絶対に必要でとにかく急を要する旅

しろめし

絶対に必要でとにかく急を要する旅

 世界が変わってから半年が経とうとしていた。世界をおかしくしている流行り病が収まる気配は依然無かった。

 海外で新しい病気が出ましたというニュースが出たとき、片田舎の中学生でしかない僕には関係のない遠い世界の話だと思っていた。いや僕以外のほとんどの人だって他人事だと思っていただろう。

 しかし、いつしか僕の住む国でも病気は流行った。都会で流行り始めてきたときだって僕はどこか他人事だと思っていた。けれども、少しづつ僕の周りの生活は変わっていって、いつしかそれは他人事ではなくなっていった。

 楽しみにしていた映画がいつ公開になるのかもわからない。よく立ち読みしていた近所の小さな本屋も、家族でたまに食べに行っていた蕎麦屋も潰れてしまった。

 学校にもずっと行けない状態が続いていた。パソコンを使って受けるリモート授業にも随分慣れてきた。

 みんなが混乱して不安で落ち込んでる中で何とか以前の当たり前を取り繕っている。2020年夏はそんな季節だった。


 17時。退屈な授業が終わったと同時に僕はチャットアプリを立ち上げた。

「こっちは今終わった」

 数分後、既読マークが付き、ほぼ同時にメッセージが返ってきた。

「ごめん、こっちはもう少しかかるかも。18時からでいい?」

「了解」

 時計に目をやる。約束の時間まで50分もある。

 僕は日課の腕立て伏せを始めた。

 こんな生活が続いて家にこもりきりの毎日だ。せめて毎日運動はしようと思っている。

 学校に通えていた頃は部活でテニスをしていたため運動不足は感じなかった。毎日だるいなと思っていた練習も今となっては恋しい。

 腕立てが終わったあとは腹筋とストレッチを行った。

 筋トレもひと段落ついたため、軽く水を飲もうと一階に降り居間に入ったところ、兄ちゃんがソファに横になりながらゲームをしていた。兄ちゃんは数ヶ月前に都会からこっちに戻ってきた。流行り病のせいで景気が悪くなり会社が倒産してしまったらしい。兄ちゃんは「俺はもうおしめえだぁ」と毎日嘆いている。

「おうリョウ、今日もこれからエロチャットか」

「うるさい」僕は一蹴する。

「羨ましいなぁ未来ある若者よ。兄ちゃんはもうおしめえだよぉ」

「兄ちゃんだけじゃなくて、もしかしたらこの世界もおしまいかもね」

 僕は無職のどん底ニートを尻目に自分の部屋に戻った。


 兄ちゃんが言うエロチャットの相手、あさひちゃんは同い年の女子のことである。あさひちゃんとは県のテニス大会で知り合った。僕が会場の何処かにテニスラケットを置き忘れたところを見ていたらしく、わざわざ届けに来てくれたのが出会いだった。その時にいわゆる一目惚れというものをしてしまった。勢いに任せて連絡先を伝えたその時の自分にイイネを送りたい。

 その後もちらほらと連絡を取り合っていて、ここ最近は毎日取り止めのない話をするようにまで進展した。

「ごめんね、お待たせ」

「いいよ、全然大丈夫」

 その後はいつも通り何でもない話をした。今日の授業のことや、自粛が終わったらやりたいことなど話題は尽きなかった。


 チャットはお互いのお母さんからの晩ご飯の呼び出しで終わった。後ろ髪引かれるが、また明日も話せる。

 ちなみに決まった時間以外にチャットしたい想いはもちろんある。起きたらおはようを送りたいし、寝る前はおやすみを送りたい。しかし、ガツガツ行く勇気は無いしキモいと思われたら立ち直れないため、決まった時間に送り合うのが今の僕の精一杯である。

 晩ご飯を食べた後、風呂に入り、風呂上がりにアイスクリームを食べ、自分の部屋に戻り寝ようとしたところ、スマートフォンに通知が1件入った。確認するとクラスのグループだった。

「やばい!まさひろが飛び降りた!」

 まさひろは同じクラスという以外の共通点はなく、特に仲が良かったわけではなかった。しかし、同級生が飛び降りをしたという事実は衝撃で、心に刺さった。

 その後もどこから仕入れてきたのかわからないが、詳細について次々と投稿されていった。

 夜中に突然「俺はもうだめだぁ!おしまいだぁ!」と叫びながら2階の自室から飛び降りたらしい。軽い怪我で済んだとのことだが、だいぶストレスが溜まっていたとのことだ。


 布団に入った後も色々と考え込んでしまい寝付けなかった。まさひろも兄ちゃんも言っていた「もうだめだ」という言葉が頭から離れなかった。

 もしかしたら本当にこの世界はもうだめなのかもしれない。いつか何かの映画で見た地球が終わるときが既に来ているのかもしれない。

 そんなことばかり考えていたときに、僕の頭の中にあさひちゃんの顔が浮かんだ。たまらなく切なくなった後、物凄く熱くなった。そして僕は決心した。


 6時に目が覚めた。僕は1階の兄ちゃんの部屋にこっそり入った。兄ちゃんは布団の中で爆睡していた。

「兄ちゃん、おい兄ちゃん」肩を揺らす。

「おうっふ、なんだなんだ」

「兄ちゃんの自転車を貸してほしい」

「今何時よ」兄ちゃんは自分のスマートフォンで時間を確認した。

「まだ早朝も早朝じゃない。こんな時間にどこに行くというのか。ジャンプの発売日は昨日だろうし昨今は電子書籍でも配信していてだな」

「僕は今から愛を伝えに行こうと思う」

「なるほど、つまりどういうことだってばよ」

 兄ちゃんはもちろん事態を飲み込めていなかった。

「兄ちゃんも言ってたろう。もうだめなのかもしれないって。昨日さ、クラスメイトが飛び降りしたんだ」

「おい、やばいじゃん」

「もしかしたらさ、もうみんなだめかもしれなくてさ、世界も終わろうとしてるんじゃないかなってさ。だったらせめて最後に好きな人にちゃんと気持ちを伝えたいって、今すごく思うんだ」

