電話ボックス

すいま

電話ボックス

『聞いた聞いた!電話ボックスでしょ?』

『まじで?誰かやってみてよw』

『やだよー本当に死人につながったら怖いじゃ~ん』


クラスのグループチャットは夏の夜長に奇怪な噂話で盛り上がっている。


『そうだ、富永に電話してみろよww』


手のひらの端末の中でさえ空気が凍るのを感じた。チャットの流れがピタリと止まったかと思うと、居たたまれなくなった誰かが話題を変える。

空気を読めというタイムラインの雰囲気が、先程の投稿も削除させたようだ。そりゃそうだろう。誰だって、一年前に事故で死んだクラスメイトの話題など蒸し返したくないものだ。


坂口隼人はスマートフォンをベッドへ放り投げ、続けて体を放り出した。

ずしりと重さを感じる体は今日も熱を帯び、窓から流れ込む夏の湿った夜風が体を撫でつける。



「電話ボックスなんてあったかな?」


夜の街を歩くことに背徳感を得て、実際問題として補導されるのではないかという心配が頭を占める。

信号を超えた先、100メートルも歩けばその場所につく。街頭の明かりを避けるように配置された電話ボックスが、鈍い明かりを漏らして佇んでいた。


その箱は白色の光が妙に現実感を強めていた。

電話ボックスに入るのなんて何年ぶりだろうかと、妙な緊張の中で扉を開く。

一歩踏み出して体を収めると、扉が自然と閉まっていた。

その空間では、緑の電話機の存在感が異様なまでに大きく、受話器を取る以外の選択肢が与えられない。隼人は迷う手をジリジリと受話器に近づけ、持ち慣れない大きさのそれを持ち上げた。思ったよりもずしりとした重さに動揺する。


ツーツーという音が受話器から漏れ、硬貨を入れろと急かしてくる。

隼人はポケットを弄り、10円玉を取り出すと投入口へと流し込む。

そして、スマートフォンを取り出すと電話帳を呼び出し、名前を探した。


「豊永かおり」


口に出すだけでも喉が詰まりそうになるその名前を指先でなぞる。

電話番号が表示されると、数字ボタンへと指を伸ばす。一つ、一つとボタンを押すごとに緊張が高まっていく。そして最後の数字を押すと、隼人の躊躇いを気にもとめず呼び出しを始めた。


一回、二回、三回目が鳴るかと思ったとき、受話器の向こうに空間が開けたのを感じた。


「かお」

『助けて』


名前を呼ぼうとした瞬間、微かに聞こえた声に顔を上げたときだった。


ビタンッ!!


歪んだ顔、張り付いた手、白目を剥き、乱れた髪。ガラス張りの前面に張り付いた体がピクピクと痙攣している。


「かお……り」


呼びかけに応えたかのようにギロリと眼が隼人を捉えた。


電話ボックスを飛び出した勢いでベッドから転げ落ちた。

汗がじっとりと首筋を伝う。

呼吸を止め、一気に吸い込み肺を満たす。ゆっくりと吐き出し、視線を部屋の中に巡らせる。すぐに夢と現実の区別がついたとしても、それが本当かどうか疑わしい。呼吸をするごとに現実感を取り戻していく。

ぐすり、と鼻をすする音だけが響いた。



『電話ボックス好きすぎかよ』

『もう電話ボックス使えないじゃんw死神扱いされちゃうw』

『使ったことねーくせに!』


今日もタイムラインは三流の笑えない噂話で溢れている。

隼人はそのタイムラインを眺めながら、既読数の1カウントに甘んじていた。

今日の話題は呪いの電話らしい。この前の噂話からインスピレーションを得たのだろうが、公衆電話からの電話がすべて呪いの電話だとしたら、電話会社の責任問題だろう。


それでも、噂話であんな夢を見るようじゃ、クラスメイトを馬鹿にできる立場でもないなと頭を振った。いつまでも、かおりのあの姿が頭にこびり付いている。隼人は一度投げ出したスマートフォンを手に取り、グループチャットからメンバーの一人を指名した。


『坂口だけど』

『おーどうした?』


教室で会うのと同じテンションで返ってくる。


『この前の電話ボックスの話なんだけど』

『あー公衆電話からの電話に出たら死ぬってやつ?』

『そっちじゃない』


相手は少し間を空けたあと切り替えたように返してくる。


『あー死人につながる方か』

『あれほんと?』

『馬鹿じゃないのw』


自分でもそう思う。


『細かい設定とかあるの?』

『んー夜の22時にかけるとか、10円玉でかけるとか?』

『場所とかは?』

『めっちゃ興味あんじゃんwたしか大通公園の4丁目だったかな?』

『ありがとう』

『お前、まさかやるの?』

『まさかw』


もし、死んだ人ともう一度話ができるなら、どうするだろうか。

明日話そう、今度話そう。当たり前に来ると思っていた「次」が突然無くなったとき、一度だけそれを取り戻せると分かったとき、どうするだろうか。

どうしても伝えたかったことが、ずっと心の中の大きな部分を占めて、ひとりごちても吐き出せず、どんどん大きくなって押しつぶされるんじゃないかと思う。そんな思いを伝えるチャンスが得られるとしたら。

