第46話 赫灼 【6/6】

「今や、全権を委ねられた私が、オジモヴ商会の商会長です」


 「まぁ!」と、一番最初に声を上げたのはキーロプであったが、彼女でさえそれ以上の言葉をすぐには出せないでいた。


「父は、少なくともキーロプ様の輿入れが済むまでは、タキーノの治安維持等の折衝や管理をするそうです。

 それをするが為に商会長を降りると表向きに明言していたのですが、私には父がオジモヴ商会に戻って来る気が無い様に見えました。

 言葉にする事は難しいのですが、父の雰囲気からは何かそのように感じたのです」


 ウサノーヴァの言葉には、喜びよりも憂いや戸惑いの感情が強く出ている。

 本来は喜ばしい事なのではあるのだろうが、この状況下で突然飛び込んできた事態に彼女も困惑している事は、誰の目にも明らかであった。


『おめでとうと、ご愁傷様とどっちが聞きたい?』


 声を出せないカナリアは元より、キーロプすら口を開かない状況下で、シャハボが仕方なくそう尋ねた。


 ウサノーヴァはシャハボの方を向き、複雑な気持ちを隠さない表情で返答をする。


「そうですね、では、おめでとうでお願いします」


『じゃあ、おめでとうだな。

 良かったじゃないか、その年で商会長になれるなんて、大出世じゃないか。

 それだけ認められていたと言う事だろう?』


「状況が状況で無ければ、などと思ってはいけないですね。

 重責を改めて感じてしまっている所なのですが、素直に喜んだ方が良いことですかね」


 肩を竦めながらウサノーヴァがそう言った後で、思い出したように彼女はキーロプの方を向いた。


「ああ、申し訳ありません、キーロプ様。父からの言伝があったのを忘れていました。

 警備規則のせいで引退の挨拶に伺えない事をお許しください。だそうです。いずれ機会があればとは言っていましたが」


 そう話すウサノーヴァの表情は、イザックが来る可能性が薄い事を物語っていた。

 キーロプにもそれが伝わったようで、少しだけ悲しそうな面差しを見せたが、切り替えるのに時間は掛からなかった。


「わかりました。

 この場で、今までの労をねぎらう事はしないでおきましょう。イザックおじ様には、機会があれば是非にでもお会いしたいとお伝えください」


 そう言った後で、キーロプはいつもの綺麗な笑みを顔に浮かべ、改めてウサノーヴァに声を掛けた。


「ウサノーヴァ、一人目として数えていいのかはわかりませんが、私からも商会長への就任おめでとうございます。と祝辞を贈らせて下さいませ。

 その上で、早速ですが、新しいオジモヴ商会の商会長様に一つ仕事をお願いしても宜しいでしょうか?」


 キーロプの晴れやかな笑顔につられたのか、ウサノーヴァはそれに即答で返答をする。


「ええ、私に出来る事でしたら」


「もちろんですわ。では、商会長様には、見届け人になって頂けますか?」


「見届け人?」


「ええ、こちらの品をカナリアさんに贈与しようと思うので、その見届けをして頂きたいのです」


 そう言ってキーロプが出した物は一つの飾り箱であった。蓋を開けた中にあったのは、少しだけ捩じりが入った一本の手杖。長さはカナリアが元々使っていたものと同じぐらいだろうか、杖の先には緑の宝玉がついているだけのかなり簡素なものであった。


