イ斬瑠リユウ

 生きる理由なんてのは「あの漫画や小説、映画やドラマの続きが観たい」そう言った些細なことでいいんだよと言う人がいますが、それはその人が生きる理由になり得る物を見つけられているというだけであって、生きるのが辛いと思っている人全員がそれを見つけられているかと言うとそんなことはないと思います。そもそも生きる意味を見つけられている人は、本当に死にたいとか思ったところで行動には移さないですしね。それにもし好きな小説の続きが読めるとして、それと引き換えに生きられるかと訊かれると自分は無理な気がします。どれだけその小説が好きだろうと、どれだけその小説の続きを読みたくても、やはり生きるのは辛いのです。それでも人は生きろと言います。なぜでしょう。なぜなんでしょう。それは多分、周りのためなんでしょうねきっと。自分が死んだら家族が悲しみ、人によっては友達が悲しみ、有名な人ならばファンが悲しむ。そういう周りの人を悲しませないために人は生きる意味がないとしても生きるしかないのではないでしょうか。けどこれだと、家族も友達もファンもいない人は、どうすればいいのでしょうか、大人しく死ぬしかないのでしょうか、けど世間は自殺を選んだ人がどういった境遇にあろうと逃げたと判断します。自分はこんな辛い人生なのに頑張って生きてるんだ、なのになんでこいつはさっさと楽になるんだ。ずるい! と逃げたと言います。でもこれをいう人たちはきっと、逃げたくても逃げれない人たちなのだと思います。だって逃げたくもない人たちは、もし逃げてしまった人たちがいたとしても気にもしない──気にしたとしても可愛そうとしか思わないのではないでしょうか。可愛そう、辛かったよね。ってきっと言うのでしょう。けどそんな言葉本当に死にたい人たちには届きもしません、だって辛くない人たちに言われたとしてもそんなの僻みにしかならないのですから。じゃあどうすればいいのかと訊かれるとわからないです。だってもうその人はきっと亡くなってると思います。話がわけわからなくなってますけど、結局悲しませる人がいない人の生きる理由や意味ってないのかもしれません。けど、死ぬのってどんなことよりも怖いじゃないですか、だから生きているのだと思います。世の中で一番怖いことから逃げて逃げて逃げている。それが生きるってことなのかなってこれを書いている間に答が出ました。なのでまとめます。

 もし死ぬとかそんなの考えられないぐらい幸せな人はそのまま生きてください。

 もし些細なことで生きる意味が見つかった人は、それを希望に生きてください。

 もしそんな些細な生きる意味を見つけられない人は、死から逃げてください。怖いものからは逃げてください。

 神様はきっと越えられない壁は作らないと同時に、逃げられないような壁も作らないと思いますから。

 

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