同盟国、手紙のやりとりはしょっちゅうであったし、中々子宝に恵まれなかった孔明に彼は次男の諸葛仲慎(後に伯松)を養子として出す(が数年前に病死)程度には関係があった。一番最近の手紙は出陣直前に送られてきたもので、内容は数年前にようやく生まれた子供の自慢と心配が大半であったが、政務についても軽く触れていた。
「あいつのことだ、最期まで生真面目に職務を果たそうとしていたのであろうな」
孔明は蜀の先帝劉玄徳に有名な三顧の礼で迎えられ、以来忠義を尽くしてきた。それは玄徳が没しても変わることはなく、部下や子瑜がいくら諭しても、多量の仕事をこなし続けた。傑出した人物であったが故の不幸とも言えよう。
家族友人が死んでも葬儀に参加することすら叶わない。或いはその生死すら伝えられないことすらあった。戦乱の世の悲劇である。
「せめて、あのとき勝てていればまた違ったのかもしれぬな」
孔明は出陣に先だって呉に同時攻撃を呼び掛け、呉はそれに応じていた。子瑜も伯言とともに江夏に出陣したが、魏に敗れ早々に撤退していた。孔明としては呉の勝利に期待するところ大であっだろう。敗報を耳にした時の孔明の心中いかばかりか、後悔の念は募るばかりであった。
この後、呉は軍を進めるも蜀が毅然と対応したために撤退。ひとまず呉蜀の同盟は維持された。
子瑜はこの七年後に世を去るのだが、死の少し前まで最前線で軍の指揮をとっていた。ただ、六八歳と当時としては長生きの部類であったので、過労などではなく普通に寿命だろうと思われる。
彼の死後も諸葛一族は三国それぞれで重きをなしていくのだが、それはまた別のお話。
龍天に昇り虎涙す 夜月蓮 @yuyusiki
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