4・意気投合
「貴女……」
タブレットを眺めていた梨川さんが、急に手を伸ばして頬を挟んできた。
「美穂……美穂よね!?」
眼鏡の中の一重のタレ目がカッと見開かれている。どうして私の本名を知っているんだろう? 古臭い名前だから名乗りたくないし、レナコさんに今村きみと名乗ったからには、そう言うしかない。
「すみません、私は今村きみって言うんです」
「今村……?」
「なっしかっわさん♪ このピチピチの若い娘が傾聴ボランティアの方ですよ」
「そうよね……美穂は私と同じ歳……死んでてもおかしくない……」
梨川さんは暗い表情でわからないことをぶつぶつ言っているが、私は気にしなかった。それよりもアニメの話がしたかったのである。
「そのアニメ……懐かしいですね」
暗い雰囲気が一気に吹き飛ぶ。梨川さんは少し癇に障ったのか、語調が荒かった。
「懐かしい? 貴女も古いアニメを見てるばあさんだと言いに来たの?」
「そんなことありませんよ。私も大好きなアニメなんです」
「大好きって言ったって、このアニメは七十年以上も前にやってたものよ?」
ああ、しまった。そうだった。なんにも考えずに言ってしまった。
「さあ、どんなふうにハマったのか言ってもらおうかしら」
お手並み拝見といった感じの言い方である。でも、表情はとても柔和に見えた。
「最近、ネットで全部見てハマったんです。最初はほのぼのとした展開から急にシリアスな空気になり、ヒロインが死亡してしまうところは訳がわかりませんでした」
「まさかゲーム機を使って部屋ごとタイムトラベルする発想はなかったわよね」
「電気がない時代飛ばされたときは感心したし、笑いました。まさかゲームやテレビを動かすためにあんなことをするなんて」
「それもいいけど、ヒロインが死ぬ負の輪廻から抜け出すきっかけってなんだったかしら?」
「……えーっと、すごく身近にあるものでしたよね? ……あ、貯金箱! あの中にキーアイテムがあるとは思いませんでした」
「主人公が溶接の資格を持っててよかったわよね」
「あと危険物と臭気判定士も」
私が言い添えると、梨川さんは耐えかねたかのように笑った。
「よく知ってるわ。貴女とは話が合いそう」
「よかった~、私もそう思ったんです。今日はいろんなお話を聴きますよ!」
お世辞ではなく本心だった。なんだか、こっちが話しやすいように話してくれているような。まるでリードされているみたい。
「私がいなくても大丈夫みたいですね」
「あら、レナコさんまだいたの? いつまでも高野のぼっちゃんをおんぶしてないで、ベッドに放り投げて仕事に戻ったら?」
「そうですねぇー。そうしましょっか。それじゃ梨川さん。今村さんのことをあとはよろしくお願いします!」
レナコさんは安心した足取りで離れていく。あえて梨川さんに私を頼むと言ったのは、梨川さんがプライド高めの人なんだろうね。
「まったく、いつまで油を売ってちゃダメよね」
私は笑ってごまかす。
「それできみちゃんはどのシーンが一番好きなの?」
「最後に恋人がフラッと現れて抱き合うシーンですね。何度見ても泣けました」
* * *
バイトの時間が迫り、トイレすら忘れて梨川さんと話し込んでしまった。途中から傾聴じゃないよね? と思ったけど、これはこれでよかったのだと思う。私も楽しかったし、梨川さんも楽しそうに見えた。名残り惜しかったらしく、握手した手をなかなか離してくれなかったほどだ。
「疲れませんでした?」
「え?」
エレベーターまでついてきてくれたレナコさんが、大丈夫なの? とでも言いたげな顔をしている。疲れるって何がだろう。
「おやつの時間も含めたら四時間ほどおられましたけど」
おやつもご相伴に与ってしまった。さすがに良い施設だけあって、高そうなショートケーキが出てきてびっくりしたなぁ。
「ケーキ、ごちそうさまでした。あと、全然疲れませんでしたよ?」
「そうですか。……いえ、梨川さんって話すとおもしろい方だということはわかってるんです。わかってるんですが、とにかく話が長くて長くて……。職員の身として仕事にならなくて、どうしたものかと困ってたんですよね」
「ああ、なるほど」
確かに私が職員だったら、梨川さんへの対応はレナコさんの言うようになっていただろう。
介護業界も大きく変わった。現場に出る職員はアンドロイドやロボットで、人間といえば現場に出ない上の施設長とか理事長などしかいない。あ、整備士として宿直の人が日によって二、三人いるとか言ってたね。ホント、それぐらいしかいない。
介護の現場はキツイ・汚い・危険のお決まりの三つに、給料が安いがさらに加わる。また、人手不足であれば、穴埋めのために残業も半強制的にあって帰れないし、環境的に厳しい。若手、中堅、ベテラン関係なく、自分のキャパシティーの限界が来ればドンドン辞めていくのが現実。職員が足りなくて現場が回らず、倒産する施設がおびただしい数の時代もあったのだ。
国は早々に介護ロボットを現場に投入した。初期は感情が希薄で決まったことしか話さない。しかも体の色が銀や白のいかにもロボットです的な有様で大不評。このことを受けて各業界が、人間のようなロボットを創ることに腐心した。会話や感情などの部分は人口知能を研究し、自我を芽生えさせることに成功する。
一方、体の部分の素材に関しては人形メーカーと提携し、素材を人間の肌質に近づけることができた。従来型のロボットはたちまち姿を消し、新型ロボットは人間らしさ――自我や肌など――を手に入れ、アンドロイドとして瞬く間に社会に復帰したのだった。
「私より梨川さんは大丈夫でしょうか? 私も話しやすかったとはいえ、九十一歳があそこまで話されて平気なのでしょうか」
「心配ないわ。いつだったか自分で言ってたの。いくら歳を取ろうとここは衰えないって」
レナコさんが唇に指を当てながら教えてくれる。
私は苦笑しつつ、エレベーターに乗り込んだ。レナコさんも「いつでもまた来てくださいね」と言いながら手を振ってくれる。
「はい、また来ます!」
頭を下げた途端に扉が閉まった。
梨川さんもレナコさんも話していて楽しいし、おもしろかった。また来るとしよう、絶対に。
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