第2話 その青春は冬の木立のように朽ちてゆく

 私立薫風くんぷう高校の裏庭は、この学校に通う不良にとっては楽園と呼ばれている。


 人が滅多に寄り付かない資料棟と呼ばれる倉庫がわりに使われる建物の影に作られたこの場所は、入り口の都合上資料棟をぐるりと回り込まないとたどり着けない構造になっている。

 その上、資料棟が南からの日光を遮るので著しく日当たりも悪い。


 しかも無駄に敷地が広いこの学校にはもっと広く手入れが行き届いた中庭が二ヶ所もあって、ほとんどの生徒はそこに通う。

 必然、裏庭は多くの生徒や教師から忘れ去られた場所になり、そこに目をつけたのが俺たち不良だったという訳だ。


 立地の不便さから、授業間の小休憩では使えないが昼休みとなると話が別だ。学年を問わず集まった不良たちがダベったり、タバコをふかしたりして自由な時を過ごす。俺もそんな不良の一人だった。



◇◇◇



「あ、榊先輩。ちっす」

「お、カイト君じゃん。お疲れさん」


 今日もいつものように聖地に向かった俺は、入り口に立っている三年のさかき先輩に声をかける。


 榊先輩とは朱莉あかり先輩とつるんでいたときにそのつてで知り合った。


 元々は野球部に所属していた榊先輩は、一年の秋に上級生の指導という名の行き過ぎた暴力によって、選手生命を断たれるほどに肩を痛めて部からドロップアウトした。


 事を荒立てたくない学校側と部員側の思惑によって、先輩はかなりの金額を見舞い金として手に入れた上に、学校内では半ば特権階級ともいえる地位を手に入れていた。

 病院の診断書などで暴力の証拠を全て押さえてあるので、もし関係者が先輩に手を出せば刺し違える他無いので、教師一同も見て見ぬふりだ。

 先輩はその立場を利用して、同じように学校生活をドロップアウトした不良達を集めて、見捨てられた場所である裏庭に不良の楽園を創ったのだ。


 そして、俺はそんな榊先輩のことをかなり信頼し、尊敬している。


 俺みたいに手前勝手に身を持ち崩した不良とは違って、先輩が不良になったのはちゃんとした理由がある。

 情熱を傾けていた野球の道を断たれ、しかも道を断った側の思惑でそれを公表することもできなかった先輩の無念はいかばかりだろうか。恐らく、相手とのやり取りの中で人間の嫌な部分もたっぷり見させられたことだろう。俺なら人間不信に陥って、他人との関わりを一切絶っても仕方がないと思う。


 それでも先輩は人と関わることを止めなかった。一般的に見れば不良の仲間など褒められたものではないのだろうが、人には人の理屈があるように、先輩にも先輩の理屈があるのだ。

 

 周囲に流されることなくひとつの芯を持って自分の理屈を貫ける先輩が、俺にはとても尊い存在に見えた。


 絶対に無理だとは分かっていたが、俺も先輩のように芯の通った生き方ができる人間になりたかった。


「今日は先輩が立ち番ですか?」

「ああ、俺はもうヤニ入れたからカイト君も一服してこいよ」

「あざっす、遠慮なくいかせてもらいます」


 礼を言って軽く頭を下げる俺に、榊先輩は返事がわりにひらひらと手を振る。


 薫風高校はこの辺りでは割とお上品な高校なので、不良といってもその程度も数も知れている。

 せいぜい飲酒や喫煙レベルのちょいワルが各学年に数人いるくらいだ。


 故に、この学校の不良は人数の少なさをカバーするために学年の垣根を越えて集う。そこには年齢や力による上下関係はなく、ただ「不良」というレッテルを貼られた者同士の連帯感があった。


 先ほど俺が口にした「立ち番」などはその最たる例だ。

 人気の無い裏庭とはいえ、偶然教師やほかの生徒が通らないとも限らない。だから、裏庭を使用する不良の中から毎日誰か一人が見張り番をやることになっているのだ。


 この「立ち番」は榊先輩が1年の頃に提案して始めたものだ。年が経ち先輩が3年になった今でも、先輩は自分が始めたことだからと率先してこの役目をやってくれる。


 こういった義理堅さも、俺が先輩を信頼する理由の1つだ。


 裏庭に足を踏み入れると、そこでは既に何人かの不良がタバコをふかしていた。どれも見知った顔ばかりだ。軽く右手を挙げて声をかけると、皆の顔が上がる。


「よっす」

「おー、カイト君じゃん。おつかれさーん」「今日遅いじゃん?」

「あー、ちょっと職員室に提出物出しに行ってた」

「うわ、カイト君真面目かよ!」

「ったりまえよ、俺は普段はゆーとーせーなの。ヤニの臭いつけて職員室に行きたくねーのよ、分かる?」


 他愛もない会話を交わして、俺は校舎の壁にもたれ掛かると制服の内ポケットからタバコの箱とジッポーライターを取り出す。

 タバコの銘柄はマルボロの赤箱で、ライターは別れ際に朱莉先輩から貰ったものだ。


 箱の底を弾いて飛び出したタバコを一本摘まむと、さっと口に咥えて火を点ける。ゆっくり息を吸ってじっくりと煙を肺に落とす。煙が肺に満ちたら、一呼吸置いてから細く長くそれを吐き出す。もう慣れきった一連の動作。


 空中に溶けるように消えていく紫煙を眺めて思う。


 …………不味い。


 タバコを吸い始めてもう半年以上経つが未だにタバコは不味い。相変わらず臭いも最悪だ。


 それでも俺はタバコを止めない。


 表では優等生のふりをして、裏では先輩に勧められたマルボロの赤箱を、先輩から別れの記念に貰ったライターで、苦手なのがバレないようにあえてゆっくり時間をかけて味わう。


 こちらから連絡を断ったはずなのに、俺はまだ朱莉先輩の影を追いかけている。もしかしたらまた先輩がふらりと俺の前に現れることを期待して。


 我ながら女々しい奴だと思う。いつまでも居なくなった彼女でもなかった女の影を追っているのだからそれも当然だ。

 さっさと諦めて次に進めばいい。それぐらい俺にも分かっている。でも、それができない。


 だって俺には芯が無いから。


 榊先輩のように、自分の中に自分なりの芯が通っていればこんなにも悩むことは無いのだろう。どんな状況に置かれてもそれさえあれば自分らしさを失わずに生きていけるから。


 でも、芯が無い俺は風任せ波任せ。状況に合わせてあちこちふらふら行ったり来たりだ。何か新しいことを始めようにも、自分の中にその新しいことを繋ぎ止めておくための芯が無いからどうしようもない。

 このままではいけないという漠然とした焦りだけが心の中で空回りしている。俺の青春が指の間でじりじりと燃えるタバコのように空虚に浪費されていく。


 誰か俺をここから連れ出してくれよ。


 この期に及んで、未だに他人に救いを求めている俺は本当に救いようの無い阿呆あほうなのだろう。

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