働かざる者食うべからず

吉宮享

働かざる者食うべからず

 目が覚めた。

 ベットから起き上がる。部屋の姿見には、冴えない寝癖頭のパジャマ男が幸薄そうに立っている。いつも通りだ。

 洗顔し、反抗期の髪をとかす。少し目が覚めた。


 頭が働き始めたところで、台所に移動する。

 米を炊き始め、その間に料理をするべく冷蔵庫から食材を取り出す。

 みそ汁に入れる豆腐やなめこ。卵と数種の野菜。そして作り置きしていたハンバーグの肉種。

 朝から肉なんて胃に重いと言う人の気が知れない。重いと感じるのは普段から規則的で健康的な食事を行っていないからだ。

 例えば長期間放置していた車では、すぐにエンジンがかからないこともある。

 大事なのは定期的でバランスの良いエネルギー摂取により体を慣らすことだ。

 むしろ健康体の自分としては、胃にもたれるほどの量の肉を食べてみたいとすら思う。


 食事は、身体を作り活力を生む原動力。それは自らの血となり肉となる。

 朝食はその第一歩。布団の魔力から脱した人間に告げられる、一日の開始の合図だ。決しておろそかにしてはいけない。


 手際よくサラダとみそ汁、卵焼きを作り、ハンバーグの肉種を焼いていたところで炊飯器のアラームが鳴った。

 出来上がった食べ物を皿や茶碗によそうと、手を合わせてから一言。


「いただきます」


 変わらぬ食卓の平和に感謝しながら、食事をとる。

 今日も、満足な出来だった。


 食事の後は登校の準備に移る。

 冷蔵庫に入れていたおかずと、朝食の残りを弁当箱に詰める。みそ汁は夕飯用に冷蔵庫へ。最後に食器を洗って台所を離れる。

 その後歯磨き、排泄など諸々こなしてから寝間着を着替える。

 制服姿で姿見に現れた自分は、心なしか先刻よりも血色が良い。朝食のおかげだ、間違いない。


 準備は万端。しかし油断は禁物。家の電気と火元と通学鞄の中身を確認してから靴を履き、玄関のドアを開く。


「行ってきます」


『安食』と書かれた表札を掲げるこの家の中から、応える声はなかった。




   ◆◇◆◇◆




 午前の授業が終わり、昼休みになった。


「安食君、ご飯食べよ」


 葦原あしはら和樹かずきは大きく伸びをしながら、前の席の住人に声をかける。


「そうですね」


 安食あじき凪沙なぎさ

 着崩すことのない制服。目、耳、襟を隠すことのない模範的な髪形。成績は学年トップで、教師からの信頼も厚い。絵に描いたような優等生だ。


 教室の席が名簿順で決まるため、安食と葦原は席が前後になっている。

 それがきっかけで、二人は高校入学以来仲が良くなり、二学期になった今でも交流は深い。昼食を一緒にとるのも恒例のことだ。


 今日もまた、二人は机を合わせて鞄から弁当や水筒を取り出す。

 安食が弁当箱の蓋をはずし、その中身が晒される。

 ハンバーグ、卵焼き、煮物や炒め物など。多種の食材がバランス良く盛り込まれておりその中には冷凍食品の類はない。

 安食凪沙という人間の特徴として一つあげられるのが、彼の『食事』へのこだわりだ。


「それ、全部自分で作ってるんでしょ? すごいよね」

「誰が作ったかもわからないものや添加物ばかりの食品を食べたくないだけですよ」

「それに、いつ見てもおいしそう」

「こだわって作ってますから。仕入れの段階から手を抜かないで、良いものを選んでいます。できればお金をかけずに良い食材を手に入れたいものですが、なかなか難しい」

「こだわるねー」


 言いながら葦原も自分の弁当箱を開ける。


「それでは、いただきま――」

「おーい、安食」


 廊下からの呼ぶ声に振り向く。すぐ横に開いた教室のドアから、担任の小林教諭が顔を覗かせた。


「なんですか?」

「次の授業で使う機材のセッティングをしたいんだけど、悪いがちょっと手伝ってくれないか?」

「嫌です」


 反射的ともいえる綺麗な即答であった。安食は言葉を続ける。


「『働かざる者食うべからず』とよく言われます。これは反対の意味でとらえるなら『働いた者には食べる権利がある』ということです。乳児は泣くのが仕事というし幼児は遊ぶのが仕事です。そして学生の仕事といえばもちろん勉強。僕は登校してから現在までのカリキュラムを完璧にこなしました。仕事をこなした僕には、当然、食事の権利があります。先生は僕からその権利を奪おうというのですか? もし僕がきちんと勉学に励んだか疑念があるようでしたら、本日の授業内容を余すことなく説明して差し上げますよ」

