第8話 ぶれ~く.た~いむ&美少女きた~!
まだ、朝も早い6時を過ぎたばかりだというのに、ハイスクール前のスターバックスは、健全な姿の老若男女で賑わっていた。
これから公園でのジョギングに繰り出す前に、コーヒーを一杯としゃれこんでいる。
隼人も、ミルクいっぱいのグランデを受け取ると、袈裟(けさ)に回したバッグのホルダーに突っ込んだ。
公園へと駆(か)ける人々を追うようにゆっくりと歩く。
だだっ広い公園の中ほどの貯水池へと辿(たど)り着いた。
目の回るような昨日の出来事に、帰り着いてからも神経が休まることはなかった。
僅(わず)かばかりの睡眠の後、早々に起きだした隼人は気晴らしとばかりにこの人々の憩いの場へと足を運んでいた。
隼人の心情とは、かけ離れた明るく健康的な世界が広がっている。
貯水池に向いたベンチで、刺激の少ないマッタリとした甘いコーヒーを飲み干す。
やさしい甘さが、全身に染み渡った。
(……よしっ! 行くか…落ち込んでばかりもいられない。体を動かせば何か、いい考えも浮かぶかもしれないし)
ようやく明るくなりだした公園は、健康に追いたてられる様に人々が 競い合っていた。
カップを握りつぶすとバッグにと押しこんだ。
今の自分の顔が、この場に似つかわしくないように思えて隠すように背中に垂らしていたパーカーのフードをすっぽりと被った。
おもむろに、左回りのコースへと走り出した。人気のコースらしく人も多い。
「Good Morning!」 「Hi!」
時々、気さくに手を上げ声をかけてくれる朝の風物詩なのだろう。
たいてい年配のお年寄り達だ。
隼人も手を上げる。
歩くとも走るとも、しれないスタイルで腕だけは勇ましく大きく振られている。
ほほえましい姿に、少し気が楽になった。
若い人たちは、腕に装着した機器で自分との戦いに真剣な表情を見せている。
隼人もペースを上げる。
溜め込んでいたものを走ることで、吐き出していけるように思えて精いっぱいの力で走る。
走る黒髪のポニーテールの少女と並走する自転車の少年を追い抜いた。
「お姉ちゃん、今の人日本人かな。すごいよ!」
「走りなれていないのよ。あんなペースじゃ、続きはしないよ」
日本語が聞こえてきた。
(…俺の事だよな。くそ)
一瞬、振り返りそうになったがムキになってスピードを維持(いじ)した。
少女の言葉に恥ずかしさを覚えた。
何にムキになって走っているのか、自分が滑稽(こっけい)にすら思える。
「シャリ シャリ シャリ シャリ ――――――」
(…………)
「シャリ シャリ シャリ —―――――」
ゆっくりとしたスピードに落とし、走りながら振り向いた。
自転車の少年が、慌てたようにそっぽを向いたまま付いてくる。
隼人は、声をかけた。
「前、向いて走らないと危ないぞ」
「!!」
ペダルを踏みこむと、少年は横に並び、虫歯のある笑顔は満面の陽気さを見せる。
「兄ちゃん! 日本人だ。僕も! おねいちゃんも居るよ!」
「僕たち、引っ越してきたんだ。ねえ後でお話しようよ。その先の小さい道、右に曲がるとベンチがあったんだ。走り終わったら後で来てね。待ってるよ!」
隼人も、同郷の言葉にうれしさを感じていた。
余りにも純粋な少年の表情に、隼人は、うれしさを悟られないように表情も崩(くず)さずに返した。
「ああ。そうだな」
「ぜったいだよ!」
見上げてくる少年の目に朝の陽光が射している。
隼人、
(なに、そんなに嬉しそうな顔をしているんだよ)
そう思う隼人の表情も、少年の無邪気な瞳にあてられて、緩んでいた。
全速力で引き離していってしまった。
一周約2500メートルの周回路の標識を見た。
変化に富んだ美しいコース。
今までは、余裕もなく眼にも入らなかった。
たった一言の言葉のやり取りが、隼人の気持ちを軽くしてくれた。
今は、冷静になって自分のペースで隼人は走る。
少年に声をかけられたことで、穏やかな気持ちになっている事に気が付いた。
リードをつけ犬と一緒に走っている人も多く見かける。
一緒に走る事が嬉しくてたまらないと言わんばかりに尻尾(しっぽ)も揺れている。
ユニフォーム姿の子供たちの集団がワイワイ騒ぐその横を走り抜けた。
2週目に入り先の少年が指定した場所が近くなってきた。
「グァッ! バウッ! バウッ! バウッ!」
と、その横を筋肉を弾ませ全速力でピットブルが駆けていく!
