津森楓の奇妙壮大な暇つぶし

雨宮悠理

津森楓は鳩の存在を肯定する

 あれはいつ頃の話だったか。

 そうだ。あの日は確か、俺が高校二年の時、2020年の夏くらいの話だったと思う。

 あの日も俺と彼女は、ただひたすらにくだらない話をしていた。

 でも彼女からしてみたら、それらは全て大本気おおマジだったのだろうなと、今になって思っている。


「わたしね、世界中の鳩を全部ドラゴンに変えてしまおうかと思っているの」


 前触れもなく唐突に、津森楓つもりかえではそう言い放った。

 でも驚きはない。だって彼女はだから。


「なんで? 鳩は平和の象徴だぞ。それが全てドラゴンになったら、なんかえらく物騒になっちゃうだろ」


 俺はさっき近くのファミマで調達した紙パックジュースを飲みながら答える。

 平日のしかも真昼間ということもあってか、公園の人出はまばらだった。

 清く正しい学生である自分たちがなんでこんな昼間っから公園で暇しているかというと、校舎のベランダで原因不明の火災が発生したことで、臨時休校となったからだった。

 ここ最近、この街には放火魔が出没しているようで、警察が必死になって足取りを追っていると朝のニュースでやっていた。それもあってか、学校への立ち入りが制限され、こうしてなんとなく時間を持て余していた。


「旧約聖書がなんたらって話ね。起源とかその辺あんまりよく知らないんだけど。わたしの判断基準はひとつなの」


「面白そうか、そうでないか」


「うん、当たり」


 津森楓はいたって大まじめな顔で頷いている。


「で、なんで急にそんなことを思い立ったんだ?」


 鳩をドラゴンに、……とか発想が理解の範疇を大幅に逸脱している。

 まるで小学生の妄想だ。


「昨日、テレビを見てたらね、鳩の糞害特集をやっていたの」


「へぇ、それで」


 俺は適当に相槌あいづちをうつ。


「そこでやっていたのが、鳩の強い帰巣本能っていうのかな、それを無くすために鳩を追い払って、巣を撤去して、そこに薬剤を使って二度と近寄れなくさせてたのよ」


「……ん? 何かおかしいか? 普通のことだろ。"駆除"なんだから」


「でもせっかく作った巣を無抵抗で奪われるのって、可哀想じゃない」


 彼女は腰に手を当てて、表情でわかり易く怒りを表現していた。


「そもそも鳩が迷惑なところに巣を作るからだろ。そこかしこで糞も撒き散らすし。人間に迷惑を掛けなければわざわざ駆除なんてされないだろうに」


な考えね。わたし、その考え方そのものが嫌いなの」


 口をへの字に結んだ津森楓は、ベンチ脇にたむろしている土鳩ドバトの群れをちらりと見遣る。


「やっぱり住処を脅かすからには、人間にもそれなりのリスクが必要だと思うのよね。例えばRPGなら魔物を追い払うのも一筋縄ではいかないでしょ。相手にだって抵抗できる力を持たせておきたいの」