「弟よ、よくわからないけどエロチャットの彼女に想いを伝えようとしているのだな。兄ちゃん察したぞ。だったらそれこそ不要不急の外出なんかせずに、メール一本投げればいいじゃない」

「兄ちゃんはそんなんだからその歳になっても彼女がいないんだよ!」

「んなっ!しかし!事実ゆえ言い返せぬ!」

「好きだって気持ちは!直接言わなきゃいけないんだ!」

「クソッ!20歳を超えると熱い想いに弱くなっちまう!わかった!チャリの1台や2台貸してやらあ!ちなみにどこまで行くんだ」

 僕は行き先を告げた。

「おいおいよ、チャリで行くには遠すぎるぜ。何時間もかかっちまうよ」

「それでも!男なら行かなきゃいけないときがあって!それが今なんだ!」

「熱いぞ青春中学生!分かった!兄ちゃんに任せろ!」

「任せろったって、どうするのさ」

「大人には、こんなものがあるんだよ」

 兄ちゃんは枕元に置いていた財布から取り出した免許証を自慢げに見せびらかした。

 

 兄ちゃんは、ニートで暇すぎて死にそうだから僕を連れてドライブして、ついでに回るお寿司を食べに行くと母さんと父さんに言い、半ば無理矢理母さんの軽自動車を借りた。

「よし!旅に出ようぜ若者!マスクしたか?」

 僕は助手席に乗り込んだ。

「なんか音楽かけようか」

「兄ちゃんの好きな曲はよくわからないアニメの曲だからいいや」

「悲しい」

あさひちゃんの家は僕の家から車で1時間ほどかかる距離にあった。兄ちゃんに住所を伝えカーナビに入力してもらう。

「それにしてもよく住所知ってたな」

「ちょっと前に教えてもらっててスマホにメモってたんだ」

「なんかエロいぞ」

「うるさい」兄ちゃんの頭を軽く叩いた。


 僕と兄ちゃんを乗せて車は走る。そういえばこうやって2人でドライブなんてのも久しぶりだった。

 窓の外に目をやる。平日の午前中というのもあるけど、歩いている人はほとんどいなかった。車通りも心なしか少ない気もした。

「なぁ兄ちゃん、世の中どうなっちゃうんだろう」

「何よ突然」

「だってさ、兄ちゃんは仕事無くなっちゃったし、僕は学校にも行けないし」

「そうだなぁ、少なくともこの病気が収まったとしても今まで通りって訳にはいかないんだろうなぁ」

「なんかすっごい悔しいな。僕たちは何一つ悪いことしてないのにさ。本当に世界は終わっちゃうのかも」

「世界が終わる前に、冗談抜きで病気に感染して死ぬ可能性だってあるしなぁ。感染しなくても経済的に死んで家族みんなで首吊りなんてのもあるし」

「もうお先真っ暗だよ」

「でもさ、最近兄ちゃん思うんだよ。何か今すっごい生きてるなって。仕事なくなっちゃったし、正直メンタルのダメージも凄いし、大不況で次の働き口も見つからないし、何なら死ぬかもしれない病気が流行ってるし。もうだめだって思うよ。それでも、だからこそこうやって可愛い弟とドライブしたり、忙しくてできてなかったゲームを毎日やれたり、あっちで働いていたときはたまにしか会えなかった父さんと母さんに毎日会えるのが凄く楽しい。辛いことも沢山あるけど楽しいこともいっぱいあるから、トータルで考えたらどっこいどっこいなのかもな」

 普段はテキトーでしょうもない兄ちゃんだが、この時は、上手く言えないけれども、兄ちゃんだなって思った。

「リョウだってそうだろう?」

「え?」

「内面ヘタレマンが女子に告白するなんて相当じゃないか?これで成功したらさ、トータルで考えたらプラスに振り切れるんじゃないのさ」

「ははっ、それもそうかも」

「今日の昼飯はお祝いの寿司だな」

「兄ちゃんより先に彼女できちゃってごめん」

「何をこの野郎!」


 その後も他愛のない話をしていたらあっという間にあさひちゃんの家の前に到着した。

「よし!若者よ!当たって砕けてこい!」

 僕は助手席を降りた。

 降りたはいいものの、チャイムを押す指が震える。勢いだけで来てしまったが、このまま帰りたくなってしまう。

「あれ?リョウくん……?」

 上の方から声が聞こえた。見上げると、部屋の窓を開けたあさひちゃんがこちらを見ていた。

 会いたくて仕方なかった彼女の顔を見たとき、緊張とか恐怖の感情は吹き飛び、ずっと言おうと思っていたことが、するりと口から出てきてくれた。

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