耳を見せてはいけません!

変態ドラゴン

第1話 突然の異世界!!

 ハンドメイドが趣味の大学生、伊藤文香は冷静な性格の持ち主として友人から専らの評判であった。それが、どうであろうか。

 彼女は今、張り裂けんばかりに絶叫していた。


「どこなのよ、ここはあぁぁあぁぁ!?」


 彼女の叫び声は虚しく森の中へ響くばかりである。辺りに人の気配はなく、空は日が暮れてなんとも妖しい紫色へと変わり始めていた。

 文香がどれほど頭を掻き毟ろうと、現実は非情にも時の経過を知らせるばかりで一向に彼女が過ごしていた快適な自室を返すことはない。


「なによこれえええええ!?」


 文香が狼狽するのも無理はない。

 ベッドに倒れ込むと同時に、気づけば森の中に放り出されていたのだ。完全に寛ぐ気でいた文香にとってまさに寝耳に水。

 ぽたぽたと木の葉から落ちてくる水滴に文香のパジャマがすっかり濡れた頃、ようやく文香も現実を受け入れ始めていた。


 この異常事態は夢か? いや違う。

 自室にいた頃は寝るにはまだ早すぎる時間であった。体が濡れていく感覚ははっきりと分かるし、一向に夢から醒める気配もない。

 そういえば、と文香の脳裏にスマホゲームの広告が蘇る。


(こういう、いきなり自然豊かな場所や市街地に放り出されることで始まるアニメが最近増えていたわね)


 記憶の底を弄って、なんとか名称を思い出そうとする。たしか、そのジャンルはーー


「異世界、転生だっけ?」


 最も、彼女が最近見たというそのアニメは主人公が死んで、そこから人間以外の種族に生まれ変わるというものであった。そのアニメではステータス画面と叫ぶことで己の状況を確認するのが鉄板なのだがーー


「……ヤバイ、なにすればいいんだろう。ちゃんとアニメ見ておけばよかった」


 彼女は自分の興味のないものに対してとことん無関心になる性格だった。ほんの少しアニメに詳しいのも、それ系のグッズを作ってやると友人から喜ぶからだ。

 友達は『オシ』を愛でてハッピー、文香は『材料費獲得と練習』ができてハッピーのwin-winな関係だった。


(って、今はいない人のことを考えてもしょうがないわね)


 現実逃避しかけた思考を慌てて引き戻し、周囲をぐるりと見回す。やはり辺りに人影はない。

 せめて人がいそうな明かりはないだろうかと目を凝らすが、森の奥は闇が広がるばかりだ。暗くなり始めてきた森は鬱蒼とした木々も相まって不気味な雰囲気を伴う。


「流石に歩けば森の外に出られるよね?」


 ここがどこかも分からないが、じっとしているよりも動いた方が良いと素人判断を下し、ぺちゃぺちまと泥を撥ねながら歩き出す。

 スリッパがあるとはいえ、薄いクッション程度で小石の感触を無視できるようなものではなく、その歩みはノロノロとしていた。


「うううっ……どこなのよ、ここは。そもそも私は現実世界で満足してたのにぃ……! 返してよお、私の優雅なキャンパスライフゥ……」


 誰にいうでもない愚痴をぶつぶつと呟きながら歩くこと数分、ようやく遠くにぼんやりと複数の光が見えて文香の目に涙が浮かぶ。

 先ほどよりも距離が縮まるペースが早いその明かりは、どうやら文香にいる方へ向けて動いているらしい。すっかり人だと思い込んで、手をぶんぶんと振りながら大声を出して近寄る。


「すみませーん、ここって……どこ……ですかね?」


 近づくにつれてその明かりは男が持っているものだと分かり、安堵しかけた文香は次いで言葉が尻すぼみなものとなる。

 はっきりと見えてきた相手方の容姿は文香には馴染みのないものだった。

 腰ほどまでの薄い金の髪に切れ長の目。平均的な日本女性の身長はある文香よりも頭三つ分ほど高いその男はぎろりと見下ろしてきた。ヘの字に曲げた口を開き、威圧感たっぷりの声で文香へ問いかける。


「キサマか、先ほどからアホみたいな叫び声をあげていたのは」

「あ、はい。ここってどこなんでしょうね?」


 無礼な態度すら気にならないほど、文香の目を惹きつけたのは頭部から生える金属製の筒のようなものだった。

 形は円形に頂点を一つへと絞ったような三角錐で、それが耳があるはずの部分から髪をかき分けて突出している。

 ロング金髪の男は不躾に文香の体をじろじろと眺め回した後、顔の方に視線を移動させてギョッと目をかっぴらく。


「き、貴様ッ! な、なんで格好をしているんだ!? 破廉恥だぞ!!」

「……ん? ああ、気がついたら森にいたのでパジャマのままなのは勘弁してください」

「お前の無駄に肥えた胴体の話はしていない!! み、耳だ! 何故耳を男の前に晒している!?」


 寛ぐ時に邪魔だという理由で髪を束ねているだけなのだが、それが彼の逆鱗に触れたようだ。男は顔を真っ赤にしてぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。


「しかも、丸いじゃないか!! どこの生まれかは知らんが神と両親から与えられた身体をいじくり回すのはどうかと思うぞ!!」

「なんの話ですか……? まるで自分の耳は丸くないとでも?」

「はあ……?」


 『コイツは何を馬鹿なことを言っているのか』とでも言いたげな顔で互いの顔を睨みつける男女。永遠に続くかと思われたメンチ切りは文香のくしゃみで遮られた。

 勝ち誇った笑みを浮かべる男に、『これ以上付き合うのは無駄』と気づいた文香はずかずかと歩き始めた。


「あ、おい! 貴様、どこにいくつもりだ! ええい、立ち去れ! この森から立ち去れ!」

「知りませーん、聞こえませーん!!」


 男の存在は文香のなかで完全に『関わりたくないヤツ』として登録されてしまっている。傲慢で高飛車そうな性格なのだから、外までの道や方角を聞いたところで答えてくれないだろうと勝手に決めつけ、男がやってきた方角を真っ直ぐ歩く。


(多分、この無礼な男が歩いてきた方角の先に集落があるのかも。そこなら彼よりまだまともな人間がいるはずよ……)


 男への怒りを糧にずかずかと森を進んでいく。背後からは男の舌打ちが響くだけで、特に道を遮ることはしなかった。

 その様子をほんの少し不審に思いながらも文香は見えてきた無数の明かりを目指して歩くのだった。

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