「学年一位のことを疑うわけないだろ」


 二度目になるが、安食を語る上で欠かせないのが彼の『食事』へのこだわりだ。

 普段なら教師からの頼まれごとにも嫌な顔せず安食だが、食事のときだけは別。安食は、食事を正当な権利として、邪魔されることを嫌う。しかし――


「頼むよ。この作業が終わらないと、私も昼食にありつけないんだ。でも一人だとちょっと時間かかりそうで――」

「わかりました」

『気変わり早いね!?』


 葦原と、依頼人の小林教諭までもが声を合わせて驚いた。


「働いた者には食事の権利がある。教鞭をとり雑務をこなした先生にも、もちろんその権利はあります。僕の助力で先生の平和なランチタイムを守れるなら、喜んで承ります」


 安食は食事を邪魔されることを嫌う。そしてそれは自他問わない。


「働いた者に与えられる食事の権利は平等です。侵害されるなどあってはなりません」


 他人の食事の時間を守るためなら、安食は協力を惜しまない。

 言動や態度こそ冷たいようだが根は優しい人なのだ、と葦原は思っている。


「それでは、手早く終わらせて昼食にしますか。先生、行きましょう」

「ああ、ありがとう」


 安食は弁当箱と水筒を鞄にしまって席から立ちあがると、礼を告げる小林教諭の方へ歩く。


「先生、俺も行きましょうか?」

「葦原もありがとうな。でも、二人いれば十分だから大丈夫だ」


 そう言って、小林教諭は廊下を歩き始める。


「僕のことは気にしないで、葦原君は平和なランチタイムを」


 安食も小林教諭に続き、教師から離れていった。

 取り残された葦原は、少し考えてから弁当箱を鞄にしまった。


(一人で食べてもつまんないし、安食君が戻ってきてから食べよ)


 鞄から本を取り出す。図書室へは食後に行こうと思っていたが、時間ができたので先に本の返却をすることにした。

 しかし、この判断が不幸を招くこととなる。


「お、葦原じゃん」


 図書室からの帰りに遭遇したのは、自分をいじめる不良二人組だった。






「おや?」


 十五分後、教室に戻った安食はまず、葦原の姿がないことを不思議に思う。

 しかし朝に本の返却がどうこう言っていたから、図書室にでも行ったのだろうと思い至り、昼食を再開した

 結局葦原が戻ってきたのは、昼休み終了の予鈴がなるころだった。


「遅かったですね。図書室にいたんですか?」

「うん……まあね」

「そうですか。……ところで、手や顔に傷があるようですけどどうしましたか? 制服も少々汚れてますし……」

「ちょっと転んじゃってね。大したケガじゃないから大丈夫だよ」

「ならいいんですけど……。一応、保健室に行ったほうが良いのでは?」

「……うん、そうだね。ちょっと行ってくるよ。わるいんだけど次の授業の先生に遅れるって言っておいて」

「わかりました」


 安食の了承を聞き、葦原は今しがた入ってきたドアをくぐる。


「あ、最後にもう一つ」


 教室を去る葦原に向け安食は一つだけ、問う。


「昼食は、お済みですか?」


「……ううん、ちょっと本に夢中になっちゃって……。次の授業の後に食べようかな」


「そうですか」


 葦原の背を見送りながら、安食はその『におい』を再度、確かめた。




   ◆◇◆◇◆




 放課後、屋上。

 立ち入り禁止の場所だが、ここを拠点とする二人の不良生徒がいた、


「やっぱあいつおもしれーわ」

「なー。葦原、サイコーだろ」

「購買でカツサンド買ってこいっつったら『ごめんなさい、売り切れてました……』って! 当たりめぇだよ、あんなに出遅れて売ってるわけねーだろってんだ! カツサンドの人気なめんなよ!」

「それに、あんまり必死な顔するもんだから楽しくて、ちょ~っと脅してやったら、わざわざコンビニまで行ってカツサンド買ってきてくれんの! ほんっとサイコーのパシリだわ!」


 ひゃはは、と品の欠片もなく高らかに笑う。

 と、そのとき。


「どうも、こんにちは」


 ドアを開き、屋上にやってくる優等生の姿があった。安食だ。


「誰だてめぇ」


「ただのこの学校の生徒ですよ。強いて言うならば、葦原和樹君の友達です」

「葦原の? へー」

「で、一体なんの用だ?」


「あなたたちですね? 葦原君にケガをさせたのは」

「何言ってんだ? こいつ」

「言いがかりもいい加減にしろよ。証拠でもあるってのか?」


 今しがた話のネタにしていた少年のことを棚に上げ、不良たちはすっとぼける。


「証拠は『におい』です」

「は?」


 不可解と言わんばかりに、不良は素っ頓狂な声をあげた。


「昼休みの終わり際に教室へ戻ってきた葦原君に濃くついていたにおいが、あなたたちのものと一致します。なので少なくとも、昼休み中にあなたたちが葦原君と一緒にいたことは間違いありません」

