のぞいた先の。
瀧本一哉
令和2年5月5日。
白い明かりが部屋の中に入っているのを感じて、自然と目が覚める。ここ数日アラームをかけていないから、いつも昼過ぎまで寝ている。今日もそんな感じかな、なんて思いながら右手をぐいーっと伸ばし、布団から少し離れたところにあるスマートフォンのホームボタンを押す。
「8:29 5月5日火曜日」
画面に表示された時刻と日付は、あまりに自分らしくなくて、なんだか笑ってしまった。僕にしてはずいぶん早起きだ。それに珍しく二度寝しようと思うほどの眠気はなかった。昨日はパソコンで写真の整理をしていたから、目が疲れて早く寝たんだっけ。
5月5日、か。世間一般的には「こどもの日」。でも僕にとっては、いや、僕たちにとっては「あの日からちょうど一年になる」という意味のほうが大きかった。まぁ、有り体に言えば「付き合って一年の記念日」だ。
あの日、カメラを持ち始めたばかりの僕は、屋上で一つ下の後輩、唯さんに「提案」をされて、どこかむずがゆくなるような高揚感の中で、その言葉に頷いた。実のところ「あの日」というのは令和元年の5月6日で、大体は明日が記念日になるんだろうけど、僕たちは「今年はうるう年だから」なんて変な理由をつけて、今日、令和2年5月5日を記念日、ということに決めていた。
そんなことを考えながら、布団をたたむ。いつもは出しっぱなしだけれど、せっかく早起きしたから、いつもと違うことをしてみた。健康的な朝だな。と、つぶやく。「君の声が聞きたいな」と続く有名な曲のフレーズが頭の中に流れる。でも実のところ、そこから先の歌詞とメロディはよく知らない。
まぁでも、「君の声が聞きた」くなった。今日は記念日、ということは決めていた僕たちだけれど、「今日、何をするか」ということは全く決めていなかった。そんなところが僕たちらしくもある。考えてみれば、一年たっても僕は基本的に「唯さん」と呼んで敬語で話すし、唯さんも僕のことを「先輩」と呼んで、まるでただの後輩かのように話す。名前を呼ばれるのは、彼女はなにか悪戯っぽく物事を言うときだけだ。自分たちのことながら、変だよなぁ、とは思うけれど、こんな不思議な距離感が心地よくて、多分それはきっと唯さんも同じなんだろうと思う。僕らは周りから見たら少し変わってて、少し劇的で、少し浪漫的。でもきっと、それこそが僕らなんだろうと思う。
機能の残り物の朝ご飯を済ませている間、いつものようにスマホでTwitterをチェックしていると、LINEの通知。珍しく唯さんのほうからメッセージがきた。その内容は1年記念日の割には随分と彼女らしく、通常運転で、笑ってしまった。そして、私もまた、いつものようにすぐに返信する。
「先輩、海に行きましょう。」
「わかりました。待ってます。」
それから一時間くらいして、唯さんが車で迎えに来てくれた。こういう時、よくあるドラマみたいに僕が運転をするべきなのかもしれないけれど、実家が遠方なこともあって車を持っていない私は、結局いつも、おしゃれな内装の軽自動車の助手席に落ち着いている。
綺麗な海岸線を左手に見ながら、南へ進んだ。僕たちの住んでいるところの近くに、有名なビーチはあるけれど、それよりも少し遠いところに、人気のなさそうなビーチの心当たりがあったので、そこを提案したのだった。
「先輩、あれからちょうど一年ですね。」
いつも通り助手席でスマホをいじっている僕に、唯さんはそう言う。僕は
「そうだね」
とだけ返して、僕らの年の差のことを考えていた。あれから一年が経って、僕は大学4年になり、唯さんは3年になった。あっという間だ。でも、また1年後、僕は就職で地元に戻ることになっている。その時僕たちはどうするんだろう。この関係のままでいるのか、それとも。隣に座っている彼女は、どう考えているんだろう。
そんな考え事は、結局ビーチに着いても続いていた。この周辺の人しか知らないであろう、少しさびれた海水浴場。でもビーチとしては100点満点なくらい綺麗で、白い砂浜と打ち寄せる波、青い海と空。そのコントラストがまぶしい場所だった。もう夏の足音が随分と主張が激しいようだ。
そんなビーチで、唯さんはまるでこどものように、はしゃいでいた。いつもは真面目で、勤勉で少し近寄りがたい雰囲気さえある彼女は、こういう時にだけ張り詰めた糸を緩ませたような笑顔を見せてくれる。僕は少し離れたところでその表情を、ファインダーから覗いて、白と青の絵画のような情景と一緒に、閉じ込めていった。そういえば、あの日もこんな画の写真を撮ったっけ。でもあの日よりも、海への距離が近くて、唯さんの表情も無邪気だった。
「今日はこどもの日、というより、唯さんの日ですね」
なんて少しの意地悪は飲み込んで、イヤホンで音楽を聴きながら波打ち際を歩く彼女に
「なんだかね、映画のワンシーンで見たことあるような感じだよ。」
と声をかける。唯さんはうまく聞き取れなかったようで立ち止まって聞き返してきた。と、その隙に白い波は彼女の足元まで迫ってきていて、それに気づいた彼女は少し慌てて、でもやっぱりはしゃぎながら、後ろずさっていた。その様子が可笑しくて、笑いながら僕はシャッターを切り、唯さんのほうに近づいた。
ちょうど唯さんの後ろのところまできて、なんとなく二人で海を眺めていると、唯さんが口を開く
「先輩、もう4年生ですね。」
うん、そうなんだよ。さっきも考えてたんだ。
「唯さんは3年生ですね。」
僕がそう返すと、きっと同じことを考えているであろう彼女は
「知ってます。」
と、いつもよりも力のない声で呟くように言った。うん、この距離感の、この関係で、こういうことが日常的にできるのはもう、1年もない。その事実をかみしめながら、でも、強がって
「僕だって知ってるよ。」
そう言った。たぶん、通じ合ってる僕らはいつもみたいに軽く笑いあって、そのあとには少しの沈黙が流れた。このまま時が止まって、この景色の中に溶け合っていけたら、いいのに。
あと1年もない中で、そのあとのことも考えなきゃいけない中で、僕は何ができるんだろう。この「いつもみたいに」ができなくなったとき、僕らはどうするんだろう。いろんなことが浮かぶ。不安ばっかりだ。でも、きっと、唯さんはもっと不安かもしれない。僕たちはかなり、わかりあうことができているとは思う。でも、まだまだ、お互い知らないことはたくさんある。そりゃあ、お互い20年生きてるもんな。
だからこそ、今僕にできることは。
唯さんを後ろから抱きしめる。彼女もそれに手を添える。
ただ僕にできる、「愛」とやらを注ぐことだけだと思う。そんな口に出せないような思いをかみしめながら、ただ、腕の中のぬくもりを感じて、少しだけ、ぎゅっ、と力を込めた。
のぞいた先の。 瀧本一哉 @kazuya-t
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