3・アスターにて
ちょうど月一で行っていた傾聴ボランティアの養成講座を受けた。あと数日遅かったら、来月まで待たされるところだった危ない危ない。
何も考えず、ボランティアセンターから紹介された施設に行ってみることにした。
それが、介護付有料老人ホーム・アスターである。
山の中腹にあるそこは、紅葉がまさに見ごろの色鮮やかな木々たちに守られるかのように囲まれていた。まるで中世に出てくるお城のような佇まいである。
地上五階建てに地下一階。広大な敷地のど真ん中に、重厚感と威圧感を兼ね備え、白亜の壁の美しさが来る者を歓迎しつつも、ふさわしいかどうか選定しているようにも思える。
正面には経営元であるウェルネスハピネスパートナーズの会長の趣向を凝らした日本庭園が広がっている。二十五メートルのプールほどの広さの池には、アーチ型の木製の橋が架けられている。
池の中を覗けば何十種類の錦鯉がハスに紛れて泳いでいた。離れた場所には枯山水(かれさんすい)、石灯籠、垣、石組(いしぐみ)などが設置され、赤松や犬柘植(いぬつげ)などが彩りを加えている。
ガラス張りの人々がごった返すエントラスを通り、フロントへ。光がたっぷり差し込んで来て、人々を照らしている。自分が生きているという実感を与えてくれるかのよう。まるで高級ホテルみたいだ。周囲のぐるりと観察する。調度品、ソファ、テーブル、塵ひとつすら許されないような磨きぬかれたタイル。
手続きの確認を終えて案内マップを見れば、コンビニ、レストラン、洋服店、スポーツジム、カラオケ、ミニシアタールームなどが施設内にあり、衣食住には困らない。
さらには医師と看護師が館内に二十四時間常駐しているのだから驚きだ。フロントで柔らかな笑みを湛えている飛び切り美人なコンシェルジュも、人間だろうがアンドロイドだろうが優秀に間違いない。人材面でのケアも事欠いていなさそうだ。
……いや、これ絶対月三桁万円は取られるでしょ。まるでデパートみたいに店はあるし。桁違いに広い。これが施設なんて嘘みたいだ。
約束の時間までもう少しあったのでエントランスを振り返り、魅入られるようにガラスへ近づいていく。そこから望む景色は、住んでいる街を一望できた。今日はこの上のない晴天。たくさんの陽の光を浴びながら、普段では味わったり見られない上からの風景を眺める。心は自然と穏やかになり、ひとりがけの革張りのソファーに身を沈めたら、即寝てしまう自信がある。
……いやいやいや、ヤバいヤバい。さっさと行こう。シャキッとした気持ちでいないと。なんせ相手は金持ちのじいさんとばあさんだもん。
踵を返してエレベーターに乗り、最上階である五階へ向かう。
ほんのりピンク色の優しさと温かみが感じられるフローリングを歩く。まるで鏡の上を歩いているみたい。それもそのはず、あちこちでロボットクリーナーが絶えず動いているからだ。
広い廊下にポツンとひとり。音も静かというよりロボット以外の音が聞こえない。おかしいな。コンシェルジュの話では、職員が迎えに来てくれる手筈なんだけど。
「あー、ごめんなさい!!」
奥の扉が急に開いたと思えば、次に廊下に響き渡るほどの謝罪の声。何かを背負ったまま職員らしき女性が、ダッシュでこちらに向かってくる。ピンク色の髪をウェーブアップにまとめ、白を基調としたパンツスタイルの制服。人形のように整った顔立ちで、細身ながら太ったじいさんを笑顔でおんぶしている姿はタダモノではない。
「なかなか手が離せなくて……待ちました?」
「いえいえ。今着いたところなので、気にしないでください」
「今おぶってる高野(たかの)さんが、急におんぶしてくれって言うもので……。しかも、おんぶした途端寝てしまいましてね。ま、昼寝でもしたかったんでしょうね」
「あなたはアンドロイド……ですよね?」
「はい。申し遅れましたが職員のアンドロイド、レナコです」
目を合わせてジッと見つめてくる。ほんの五秒ほどであるが、少しドキッとした。
「はいはい、確認が取れました。あなたが今村(いまむら)きみさんですね? 共有スペースへご案内します」
* * *
共有スペースは……これ、いったい何帖あるんだろう? 一部小上がり的な畳もあるし。見るからにフカフカしていて高級そうなソファー、ひとりがけ用のイス、いびつで味のあるテーブル、壁にはめ込まれた大画面のテレビ、様々な種類の本が詰め込まれた大きな本棚も壁際にある。
みんな思い思いに自分のしたいことをしている。プロジェクターに昔ながらの時代劇を映して楽しんでいるじいさん。スマートグラスをかけて仮想空間を楽しんでいるばあさん。将棋を指したり、お茶を飲んで談笑していたり。私服姿でオシャレしている人や化粧している人もそこそこいるなぁ。
私がいた所はほとんどパジャマやジャージ、私服はいてもセンスもへったくれもない伸び伸びのTシャツやウエストがゴムのパンツ。化粧なんかするわけがないし、みんなしないんだからする必要もない。誰が好みとか好みじゃないとか、そんなの歳を取るにつれてどうでもよくなっていった。
「それでは今村さんには、あの方――梨川(なしかわ)さんについていただけますか」
レナコさんの手で示す先を見ると、共有スペースの端のほうにポツンひとりの老婆がいた。ロッキングチェアのようなイスに腰かけ、眼の前の小さなテーブルを見つめている。
まず、パーマをかけた毛量の多さに驚いた。シワはあるものの額はキッチリ開けているから、私は好感が持てるなー。皮膚トラブル的なものは仕方ないにしても、木の年輪みたいなものを額のシワから感じ取れるからだ。白髪は……歳も歳だし染める気もないのかな。白髪頭なんて恐れ多くて言えない。グレイヘアと呼ぶべきだろう。
しかし、どこかで会ったことあったような気がする。デジャヴのような、決して初めてではない感覚。初対面のはずなのにおかしいな。
「あのー、早く話しかけてあげてください。梨川さんは楽しみにしてたようですから」
「ごめんなさい。緊張してまして……」
意を決して近づいてみる。ああ、テーブルを睨んでいるんじゃなくて、うっすいタブレットでアニメを観ていたんだね。あれ、このアニメ……どこかで――
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