大牙抄録

夏の陽炎

第1話 Leo ー大牙抄録暦5338年

 硝煙の匂いがした。

思い出せば、仕事の傍ら、隣の小さな作業所らしき建物から僅かに火薬の臭いがした。なんども火薬が入っているらしい木製の小箱を建物へ運び、作り上げた製品を持ち出しているのを見ている。

“異常”だという言葉をわたしは知らない。ただ、少し歩いた先にある住宅地の子供がどうしたのかと母親に尋ねるように顔をあげ少し様子を確認してから元来た道へ戻るのを見た。明らかに住民は、閑散期の日常の為の歩行用の服を着ていた。俯きがちなわたしでも「こんにちは」という言葉を思い出すくらいの長閑で、カジュアルだが華やかな服装だ。作業者たちが、控えめに入り乱れる港の付近の工場地区(だが建物の規模はあまりに小さい)に、邪魔にならないようにと伺察に来る住民は、少人数ずつではあり、皆、礼儀を弁えてはいたが、動揺を隠しきれていたのか分からない。

 

 そのように冷徹に評してたわたしは、作業場から逃れていた。わたしの手伝える仕事が計画より早期に終了し、国を出ることを命令されたからだ。

急ぎ足に走れば走るほど道は細くなり地面はでこぼこになっていった。草は、無造作になり木が並び始めた頃、少し無責任だったのかな、と、後ろを振り返った。空に煙がうっすら上がっていた。


 近隣の国まで辿り着いていた。この時代は混乱し国家や政治制度など整っていない。道を行けば国を渡れる場所があった。かと言えば、わたしは…。

 

 自分の存在意義について思い直す前に目の前は海だった。

普段は賑わっていただろう港では船は姿を消していた。

一台、不気味に佇む船は、近世の技術革新後の国際交流の賑わいの跡が残っていた。

気圧さえコントロールしようとする蒸気機関の発明は、陸に寄る人々に羽根を授けたようで大きな船を製造し一気に世界へ航海した。まるで頭脳というとてつもないパワーが集中力を急激に高めて綿密に弾けたかのようだった。

その時の、余波は、隔絶されていた私にも届き胸を焦がしたのを覚えている。今、目の前にある船はその古びた遺跡のよう。


 Leoという名の男性はわたしを船に招き入れた。金髪が眩しすぎる身体の線が細い男性で、肩までの髪を更に結わえて女心を刺激していた。挨拶くらいしか話さない彼は、船内を自由に歩くことを許可した。船内を足早に偵察して帰り道を急ぎたいわたしは、船内の一つ一つを見るたびに記憶を失いそうな痛みを感じた。隣について歩く彼の存在さえ気づかなくなりそうだった。


 今、東方の大陸では火薬が飛び交っているんだろう。

わたしは『平和』という言葉に念を押されて外国である東方の大陸まで駆り出された。密売組織から没収された、人の心身を狂わせる毒と説明された大麻を処分する仕事を手伝うことを依頼された。突貫で作られた仮処分場では、待つ時間も惜しみ即急で液体を張ったプールに大麻を押し込み大袋に入った白い粉を何種類か入れ込んだ。液体のなかでは化学反応が起き、背筋が何度もビビりとした。石灰の粉はわたしの喉に噛みつこうとするので普段使い慣れてない口覆い布が自分の体の一部のように重要だった。

違法集団との衝突は避けられないだろうことは、慌てて処分する現場の様子からも伝わってくる。手早く、という命令は、わたしの震える心を表に出させなかった。


 「…tea。」

 語尾しか聞こえなかった。Leoさんは木製のわたしの身体(といっても100cm ほどの幼児の体だ。)ほどの大きな木箱の蓋を開けて見せてくれた。木箱からも少し漏れてた香りはふわっと部屋に広がった。手で茶葉を2、3枚掴み、わたしのおでこに触りそして手のひらに乗せた。ここの時間が無限に続くかのような感覚にさせる茶に支配された船内の荷物置き場だった。


 (わたしの名前は今日“きょう”。)心の中でつぶやいた。Leoさんはたぶんわたしの名前など聞いてはいなかった。身長は100cmくらい。幼児の身体のまま成長せずにいる。この間まで白い(というよりくすんでグレーな)建物の中にいた。部屋からは出られない拘束された空間で過ごし、そこから脱出する手引きを得てしばらくは不思議に静かな島で教育を受けた。言語学など覚える気にもなれないわたしに丁寧に異国の言葉を教え、わたしの身体を綺麗にして適切な薬剤と食事を与えてくれた。

この後、どうするのかと考える間もなく、東方の大陸へ手伝いに派遣された。それは、しばらくのさよならの言葉と同じだった。どう考えても平和と自由には遠いものを島での暮らしでも見ていた。一緒に教室を囲む金髪の少女は先生に新聞を頼み北方にある大陸の情勢についてをいつも気にしていた。政治闘争どころか紛争を起こしているという記事は連日届けられ、遠く離れた島で穏やかに鉛筆とノートと向き合っていられることの方が非現実的だった。

わたしは鉛筆など使い慣れていない。紙より先に飲食物を必要とする身分だ。長く隔離された場所で拘束された人生は、ペンや紙を使用して生きる時代が到来することを感じさせなかった。

 カタン。Leoさんは木箱に蓋を閉めた。他のお茶が入っている箱も自由に見ていいと言うように手で合図したがわたしは上の空だった。

Leoさんは一つ一つ箱を丁寧に開け、想像以上の香り高いお茶を手のひらにのせて見せた。わたしを慰めてくれているつもりだったんだろうか。そういえば、船に案内される前、外を不気味な不揃いな人の群れが通り過ぎていったけど、それをわたしがやり過ごしたからってお礼でもしたいのかな?