「抵抗できる力、ってたとえば?」


「そう、それこそがまさに"ドラゴン"なのよ」


 彼女はスカートのポケットから何かを取り出して、それをてのひらに載せた。


「何だこれ、…………ボタン?」


 見せられたそれは白いプラスチック製の小さな押しボタンのようだった。

 ボタンを押すという機能以外の、余計な機能やデザインを全て取り払ったシンプルなつくりになっているようだった。

 ボタンの上にはセロテープが貼られ、黒いマジックペンで『ハト→ドラゴン』とだけ書かれていた。


「何だこれ、…………ボタン?」


「全くおんなじ質問を繰り返してるわよ、アンタ」


 津森楓は少しだけむすっとした顔をして、掌のボタンを握りしめる。

 ほぼ十中八九、彼女はこう言うだろう。


『「これは、ハトをドラゴンに変えることのできる不思議で素敵なボタンなの」』


 やっぱりな。


「わたしが徹夜で作った最高傑作よ。ただ、ドラゴンのイメージが正確に湧かなかったから、参考資料として、しっかりとハリーポッターを読み込んだわ」


「ハリーポッターって活字本だろ」


「ええ、勿論」


「イメージ湧かんだろ、それじゃ」


「地上十五・六メートルもの高さがあって、火柱を吹き上げる長く鋭い角をもつシルバーブルーの生命体よ」


「さては、で勉強したな」


 かくいう俺もハリーポッターは大ファンなのだ。


「でもこのボタンにはひとつだけ問題があって」


 津森楓はひどく残念そうな声を出す。


「体長や体積そのものを変えることはできないのよね。あくまで種族を変化させて、少し能力を付与できるくらい」


「それだけでも恐ろしいボタンだと思うぞ」


 本当に変えられるなら、な。

 まあ、あり得ないことなのだけれど。 


「昨日、何羽かに試してみたんだけど、成功したのは一羽だけ。それも写真を撮ったりする前に、うちの窓を突き破ってどこかへ飛んでっちゃったのよ」


 しかも成功してるのかよ。


「すごいじゃん。で、どこに飛んでったの?」


「さぁ? だから、なのよ。ねえ、真面目に聞いてる?」


 こんな話を真面目に聞いている訳がないだろうと思いつつ、「ごめんごめん」と心ない謝罪だけはしておいた。


「で、仮にその鳩がドラゴンがなったとして。一体どんなふうに人間と戦うんだ?」


「フッフーン、それはね」


 じゃん、と端が燃えカスになった一枚のポスターを取り出した。

 ポスターにはよくわからんUMAみたいものが描かれている。


「つまりは、これを燃やしたのが、そのドラゴンだと」


「そうそう、そういうこと!」


 彼女は嬉しそうにニッコニコしている。

 全く関係はないが、津森楓は変人だがとにかく見た目だけは抜群に良かった。

 だからその見た目に騙されて付き合ったりしようもんなら、彼氏、兼、被験体のハイブリッド交際となることは、ほぼ間違いないだろう。

 丁重に遠慮させて頂きたいところである。


「口から火を吐くことができるの! ね、ドラゴンぽいでしょ」


 なるほど、それは確かにドラゴンっぽい。


「でもさ」


 燃え跡を見ながら続ける。


「いってもこれってライターで炙った程度の燃え跡じゃんか。こんなんで本気で駆除しにきてる人間に太刀打ちできるのかな」


「まあ、そこはほら。わたしが可能性を与えたってだけだから、これから進化の過程でどんどん強くなっていくんじゃないかな」


「うーん、でも、やっぱり良くない」


「…………え?」


「もし鳩がそんな対抗力を持ってしまったらさ、それこそ人間は鳩ってか、ドラゴン? を根こそぎ殺処分しちゃうだろうさ」


「でもっ! だったらあの鳩たちはどうやって巣や家族を守ればいいの。無抵抗でただ駆除だけされてろって言う訳?」


 津森楓は心底納得いかないといった表情を浮かべる。


「そうは言ってない。それにそもそも日本では鳥獣保護法がある。鳩たちは本来、追い払われることも殺されることもない。法で守られているからな」


 確かそうだったはず。前に家のベランダが鳩の糞害にあったとき、調べたことがあったし、これは間違いなかったと思う。


「それに、もしだ。お前が本当に鳩をドラゴンに変えちまえるような発明力があるんだったらさ。鳩を変えるんじゃなくて俺たち人間を変える方がいいんじゃないか。例えば、鳩を本当に神聖な生き物とあがたてまつるようにする、とか。いっそのこと神にでもしちまったらいいんじゃね」


「……なるほど。私たちの意識そのものから変えるというわけね。それなら被害も出さずに争いもなく、鳩たちに自己防衛力を与えられるかも知れない。 やっぱりさすがね!」


 適当に言っただけだったので、何が流石なのかはわからないけど、納得してもらえたなら良かった。

 いい加減この話題にも飽きてきたところだったので、ちょうど良かった。

 彼女は手持ち鞄からメモ用紙を取り出して、さらさらと何かを書いてそれをそのままバッグに仕舞った。


 「じゃあ私はさっそく開発に取り掛かるから、またね! 次は、で会いましょう」


 そんな台詞だけを言い残して、津森楓はパタパタと走り去っていった。


「…………本当に変な女」


 右手には、あのボタン。

 帰り際に、「もうこれ使わないからアンタにあげる!どうせ明日には使えなくなると思うし」とかなんとか言って津森楓が渡してきたのを、なんとなく受け取った。

 日の光にかざしてみても、振ってみても、ただのプラスチックの塊としか思えなかった。


「ものは試しだ」


 そう言えばベンチの脇に土鳩がたむろしていたことを思い出した。

 鳩たちに逃げられないよう、恐る恐る近付いて、目と鼻の先まで来たところで、ボタンをグッと押し込んでみる。

 奥まで押し込まれたボタンは、指が離れると元の位置まで戻される。

 目の前の鳩はといえば、…………なんら、変化はなかった。

 押す前と押した後で、全く変わらない光景。

 鳩は、結局、鳩のままだった。

 ああ、

 

「アホらし。信じた俺もまた変人か」


 正直、ちょびっとだけ津森楓のいう突拍子のない話を信じてしまっていた。

 あいつなら、もしかすると、って。

 手に持っていたボタンを公衆トイレ脇にあるゴミ箱に投げ入れる。

 カラカラと小気味いい音を立てて、ボタンはゴミ箱へと収まった。

 きっと津森楓は笑っているに違いない。ああ、やっぱりあいつは騙されたって。


 置いていた鞄を担いで座っていたベンチを後にする。

 次は鳩たちを全く意識せずたむろ場所に踏み込んだことで、近くにいた鳩たちが一斉に飛び去っていった。

 その場に残されたのは、ポツンと俺一人だけ。

 額に浮かんだ汗を腕で拭う。こんなクソ暑い中、何やってんだか。

 にしても暑すぎる気が、それになんか焦げ臭いような。。。

 なんとなしに下をみると、履いていた靴から黒い煙がモクモクと立ち上っていた。


 「なんだこりゃっ!」

 

 足を必死にバンバンと踏み鳴らして消火する。

 少し先っちょが焦げ付いた靴。一体なんでこんなことに。

 鳩、ドラゴン、放火魔、靴、ボヤ騒ぎ……。


 「…………まさかな」


 俺はそそくさと公園を後にする。帰りに涼みついでにスーパーに寄ろうと思う。

 鳩の餌を大量に買い込んでおく必要もありそうだし。 






 

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