動物裁判

@Ak386FMG

第1話

 サルが包丁で人を殺したというニュースは、その殺された人がそのサルの飼い主であったこともあって、センセーショナルに報道された。連日、ニュース番組ではそのサルの殺人が取り上げられ、飼い主とサルとの関係性・飼育のされ方や近所の人からの聞き取り結果などをもとにした、コメンテーターや専門家の議論の様子が放送された。これに対し、一部ではサルの飼育を禁止せよという声も上がり、他方で、サルも人に近い存在であるからペットなどという扱いは許されない、サルも人と同じように尊重されるべきだ、などという主張もなされた。このような議論は、SNSによって、国民の間でも大きな議論になった。

 飼い主を殺したサルは、その後警察に逮捕された。報道によれば、サルは自ら警察に110番通報したとのことである。110番通報を受けた警察官は、最初、相手が何を言っているのか分からなかったが、電話のある位置を特定して駆けつけたようであった。そして、駆けつけた警察官により、サルは現行犯逮捕されたのである。サルはその後、検察へ送致された。


 検察官の佐藤裕二は、今年の1月、ようやく念願の検察官になった。検察は小さなころからの憧れであった。ドラマなどの影響もあったけれど、中学生のころにあった検察官の講演で、警察と協力して真実を追求するという姿勢に、よく分からない興奮を覚え、それがずっと胸の中に残っている。

 着任したばかりで、初の担当事件が何になるだろうと期待に胸を膨らませていたところに、サルの事件が舞い込んできたのであった。驚くというよりも、嘆きの方が大きかった。佐藤が着任したところは、地方検察庁であるため検事の人数も少なく、新任の自分まで狩りだされる結果となったのだ。いきなり身柄事件はきついですと言ったら、三席検事に、お前はこの仕事をなめているのかときつく怒られた。

 弁解録取の手続をし、結局勾留請求をすることとなった。

 佐藤は、初めてサルを見たとき、正直なところ、かなり驚いた。もっと小さいサルが、首輪か何かでリードをつけられて来るのかと思っていたら、中肉というよりは少し太っており、中背くらいの人くらいの大きさのサルが手錠・腰縄をつけられて入ってきたからである。毛は茶色いが、いろあせておりくたくたでぼろぼろのトレーナーとジーパンを着ていて、腹や腕や脚では毛がどうなっているのか分からない。それに、手錠をかけられているせいなのか二足歩行をしており、それが自然のようだった。佐藤は、警察がサルを連れて取調べの部屋をノックしたときに立って出迎えたが、あまりにも想像と違ったので、サルが佐藤の机の前まで連れて来られるのを、ただ口を開けて見ているだけであった。ようやくサルの腰縄がとられたところで、ふと我に返り、「ど、どうぞ……」と小さな声で被疑者に椅子に座ることをすすめた。そのときに、そのサルから、少し酸っぱいような臭いがしたので、佐藤は顔をしかめた。会話をすると、口臭はもっとひどかった。

 弁解録取の最中に佐藤の問に、サルはずっと何かを答えようと、キーキー言っていたが、何をいっているのかさっぱり分からない。とりあえず、サルに、被害者を殺したのはあなたなのかという旨を聞いてみると、キーキー言った後、結局首を縦に振った。弁解録取書を作成してサルに読み聞かせて内容を確認すると、今度はサルが、弁解録取書の犯行前の様子を記載した部分を指さしてキーキー言っている。身振り手振りを見ていると、もっと違った様子であったということを言おうとしているような気がしたので、ここが違うのかと聞くと、再びうなずいた。ただどう修正すべきか分からないので、ひとまず、弁解録取書には、わたしが殺した旨のみ記載することとした。

 こうやって困らせることが狙いとは思えないが……。こんな状況で真実を発見することができるとはとうてい思えなかった。佐藤は、通訳人を呼びたかった。弁解録取の手続きが終わり、サルが再び手錠を外され、腰縄をかけられる様子を見ながら、相手が人であれば、こんなことにはならないだろうなぁと思った。


 サルが逮捕されたという情報が日本中に伝わり、その地方の弁護士会の刑事弁護委員会内で、サルの弁護団を組もうという話が持ち上がった。特に、弁護士の山口ひとみは燃えていた。サルだから弁護が受けられない、というのはおかしいと思うのである。人の声がないからといって、彼の認識や思いが語られることなしに、彼の弁解なしに手続が進むのは、法治国家としておかしいのではないか。山口は、刑事弁護委員会に所属し、現在弁護士2年目であるが、サルにそもそも弁護が必要か、裁判の必要があるのかという話題が、刑事弁護委員会内でも薄笑いが起きながら出ていることに憤りを覚えながらも、自分が中心となって、弁護していくほかないと、腹をくくった。全国の刑事弁護の精鋭たちこの弁護活動を支援すると次々に発表した。動物愛護協会は、この弁護団を全面的に支援していた。このような状況を、報道では、サルに刑事手続が必要か否かとの建前を作り出して、様々な専門家を呼び、おもしろおかしく報道した。

 この弁護団は、サルの勾留請求が認められた後に着任した。


 山口は、留置場に行くと、ふぅっと息を吐いた。時刻は夜の8時を回っている。夕方まであっちこっちへバタバタし、その後急いで書面を起案していたために、少し疲れているけれど、これが今日、最後の、一番大事な仕事であった。初回接見。接見のセットは持ったし、名刺も持った。ノートもペンもある。気合を入れなおすと、肩のあたりで、ぽきっと変な音がした。

 接見室へ入るとすぐに被疑者のサルが部屋に連れられてきた。山口は、立って彼を出迎えたが、想像していたものよりも遥かに人間らしかったので、一瞬言葉を失った。見た目は若々しく、人間でいうと25歳前後であろうか。全体的に毛深いが、きちんと服を着ている。顔は確かにサルのようだが、人間でもサルやゴリラに似たような人がいるじゃないかと言われると、彼も人間に近いような顔をしている気がする。少なくとも、山口が想像していた、小さくてすばしっこいようなイメージのサルとは似ても似つかぬような存在であった。

 山口は、立った状態で名刺をアクリル板越しに示した。

「こんばんは、私は、弁護士の山口ひとみと申します。あなたの味方としてここに来ました。これからよろしくお願いしますね」

 山口は、いつものように笑顔を作って挨拶をすると、相手も軽く頭を下げたので、言葉が通じているようで少し安心した。

 しかしながら、言葉が通じたと感じたのは、そのときだけであった。結局、事件について何を聞いても、キーキー言うだけで何も分からない。頑張って聞き取ろうとしても、何も分からないのだった。クローズドな質問をするな、オープンな質問を心掛けなさいとは言われるけれど、このときばかりはクローズドな質問で聞いて相手が首をどう振るかで見極めるしかない。結局2時間ほどかけていろいろ聞いてみたが、彼自身が故意で被害者を殺してしまったということが分かったくらいだった。山口は、焦りを覚えながらも、黙秘権があり、今後は黙秘をするように伝えた。警察・検察がこの依頼者の言葉を、こちらと同様、理解しているとは思えないが、念には念を入れるべきであるし、理解できないからこそ、警察・検察の誤った理解をもとにした内容の供述調書ができてしまう可能性もある。山口は、彼が首を縦に振っているのを見て安心した。そのほか必要な説明をして、最後に何か困っていることがないか聞いた。しかし、やはり何を言っているのか分からなかった。山口は、結局、申し訳ないと述べて退散した。

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