「この杖の銘は『小鳥の宿木ギー・ドワゾゥ』と言います。母、モエット・フンボルトが冒険者時代に愛用していた品です。

 カナリアさんの愛用していた杖と比べると見劣りする品物かも知れませんが、昨日の奮闘の対価としてこれをお受け取り下さい」


 キーロプから差し出されたそれに、カナリアは直ぐには触れようとしなかった。


「遠慮しないで下さいませ。本来は私の護衛が完了した際に、カナリアさんに、私からの感謝の気持ちとしてお渡ししようと思っていた物なのです。

 いくら契約があるからとはいえ、大切な私物まで惜しげもなく使うその姿に、私は感動致しました。

 どうせ私には使えない品なのです。カナリアさんに使って頂ければ、この杖もきっと喜ぶ事かと」


 再度差し出される手杖を前に、カナリアは思案する。

 カナリアの目に映るその杖は、元々持っていた物とは比較にならない代物であった。

 比較にならないほどの逸品。愛用のナイフと比肩するぐらいの能力を宿す様に見えるそれは、さしものカナリアにとっても反応を抑えきれないものであった。


 自然と伸びていた手を下げ、カナリアは石板を持ち直す。


【貰う前に、もう少し前の持ち主の事を教えてくれる?】


 精一杯の自制であると同時に、それは必要な質問でもあった。桁外れに性能が良い魔道具は、得てして、持つ者に危害を加える曰く付きの代物である可能性が高いからだ。


「ええ。お安い御用です。

 まだ紹介していなかったかと思いますが、エントランスの奥に飾ってある肖像画、あれが私の母であるモエットですわ。

 母もまた、父ペングや、ジョンさんと一緒にチームを組んでいた冒険者でした」


 カナリアはその肖像画にあった姿を思い出していた。

 キーロプにとてもよく似たその女性。確か違うのは、髪の色がキーロプは黒なのに対して、その肖像画の女性はカナリアと同じ金色だった事だけ。


「肖像画はカナリアさんも毎日見ているでしょう? この年になるとよく言われますわ、私はお母様とよく似ていると」


 カナリアはそれに頷く。


「キーロプお嬢様の髪の色は、この地で生まれたという証拠なのです」


『どういう事だ?』


 割って入ったウサノーヴァの言葉に対して、返していたのはシャハボだった。


「このタキーノの地で生まれ育った者は、皆黒髪なのです」


 ウサノーヴァはそう誇らしげに語る。


「ああ、いえ、モエット様やペング様の様な、艶やかな金髪がいけないというわけでは無いのです。

 ですが、キーロプ様が皆と同じ黒髪であると言う事は、ここに住む民としては非常に共感を覚えるものであります」


『ふん……そんなもんかね』


 カナリアが金髪であるせいか、どことなく不機嫌そうな声でシャハボは返し、そこにキーロプが言葉を被せた。


「髪の色の話はさておき、本題に戻りましょう。

 母モエットの事ですが、冒険者をやっている時には、チームの諸雑務は全て母の担当だったそうです。イザック様の様に完全に非戦闘要員といったわけではなく、戦いの際には、後衛で弓を打つか、前衛の二人の回復を主に行っていたそうです。