飼い主から逃げ出したのかリードだけを引きずって、少年が待っている方向へとコースを外れ飛び込んでいった。
隼人は嫌な予感がした。
追いかけるように待ち合わせた場所へと走った。
「バウッ! バウッ! バウッ! バウッ!」
「シッッ! あっちいけ! バカ犬!」
気の立った犬が、小柄な少年に狙いを定め襲い掛かっていた。
少年の足で蹴飛ばす仕草が、犬を刺激(しげき)したのか腕にかみついた。
どう猛な力で振り回す。
(まっまずい!)
隼人は走ってきた勢いのまま、ピットブルの脇腹を思いっきり蹴(け)り上げた。
「グヘッ」
犬は吐いた息と共に少年から離れすっ飛ぶ。
隼人、
「よーし! こっちだ! こっちへ来い」
怒りの矛先を隼人へと変えると、猛然とその筋肉を躍らせて飛び掛かってきた!
「グゥワンッ!」
隼人は冷静に見ていた。
膝を地面すれすれまで曲げ、飛びついてきたピットブルに構える。
犬の脇下へと右腕を滑り込ませ、左手で首輪を掴んだ。
同時に左足を引いて体を入れ替えると、救い上げ勢いを殺さぬままタイルの地面へと全力で頭から叩きつけた。
「らああっ!」
衝撃(しょうげき)で動きを止めたピットブルの片足を素早く掴んで、再度もちあげ地面へと思いきり叩きつける。
痙攣(けいれん)して、犬はおとなしくなった。
隼人は、犬が暴れださないことを確かめると少年の傍らに駆け寄っていった。
「だいじょうぶか!!」
(うわっ! だいぶやられたな。可愛そうに)
隼人は駆け寄り、驚いた様子で目を見開いていた少年に声を掛けた。
ショックで涙目の少年は気丈(きじょう)にも首を縦に振る。
水色のシャツはやぶれ腕は血がにじんでいた。
隼人は、少年の袖をまくる。
痛々しい牙の跡(あと)が皮膚を引き裂いていた。
バッグから未開封のペットボトルを取り出すと傷口を洗ってやる。使っていなかったタオルも一瞬考えたが、巻き付けてきつく縛った。
(…がんばれ…)
少年は、手当から目をそらすように涙を浮かべて食いしばっていた。
救急車をどうしようかと、隼人が考えている時後ろから怒鳴り声が響き渡った。
「アアアッ! 犬が!お前か! 俺の犬をこんなにしたのは!」
喚(わめ)きちらす声に驚いて隼人は振り返った。
犬の持ち主らしき男がやっと探して追い付いてきたのか足元の犬を転がしながらわめいている。
隼人は無性に腹が立った。
(てめええかあ———)
「あんたの犬が子供に噛みついて大怪我をさせたんだぞ。俺にも襲ってきたんだ。おとなしくさせただけだ」
隼人は立ち上がり、向かい合い男と対峙する。
ひょろりと背ばかりが高い隼人と違い、犬とよく似た筋肉質でずんぐりとした浅黒い男だ。
対面した若い隼人が、見下ろして口を訊(き)いてきたのが、気にくわないのか自分の失態を謝りもせず、目に怒りの色が見える。
男は口を開かない。
いっきに鋭利なガラスの様な緊張感がピシピシと音をたて周りを取り囲んでいく。
しばし、無言でお互いの瞳の奥を伺(うかが)いあってにらみ合う。
男の目には、威圧を込め黄色い怒りがユラユラと動きまわる。
隼人の瞳は、静かに一点の揺らぎもなくただ相手の目の動きに注視する。
と、いきなりパーカーの胸倉を片手で掴(つか)み、殴りかかってきた。
隼人は慌てなかった。
殴られる顔をわずかに回して打点をそらす。
パーカーを掴む相手の右手の親指を、左手で掴み右手でその手首を掴むとそのままひねりながら体を左に回した。
足をかける。
相手の右手を掴んだまま投げる。
勢いよく宙に浮かせた体を弧(こ)を描いて固い地面に叩きつけた。
