第91話 奇縁 【1/2】
部屋はカナリア専用だったはず。
いつもの癖で部屋に入る前に《
誰かがいる。しかし、危険な雰囲気はない。
そこまで判断をつけたカナリアは、確認せんとばかりに、おもむろに部屋の扉を開ける。
まず最初にカナリアを迎えたのは強い酒の匂い。
そして、目に入ったのは、椅子に座り、小さな丸テーブルに上体を突っ伏しているクレデューリであった。
「遅いぞぉ! カーナ!」
カナリアを見るや、少しだけ頭を起こし、胡乱げなままに声を上げた彼女は、酒に酔って出来上がった事を全く隠していない。
クレデューリが酔っ払ったまま帰ってきて、入る部屋の場所を間違ったのではないかとカナリアはまず考えた。
しかし、その考えは、彼女が薄い肌着だけを着ており、使っているテーブルの下に酒瓶が数本転がっていることで否定される。
つまり、クレデューリはカナリアの部屋だと分かっていて侵入して、さらに酒を飲み散らかしていたのだ。
状況の理解が出来たカナリアは、すぐに対応を決め、行動を開始する。
カナリアは扉を開けた動作をそのまま逆進行させて、静かに扉を閉めた。
酔っている人間が奇行をすることなど、ままある話である。
クレデューリのような堅苦しい人間ならば、猶更鬱憤も溜まっておかしくなるのだろう。
見なかった事にすればいい。覚えていたら明日にでも彼女から謝罪でもされるだろう。
うん、代わりに受付で他の空き部屋を用意して貰おう。
カナリア自身が祝勝会で相当疲れていた事もあり、対応は面倒事を全力で回避する方向に決まっていた。
扉を閉めて、何も見なかったと背を向けたところで、部屋の中から音が響く。
何か重いものが落ち、立て続けに瓶が割れる音。その後に続くのは、クレデューリのすすり声であった。
「私はどうすればいいんだ……カーナ……」
カナリアの耳は、静かにむせび泣くようなクレデューリの声を敏感に捉える。
その場から離れる予定だったはずの足は止まっていた。
カナリアは、再度クレデューリがここにいる意味を考える。
クレデューリは間違ってカナリアの部屋に侵入したわけではない。
彼女は何か理由があってカナリアを待っていて、待ちくたびれて深酒したのではないか。
疲れている時に面倒事を持ち込まれるのは困る話ではあるが、すぐに判断を修正したカナリアは、シャハボを撫でて彼に対応をお願いする事にした。
丁寧にノックを二回。その後でシャハボがドアの外から話しかける。
『何かあったのか?』
「……何もかもだ……」
クレデューリの声は酒で喉が焼けたのか、泣いたせいなのか、かすれて聞き取りにくいものであった。
それでも聞き取ったシャハボは、クレデューリに会話は出来るぐらいの判断力は残っていると理解し、質問を続ける。
『カーナに何か用があるのか?』
二度目の質問に帰って来るのは、ぐっすぐっすと鼻をすする音のみ。
何か話をしたいが、声もまともに出せない状態らしい事をカナリア達は感じとる。
『話をしたいのならば、酒抜きぐらいしてやろうか?』
直後、部屋の中から聞こえたのは、再度何かが倒れた音だった。
おそらくは、立ち上がろうとしたクレデューリが、酔いのせいで姿勢を崩して倒れたのだろう。
「……すまない。お願い出来るか……」
囁くような声が聞こえ漏れる部屋のドアを、カナリアは開ける。
床に転がった瓶のいくつかは割れていた。
そして、予想通りクレデューリは床にしゃがみ込んでおり、瓶の破片でその手は血まみれになっていたのだった。
カナリアは、なんとかクレデューリを椅子に座らせた後、心配で見に来た宿の従業員に事情を説明し、念のために別の部屋もお願いして帰していた。
とりあえずの処理を終えた後、改めて未だに放心状態でいるクレデューリに《
酔いが醒めていくにつれ、クレデューリの顔はどんどんと青みを増していく。
真っ青になったところで、ようやくまともな思考能力を取り戻したのか、彼女は視線を伏せてカナリアに謝罪した。
「……ありがとう。そして、失態を見せた。本当に済まない」
【気にしないで。そんな時もある】
すぐにカナリアは石板で答えたのだが、頭を下げたままのクレデューリはそれを見ることはない。
彼女は、シャハボが『頭を上げろ。石板を読め』と言うまで頭を上げずじまいであった。
カナリアはクレデューリが石板を読んだ後、何も言わずに自分の荷物からマグを取り出して、《
一瞬はためらったものの、クレデューリはそれを受け取り、しっかりと飲み干していた。
【少しは落ち着いた?】
「ああ。落ち着いたよ。少なくとも失態で恥ずかしくて死にそうなぐらいにはね」
一息ついたクレデューリの声は、幾分落ち着きを取り戻したようではある。
しかし、彼女の顔の青さは変わらない。
【何があったの?】
「……酷いものさ」
そう言ったクレデューリは、テーブルの上に置いてある二通の手紙を手に取った。
それらはいかにも重要そうな物ではあったが、端は既に酒か水でぬれて文字がにじんでいる。
カナリアにそれらを手渡そうとするクレデューリではあったが、彼女の眼は見たくもないとばかりに手紙から背けられていた。
「祝勝会の前にバティストが言っていた、私宛の手紙だよ。本来私しか読んではいけない機密だが、君ならば読んでいい。
口で説明できれば良いんだが、どうにも纏まらなくて……」
言葉の端が詰まるあたり、クレデューリの心は重症のようであった。
カナリアは、むやみやたらに他人のいざこざに首を突っ込むような性分ではない。しかし、状況が状況だけに、仕方なしにカナリアはその手紙を読む事にする。
どちらの手紙も非常に高価そうな装丁が施されていた。
まずは軽そうな方からと、比較的簡素な方を先にカナリアは選んだのだが、一通目からその内容は重苦しい。
クレデューリの弟であるペリッシュという人物が、非公式の演習中に亡くなったらしい。ペリッシュが継ぐ予定だったデブリ家の家督は、クレデューリの伴侶になる相手が継ぐ事になるから、早く帰ってこいとの内容であった。
クレデューリが遠方にいる事も考えて、帰還の猶予は三年と記されており、それ以内に帰ってこないと、親族にデブリ家の家督が移譲される旨もそこに含められていた。
【ご愁傷様】
カナリアは一言、石板をクレデューリに向ける。
「ああ、私たちは二人の姉弟でね。武勇と知勇に優れて、よく出来た弟だったんだ。
弟のペリーが家を継いでくれるなら、ペリーならば何事もなく安心できると思っていたのに……」
彼女の悼む声は、止まらない。
「ペリーは本当に可愛かったんだ。小さくて子犬のようだったと思っていたら、突然大きくなってね。
気が付いたら私で勝てないぐらいに強くなっていた。彼ならばいい家庭を築けて、デブリ家をより大きく出来ただろうに……」
クレデューリが言っている名前が幼称なのか愛称なのか、話を聞くカナリアにはわからなかったが、少なくとも彼女が弟を溺愛している事だけは確実であった。
とうとうと弟の事を語り続けるクレデューリは、カナリアが黙って聞いている事にようやく気付いて言葉を切った。
「ペリーは……いや、すまない。話過ぎたな。
もう一つの手紙も読んでくれ。そちらはアモニー王女からの直筆だ。
それで何が起こったか、全てわかるよ」
促されるままに、カナリアはもう一つの手紙にも目を通すことになる。
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