 母は優秀な回復魔法の使い手であったと聞いていますが、残念ながらその能力は私には貰えなかったようです。

 母は、私が生まれて間もない頃に他界してしまいました。もし存命であれば、色々と手ほどきを受けて才能が芽生えたのかもしれませんが、こればかりは仕方ない話ですね」


 カナリアは話を聞きながら、静かにシャハボの体を撫でる。


「その杖は、どこぞの依頼を受けた際に、偶然見つけたものだと聞いています。

 イザックおじ様が母から依頼を受けて、それの鑑定を受け持ったそうですが、この杖は正体が判明した時点ですぐに母に突き返したそうですよ。

 どうやら、名品中の名品だそうで、下手をするとこのタキーノ全ての物を買えるぐらいの価値があるとか」


 その言葉は嘘だとカナリアは感じていた。カナリアが持っていた手杖と違って、キーロプが差し出している物は、金銭で買えるような代物ではない。

 金銭でやり取りをする事すら、おこがましい類の品物であるとも。

 けれども、それをおくびにも出さないカナリアを前に、キーロプは言葉を続ける。


「ええ、この話は、私が子供の頃におじ様から聞いた話なので、私も半分眉唾だとは思っています。

 ですが、母が使い続けていた以上、それなりな品物であるのは間違いないとでしょう。

 ですので、使えない私が持つよりは、大恩あるカナリアさんに使って頂くのが筋かと思いまして。

 説明はこんなところで良いでしょうか?」


 カナリアは頷いた。

 キーロプが長々と話をしている間に、カナリアは無言のまま、シャハボとその杖をどうするかに対して話をつけていた。


 二人の出した答えは、【じゃあ、有難く頂くね】であった。


「ええ、どうぞ。そして、オジモヴ商会の商会長様、しっかりと見届けて下さいまし」


 手渡しをする前に、キーロプはウサノーヴァに声を掛ける。


「わかりました。モエット様の大切な遺品ではありますが、カナリアさんに譲渡するのであれば、私の方としても異論はありません」


 そして、ウサノーヴァの立会いの下で、カナリアに新しい手杖が渡されたのだった。


「カナリアさん、残りの期間も宜しくお願いしますわね」


【わかった】


 カナリアがキーロプに返事を返した直後であった。

 箱に入ったままの杖を眺めつづけるカナリアをよそに、わざとらしくその頭の上に位置を移したシャハボが口を開いた。


『貰っておいてなんだが、一つお願いがあるんだ。特にウサノーヴァにだが』


「なんでしょうか?」


『世間にはこの杖を貰った事を伏せておいて欲しいんだ。

 先に理由は言ってしまうが、カナリアを弱く見せたいんでな』


 それからしばし、シャハボは行おうとしていた策をウサノーヴァに説明する。

 本来は何も知らぬまま、自然な対応で行って欲しかった事ではあったが、致し方無いとカナリア達は判断していた。


 元の手杖を失った所で、任務に支障が出るわけでは無い。けれども、弱体化しているかしていないかと単純に考えるのであれば、しているのだ。

 カナリア達は、任務が終わった後で、早いうちに代替品を探す予定であった。それ故に、質のいいものを貰えるのであれば、ここで拒否する理由は無い。受け取った所で、事情を説明した上でこの任務の間には使わなければよいだけの事だと。



「わかりました。そういう事であれば、この件はしばし伏せておきます」


 説明が終わった後で、ウサノーヴァはすぐに了承を返していた。


「ですが、まさか、カナリアさんがそこまで考えていようとは思ってもみませんでした。

 流石、と言うべきなのでしょうか。常に先を考えるその姿勢、私も見習わなくてはいけませんね」


 感心しきりに話すウサノーヴァに、キーロプが向き合って返す。


「ええ、カナリアさんは凄いのですよ? 私を守ってくれる騎士様ですから。

 出来ればこの任務の後もずっとついて来て欲しい所ですけれど……」


 キーロプのチラッと向ける横目遣いに対し、カナリアは即答で石板を突き付けていた。


【無理。私にはシャハボがいるから】


 答えがわかっていたのか、さして残念そうにも見えない表情を取ったキーロプは、雰囲気を切り替えて二人に話す。


「ええ、わかっていますわ。ちょっとした冗談です。

 さて、お話も終わった所で、皆さんで夕食に致しませんか?

 ささやかではありますが、ウサノーヴァの昇進祝いを致しましょう」


 ウサノーヴァはすぐに返事をしなかった。まだ仕事が残っているのだろう、どうしようかと考えている彼女に、キーロプは追い打ちをかける。


「ウサノーヴァに拒否権は与えませんよ? 貴方の為のお祝いです。

 それに、お疲れなのでしょう? 私に捕まった事にして、しばしの間休んでいって下さい。

 それで仕事が無くなるわけでは無いのは承知していますが、ウサノーヴァ、あなた、控えめに言っても相当に疲れた顔をしていますわ。

 同じ女性としても、少し休む事をおススメしますわ」


 苦笑を返すウサノーヴァには、そのキーロプの言葉に反論するだけの力は無かった。

 ウサノーヴァとキーロプが見つめ合う間に、貰った杖をしまい込んだカナリアが、ここぞとばかりに割って入る。


【わかった。そういう事なら、私も手伝う。

 今日の夕食は腕に縒りを掛けて作るね】


「ええ、宜しくお願いしますわ」


 キーロプは何気なくカナリアにそう返していた。

 彼女は単純に、カナリアもウサノーヴァを祝ってくれている事に喜んでいた。


 事実、カナリアがそれを祝っている事に間違いは無いのだが、その先に待っている事までは、彼女は、いや、キーロプもウサノーヴァも想像がついていなかった。


 諦めたのか、一目散にシャハボがカナリアから距離を取る中、カナリアは自分の好みの味で麦粥と豆のスープを作る。

 ウサノーヴァから、誰が作っても酷い味にしかならないと太鼓判を押されていたその料理たちは、カナリアの手で進化していた。


 そうして、大量に投下された激辛調理料であるパンジョンの力を以て、食べられた物では無い味になった麦粥と豆のスープたちは、キーロプとウサノーヴァにも配られる。


 ウサノーヴァの昇進祝いの会は、惨劇を含みながら迎えられたのであった。

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