そのまま、スピードと体重をのせた膝(ひざ)を倒れ込んだ相手のみぞおちに叩(たた)き込んだ。
「グホッ!」
一瞬の出来事だった。
見た目の筋肉質の男は、意外とあっさりと伸びてしまった。
口から泡(あわ)を吐いている。
強そうな筋肉の乱暴者に警戒(けいかい)を強めていた隼人は拍子抜(ひょうしぬ)けしていた。
犬を引きずってくると、そのながいリードを近くの手すりに回すとその先端で男の手首も縛り上げた。
よく似た一匹と男が繋(つな)がった。
小さく拍手の音がする。
気が付くと騒ぎに気が付いた二.三人のランナーが手を叩(たた)いている。
「そいつは、いつもリードを永く伸ばして迷惑な奴なんだよ! 犬も気性も粗くて困っていたんだよ! いい気味だ」
どうやら味方になってくれるみたいでほっとする。
「おにいちゃん、すごいよ! 強いんだね!」
目を見開き少年が、興奮している。
「颯太(そうた)!! どうしたの!」
ランナーたちを通り抜け、さきほどの少女が走り寄ってきた。
「怪我! ケガしてるの! そこに倒れている人は、なに? 何があったの?」
心配げに少年に寄り添いながらも、隼人に厳しい目をむける。
「さっきの人ね。みんなケガをしてるみたいだけど、あなたがやったの?」
少女の勢いに隼人がたじろぐ、先ほどの勇敢(ゆうかん)さは消え失せ、悪いことをしたことを問い詰められるように目を泳がせてしまう。
「ちがうよ、美緒里(みおり)。犬に襲われたのをそのお兄ちゃんに助けられたんだよ。そこに伸びている人は、お兄ちゃんに殴りかかって逆に伸されたんだよ。」
少年の言葉に続いて、年配のランナーからも声が飛んだ。
「ああ、私たちも見ていたが、その若者は悪いことはないよ。そこに伸びてる男が一番悪いのさ!」
「救急車と警察は一応呼んどいたよ。私たちは君の味方さ。 証言は私がしておこう。でも君はもう行った方がいい。少年を救ったヒーローだからね。大した追及にはならないはずだ。行きなさい」
(ありがたい! 明彦さん達に迷惑を掛ける所だった)
隼人は思い出した、ジョニーさんの言っていた言葉を(警察に関わっている暇はない)。
そうだった、今自分が揉め事を起こすとたくさんの人に迷惑がかかることを。
少年を助けたつもりだったが、助けられたのは自分の方だった。
迂闊(うかつ)に後先考えずに喧嘩(けんか)をかってしまい、見ずしらずの他人にたすけられた。
助け船に入った人に向き直ると、深々と頭を下げお辞儀(じぎ)をし、感謝の気持ちを示した。
「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしますがよろしくおねがいします」
事の顛末(てんまつ)を、眺めていた人々の前髪を朝の清々しい風が揺らしていく。
初老のランナーも隼人の態度に嬉しそうに目を細める。
面倒ごとではあるが、この若者の力に成れる事が嬉(うれ)しいのだろう。
少年にも一声かける。
「今度、機会があったら話をしよう。ケガ、災難だったな」
隼人が去ろうとすると。後ろから声がかかった。
「待って、さっきは訳も分からず酷(ひど)いことを言ってしまってごめんなさい。弟を助けてくれてありがとう。私たちの為にこんな事に巻き込んでしまって。お礼がしたいの。夕方時間が取れるなら6時に『アリス』の前で待っているわ」
まるで急かすかの様に救急車のサイレンがきこえる。
「私は美緒里(みおり)、伊集院美緒里。あなたの名前を聞いてもいい?」
隼人は、約束をして名前を告げると走り去った。
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