試してみる価値はある。それはまさに、神頼みのようなものだけれど。


隼人は夢で見た夜の街の肌寒さを思い出し、上着を手に取ると部屋を出た。



見た目にはもう大学生と見違えるほどだから、若干心に余裕があるとはいえ、大人たちの視線を意識せずには居られない。できるだけ目立たないように当たり前のように歩く。

大通公園が見えてきた。1丁目、2丁目と信号を渡り、遠くからそれを確認した。

街頭の明かりを避けるように配置された電話ボックスが、鈍い明かりを漏らして佇んでいる。ふと、あの夢の出来事を思い出し、冷汗が背中に滲み出た。

引き返そうとさえ思わなかったが、足取りは少し慎重になる。


電話ボックスの扉は重く、最後のひと押しをしないと扉もちゃんと閉じなかった。

受話器を持ち上げる。ツーツーと音が漏れる。スマートフォンを取り出し、富永かおりの電話番号を呼び出す。

十円玉を投入し、番号を一つ、一つと確かめながら押していく。

最後の数字を押そうとしたところで指を止める。

ベタンッと張り付いた、かおりの目がフラッシュバックする。


一呼吸おいて強くボタンを押し込んだ。かおりの電話はすでに解約されており、スマートフォンから掛けても現在は使われていない旨のアナウンスが流れるのみだった。

それが正解だ。常識的に考えて。


だから、呼び出し音が響いたときの動揺は計り知れなかった。かおりとまた話ができればいいと思いながらも、そんなことがあるはずがないと思っていた。常識と願望の間で、どっちつかずの覚悟で握ってしまった受話器を戻すこともできず、目を固く瞑ってガラス面を見ないようにした。これは夢じゃない。


呼び出し音が、一回、二回、三回目が鳴るかと思ったとき、受話器の向こうに空間が開けたのを感じた。


『はい、もしもし?』


優しい柔らかい声の中に若干の不信感が伝わってくる。そりゃそうだ。突然の公衆電話からの通知であれば、無視したい気持ちもあっただろうに、律儀に出るのがかおりらしい。

あぁ、と吐息が出た。本当に繋がったんだ。いや、妄想かもしれない。ついに頭がおかしくなったのかもしれない。それでもいい。伝えることができたら。今しかない。


「もしもし」

『どちらさまですか?』

「俺、坂口隼人だけど」

『え?隼人くん?なんで?』


かおりに名前を呼ばれる。涙が堪えられなくなる。滲んだ視界に、カウントダウンが止まらない。急いで10円を追加するも、カウントが増えることはなく、釣銭口から返却されてくる。あがいている時間がもったいない。残された時間はこれだけなのだ。伝えなければ。


「突然ごめん。あと40秒だって。」

『40秒?』

「ごめん、俺の話を聞いて。」

『うん』

「ずっと好きだった。かおりのことが好きだった。かおりの笑顔が好きだった。優しいところも好きだった。もしあの時、かおりの手を握っていられたらってずっと……。勇気のない自分が嫌いだった。色んな所に行って、思い出を作って、喧嘩して。だから、本当にお前のことが、好きだった。好きだった!大好きだ!大好きなんだ……」

『なんだか、よくわかんないけど、照れちゃうな。ありがとう。私も、好きだよ。私だって、勇気がなかったんだもん。ごめんね。でも、こういうのは直接言いなさいよね!すぐそこにいるんだからさ!どういうトリックかわかんないけど、信号渡ったら覚悟してなさいよね!』


信号?

思考する前に声が出た。


「ダメだ!」


その声は届いただろうか。届いていてほしいと思った。届いていないだろうと思った。

すでに、受話器からはツーツーと音が漏れている。あぁ、あぁと嗚咽が漏れる。膝から崩れ落ち、叫ぶ声も電話ボックスの外には聞こえない。



富永かおりは隣を歩く坂口隼人をちらりと見つめては視線を落とす。恥ずかしさを隠しきれずに繋げない手をポケットに突っ込んでスマートフォンを弄んでいた。


「あ、行ける」

「え、ちょっとまって!」


歩行者信号が点滅するのを見て駆け出す隼人に一歩遅れてかおりが走り出した。

その足を止めるように、ジージーと手に振動が伝わる。躊躇ったかおりは走り抜ける隼人を見送って足を止めた。赤信号の向こうで振り向く隼人が手でごめんと伝えてくる。


自分の足を止めた着信を恨めしく思いながらも、鳴り続ける着信に目を向けた。

『公衆電話』の文字を見て、まだ信号が変わるまで時間があることを確認して出た。

電話の向こうの相手に驚き、信号の向こうの隼人を見る。何も知らないような顔をして信号を睨んでいる。


電話の向こうの人物に、なんのいたずらかと思ったが、その真面目な語り口が隼人そのもので、どんなトリックかと思って、それすら可笑しくなってしまった。

何より、ずっと待っていた言葉が次々と溢れてくるその時間がひどく愛おしく感じた。

そして、慌てたように通話は突然途切れた。そんな不器用なところも隼人らしい。信号が青になったら、駆け足で飛びついてやろうと思う。今度はその口から聴かせてもらおう。


駆け出した富永かおりは、

とても幸せそうな笑顔で、

轢き殺された。

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電話ボックス すいま @SuimA7

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