第7話 真夜中の侵入者達
赤川真理子さんが帰った後、僕は片付けをしてホットミルクを片手に三階まで上がっていった。
妊娠中の千代さんには、紅茶は身体に悪いと思って、ずっとそうしている。
「ありがとう。下にどなたか、いらしていたの?」
千代さんは、僕からホットミルクを受け取りながら訊いてきた。
「千代さんの、ご友人だという方が来ていたよ。赤川真理子さん……だっけ」
「ああ。真理子が来てたのね。
どうせ、連れ戻しに来たのでしょう?」
千代さんは、何でも無いことのように言っている。
「少し、予定を早めないといけないかも知れないね」
ベッドに座っている千代さんの横に僕も座った。
千代さんが、僕に寄り掛かってくる。
「私、幸せよ。伸也さん」
千代さんは、何か感じ取っているのかも知れない。
「僕もだよ。千代さん」
僕も、もしかしたら最後の幸せな時になってしまうのではないかと、不安に思ってしまっていた。
もう年末に近い日。
その日は、土砂降りの雨だった。今年はまれにみる暖冬で、本当なら、この時期は雪が降るはずだったのだろう。
千代さんは、動きが緩慢で少しふくよかになってきている。
安定期に入ったこの時期を逃せば、もう移動することは難しいだろう。
「千代さん。この雨が上がったらここを出るよ。いいね」
「ええ。もちろん、かまわないわ」
千代さんは、先行きの不安を振り払うように、笑顔で言った。
つられて僕も笑顔になる。
お互いの荷物は、いつでもここを出て行けるように、まとめられていた。
雨音に紛れて、車のエンジン音が聞えた気がした。
車のドアが乱暴に閉まる音がする。
もう、これは気のせいでは無い。
「千代さん。僕は下を見てくるから、ここにいてくれるかい?」
千代さんは、不安そうに僕を見上げていた。
「大丈夫。ちよっと、見てくるだけだから。
千代さんはここにいて、何があってもこの部屋を出てはダメだよ」
僕は、何でも無いことだよ。と笑って、千代さんに言う。
千代さんは、力無く笑って頷いてくれた。
僕が下に降りると、ドンドンドンッと玄関の扉を壊さんばかりにドアを叩いてる様子がうかがえた。
「はいはい。そんなにしなくても、すぐに開けますよ。
全く、ここをどこだと思っているのです」
僕は、そう言いながら扉を開けた。
扉が開いた途端、複数人の男達がなだれ込むと言った感じで入って来た。
僕は、入って来た男の一人から、何も言わずにいきなり殴られた。
「貴様。千代をどこにやった」
胸ぐらを掴まれて怒鳴られる。
千代さんのお父さん?
ものすごい形相で、締め上げられた。苦しい、首が絞まる。
「くっ」
とても僕の力じゃ外すことができない。
抵抗している僕の目の端に、使用人の男達が勝手に洋館内を探し始めているのが見えた。
「や……やめて下さい」
身体をよじりそう言うと、僕を締め上げていた男から、使用人達の方に突き飛ばされた。
僕は、使用人達のど真ん中に転がってしまった。
頭やお腹を蹴られ、殴られする。本当に、咄嗟のことで抵抗も何も出来なかった。
「貴様、千代に何をした。
貴様の所為で、千代の縁談が目茶苦茶だ。
千代を出せっ。連れて帰る」
僕は、千代さんの父親とその使用人達にぼこぼこにされた状態で転がっていた。
それでも、千代さんは渡せない。渡したくないと思って……だって、千代さんは。
立つ気力もない僕の前髪を掴んで、僕の上半身を無理矢理起こさせて、訊いてくる。
「千代は、どこだ。若造」
「……知らない。
知っていても、絶対に教えない」
そう言った瞬間。思いっきりぶん殴られ、壁にぶち当たる。
遠くから、千代さんの悲鳴が聞えた。
「やめてっ! やめて下さい、お父様。伸也さんが死んでしまいます」
「千代さん。な……んで、出て……」
「わたくしが戻ればよろしいのでしょう?」
千代さんが、父親と何か言い合っている。
僕は、千代さんの元に行かないよう使用人の男達に押さえ付けられ、身動きが取れなかった。
複数の人の気配、千代さんが着ている着物の衣擦れの音。
霞む目の中、千代さんが近付いてくるのが分かった。
「ごめんなさい」
それが千代さんの僕に向けた最後の言葉だった。
それ以降、僕が千代さんを見ることは無かった。
最後に、千代さんが僕に笑いかけたのは気のせいだったか。
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