「においなんて、そんなデタラメ証拠になるかよ。てめぇは犬か何かか?」

「ほら、ためしに『ワン』って吠えてみろよ。そうすりゃ今の無礼は許してやるから」


 不良たちは、安食の言葉を冗談とあしらい、下卑た笑いを浮かべ続ける。

 しかしそんな態度を気にすることもなく、安食は続ける。


「犬とは失礼ですね。僕は食事をできるだけ良いものにしようと心がけています。その過程では料理の香りを楽しむこともまた一興。普段からにおいを気にしていたら、嗅覚が敏感になった。それだけです。……というかそもそも僕、さっきのあなたたちの会話を聞いていましたので、証拠というならばすでに言質が取れてます。一応録音もしました」

「ちっ、てめぇ聞いてたのかよ」


 ごまかせないとわかると、不良の一人が面倒くさそうに舌打ちをする。しかしすぐに、悪びれた様子もなく開き直った。


「で、俺たちが葦原をいじめてたらどうするってんだ? ここで仇討ちしようってか?」

「いえいえ、仇討ちだなんてとんでもない。そんな殊勝な心がけではありません。ただ単純に、僕があなたたちのことを気に入らないだけです。相手が葦原君だからというわけではなく、他人の食事の邪魔をする人を、僕が許せないだけです」

「言ってくれるじゃねぇか。っつーか、結局は俺らとやりあおうってことだろ?」

「喧嘩するつもりはありません。……ところであなたたち――」


 安食はここで、唐突に話の矛先を変える。


「――昼食はどうしましたか?」

「は? 昼食?」


 眉根を寄せて首をかしげる不良。質問の意図が読めない。


「はい、昼食です。本日は昼食をとりましたか?」

「そりゃあとったに決まってんだろ。俺たち食べ盛りの高校生だぜ」


「まあ、そうですよね。しかし、昼休みに貴方たちと行動を共にしていた葦原くんは、授業が始まる直前になってようやく帰ってきました。葦原君に昼食の時間がなかったというのに、貴方たちはいつ昼食をとったのですか?」

「そりゃー、オレたち授業出てねぇからな。昼休みに葦原パシって買わせた飯を、午後の授業の間にのんびり食ってたぜ」


「なるほど、わかりました」

「あ? 何がわかったってんだよ」

「あなたたちが、どうしようもないクズ野郎だということがです」

「……」


 不良たちの表情が凍りつく。明らかに、この空間の空気が死んだ。


「あなたたちは、自分の責務すらこなさないのに人並みに食事だけはする。それどころか他人の食事の邪魔さえする。あなたたちに存在価値などありません」

「てめぇ、言わせておけば!」


 不良の一人が痺れを切らし、安食に殴りかかってきた。安食は、その拳を片手で受け止める。


「なん……だと……!」


 しかし不良の驚愕はそれだけにとどまらない。

 安食はそのまま不良の拳を――握りつぶした。


「――っあああああ!」


 叫び声を上げ、不良は床にのたうち回る。


「あまり骨は砕きたくないんですよ。食材に異物が混入するのはいただけません」


 痛がる不良を余所に、不敵な笑みでセリフを吐く安食。

 その背には、黒く尖った羽のようなものがはためいている。人間のものとは到底思えない。


「先ほども言ったように、僕は決して喧嘩しに来たのではありません。これから始まるのは――一方的な捕食です」


 そのとき、不良たちの目には、安食の姿が悪魔と重なった。


「あなたたちの命、いただきます」


 そしてそれが、不良たちが最後に見た光景だった。




   ◆◇◆◇◆




 僕は、異質だ。

 道行く人々のことをおいしそうだと思ったのはいつからだっただろうか。

 物心ついたときにはもう、そうなっていた。それだけに、自分が異常だと気づくには時間がかかった。

 両親に相談した。彼らは僕の言葉を真に受けず、ろくにとりあってくれなかった。

 誰も自分の相談にのってくれない。

 それではものは試しと、僕は人を食べてみることにした。

 そのときはまだ、殺しはいけないという最低限のモラルはあったので、僕は自分を食べてみた。

 腕にかぶりつき、自らの肉を削ぐ。

 痛いけど、今まで食べたどんなものよりもおいしかった。

 そんな僕の様子を見て、気味悪がった両親は僕を捨てた。

 僕を家に残し、逃げ出した。

 彼らは自らの子を育てることを、放棄したのだ。

 自分の責務を――放棄したのだ。


『働かざる者食うべからず』。


 責務を果たさぬ者に食事の権利はない。

 それはつまり、生きる権利がないに等しいのではないか?


 ――働かぬ者は、殺してしまっても構わないのでは?


 だから、僕は両親を――






 目が覚めた。

 ベットから起き上がる。部屋の姿見には、冴えない寝癖頭のパジャマ男が幸薄そうに立っている。その上いつもと違って少し体調が悪そうだ。

 原因はわかっている。食べすぎだ。


「なるほど、これが『胃がもたれる』という感覚ですか」


 こんな理由で自分が体調を崩すなど、思ってもみなかった。

 とはいえ、身体の訴えとしてはごくわずかなものだ。大した問題ではない。

 ならばこの程度で朝食の献立を変えることもないだろう。

 今日もまた、朝食とともに、新しい一日が始まる。

 この『食事』という日々の平和をかみしめながら、安食は今日も欠かさず告げる。


「いただきます」

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