 「くすっ。」わたしは人目を忍んで笑みを溢した。早く帰りたかった。

わたしの髪の毛や皮膚から火薬の匂いがした。火薬を製造する作業場の近くに居たから臭いが移ったんだろう。わたしが体臭に気が付いたのを分かったのかLeoさんはこめかみを穏やかにぴくっとして眉を柔らかく顰めた。

わたしは堪らなくなり下を俯けば、荷物置き場の床には切込みがある。バラバラに船を壊さないように気遣いながら切り込みがいくつもあり、辿っていくと円形をしていて内側に彼の国特有の精錬された象形が象ってある。西方の彼の国の宗教的な印だろうと推測した。拘束された時間は長いが海外にはよく回ったもので見たことがある。

 「…petit…。」

 わたしの上唇と下唇が合わない小さな口から西方気触れの音が発されてLeoさんは驚いたかもしれない。

Leoさんは、まるで手を優しく導くようにやんわりと肩を抱えわたしを次の部屋へ案内しようとした。わたしは、重い溶岩のように身体に重力をかけ彼を制した。そして集中力を高めた。見様見真似であるが失敗は許されない。それは子供の数を1人勘定し間違えて命を轢くのと同じである。

 「petit mirror, moon...」

言葉の記号を羅列し手のひらを床に置いた。わたしの言葉を聞いても何一つ変わることない船内は、地球の一部として弧を描いていた。宗教について詳しくなかったが、丁寧に念じた。わたし自身は母国の記憶さえ朧気であるが、生きるために教わった中に“他者の救い方”の事案がある。戦争や紛争が世界各国で起きる中で、自分と出会った大切な人の行く末を案じるというお祈りは大事である。初めて出会ったらしいLeoさんは大切な人であったし、一人一人を重んじる心を研ぎ澄まして生きていけばきっと平和という始まりに辿り着くことができると、わたしは、信じたい。

 Leoさんは少しきょとんとしていた。思慮していることについてわたしが推し量る前にわたしの身体を丁寧に抱え上げ別の部屋に連れ出した。大人、二人ほどしか入れない狭い部屋、なのに不安を感じさせないように空間を広めに整えた壁に囲まれ、わたしを奥の木製の台に座らせた。Leoさんは、七分丈のズボンの裾を膝まであげ、ふくらはぎに丁寧に精油を馴染ませ始めた。すーっと火薬の臭いが途切れ足は目が覚めたかのように瑞々しくなった。Leoさんは精油を使い器用な手捌きでわたしの全身に命を吹き込んだ。

 それから、彼はお茶や精油などの商品を北方に運ぶ仕事にわたしを付き添わせた。わたしは精油の香りやお茶の匂いにくらくらと微睡んで目眩がし、ぼーぜんとして船の中で休憩をとらせてもらっていた。北方大国に着くと貿易商人たちが手早く貨幣と商品を取引し、商品は運び込まれ、船はあっという間に空になった。

船は三回の往復で南西の国の北方大国用商品の在庫をあるだけ全部詰め込んで北方の国へ売り払い、最後に北西の大国へと向かった。北西の大国の港ではLeoさんを華奢でありながらも骨の座った女性が待ち構えていた。お揃いの金髪は海風に優しく整えられていた。Leoさんは船から出るとその女性と厚く抱擁を交わした。

わたしは挨拶の為の言葉や仕草を思い出そうとしたが、視野が陰った。何も言わないままにわたしは船の横を通り抜け小さな漁舟に乗り込んだ。荷物置き場にはしっくと涙を噛み殺すようにして氷漬けの魚や干物が隙間なく積み込まれていた。

しばらく保護されていた島には帰れなかった。親切なLeoさんの船は北西の大国へ向かう時にわたしの住んでいた島の付近を経由したけれど、そこは部厚い霧に隠され、付近には怪しげな小船が行き交っていた。Leoさんは躊躇うこともなく舵を切りそこから遠ざかった。

北西の大国で乗り込んだ漁舟の行き先は小国「リーヴンイ」らしい。乗組員がもらしていた言葉を頭の中に綴った。行く場所がなかったわたしは、穏便にならない事件の種を拾うことで道を急ぐことにした。

わたしは、幽閉され虐待された過去を恨めしく思うのは、自分だけではなく周りを繋ぎ留める手を失うからだ。こんなに理不尽で解決しようのない難題を抱えた世界にどのように所属していこうか。考える間もなく舟は出航した。

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