ただいまちゃんとおかえりくん

霜月楓

第1話 アイドル



 ガチャリとドアが閉じる音と共にパタパタと足音が聞こえる。

 この家の主が帰ってきたことを察した青年は、台所のシンクで手を洗い着けていたエプロンで手についた水を拭いた。


「ただいまーーーーーーーっ!!」


 甲高い声を上げた女性が、扉を開けながら叫ぶように帰ってきた。

 いつになく騒がしいその声に青年はせっかく洗った指で耳を塞いでいる。


「……………」


「……………」


「……………ただいまーーーーーーーーっ!!」


「聞こえてるから。おかえり」


 返事をするまで叫び続けそうな彼女の様子に青年は苦笑した。

 ようやく返事を聞けたスーツ姿の女性は、満足そうな笑みを浮かべる。


「今日もお疲れさまでしたっ。さて結城春馬ゆうきはるまくん、今日のご飯はなんですかっ!」


「今日はぶり大根と鮭のホイル焼き。主菜がちょっと手抜きになっちゃったけど、ぶり大根がうまくいったから我慢して」


「手抜きだなんてとんでもない!いつも美味しいご飯をありがとうございます………」


「はいはい。いいから手を洗って、着替えてきなさい」


「了解しましたー。へへっ」


 そそくさと上着をハンガーにかけて、ぴょんぴょん弾むように洗面台へと向かう。


 わずかに間を置いて手を洗うために水が流れる音。

 そしてカチャカチャとベルトを外しているような音が聞こえてきた。


「ちょ、ベルトはずさないで!スーツは自分の部屋で着替えて!」


「えー、でも早く着替えないと御飯食べられないでしょっ」


「どうせ自分の部屋に入らないと着替えれないから!」


「時短、時短っ♪」


「もっと大事なものがあるんだって!もし出てくるとき下を履いてなかったら冬華とうかさんはぶり大根のぶり無しね!」


「ただの大根!!」


「はぁ…………………あ、あと年甲斐もなく『でしょっ』とか言わない。高校卒業して何年経ってると思っているのか」


「待って、取ってつけたような会話の流れでさらっと心を抉らないで!せめてそこいじるなら話の本線でいじって!」


「高校もう一回卒業してお釣りが来るよね」


「専門学校を卒業してからはそこまで経ってないんだから!」


 プンスカ怒りながら彼女は洗面台から出てきた。


 きちんとベルトは留まっており、スカートは落ちることなくしっかり腰の位置をキープ。

 脱ごうとした名残かシャツがおもむろにはみ出している部分に関しては、青年『結城春馬ゆうきはるま』は目を逸らして見なかったことにした。


「歳の話題は女性には禁止!一つまた社会人のマナーを覚えたね!」


「唐突にスカートを脱ぎだす社会人の語るマナーとは」


「うるさい!」


 そしてそのまま彼女は自分の部屋へと入って扉を締める。


「まったく春馬くんは…………………んしょ、あれ」


 ゴソゴソと着替える音が僅かに聞こえてきたので、春馬はポケットから音楽プレーヤーを取り出した。

 女性特有の生活音をなるべく聞かないように、イヤホンをして音楽を聞きながら料理の続きに取り掛かる。


「…………………」


「…………………ぁ痛っ、髪巻き込んだ」


「…………~~~♪」


「…………………これでよし」


「…………恋する乙女は~♪」


「あ、靴下も脱いじゃお。スリッパに履き替えて………っと」


「…………戦国の世における、征夷大将軍~~♪」


「待たれーい!」


「触れる財布に刀狩り………………え、何?」


 青年が大声に振り返ると着替えた女性『東雲冬華しののめとうか』が扉を開けた体勢で立っていた。

 ラフなパーカーとショートパンツをゆるく着こなしているが、解いた髪が僅かにボサボサと跳ねている。


 冬華が着替え終わったので、春馬はイヤホンを外してプレーヤーを仕舞う。


「なに、大声出して」


「ごめん、ちょっと気になっちゃってね。何ですか、今の奇特な歌は」


「『明日コンバイン買うんだ。』ってアイドルグループの『So good!恋は江戸幕府』っていう歌」


「あーこれツッコミ大変なやつだ。触れるのやめとこ」


「………?よくわかんないけど、いいからご飯運んでよ」


 不満そうに春馬が呟くと、ごめんごめんと冬華は皿をテーブルに運び始める。


 バターの香る焼きたての鮭。程よく味の染み込んだ大根。そして輝く白米にいぶし銀の存在感を示す茄子の味噌汁。お手本のような一汁三菜がそこにあった。


 そしてどうやら冬華の目にはその食卓が輝いて見えるらしい。


「やっぱ良いわね、和食………世界に誇れる文化だわ」


「こないだはグラタン食べて『洋食最高………開国万歳………』って訳のわからないこと言ってたけど」



「そんな昔のことは忘れたわ。美しい女は常に一瞬一瞬を生きるのだから」


「嘉永6年の黒船襲来に万歳していた人とは思えぬ一言をどうも」


 パタパタとスリッパの音を立てて冬華は席についた。

 それを見てから春馬がエプロンを脱いで、対面へと座る。


「それでは、今日もお疲れさまでした」


「ありがとっ。それじゃ、手を合わせて…………」


「「いただきます」」


 二人で一緒に挨拶をしてご飯を食べ始める。

 冬華は真っ先にぶり大根へ。春馬は一口お茶を飲んでから、鮭のホイル焼きへと箸を伸ばした。


「んーーーーーっ、大根が美味しいーーーー―っ!!」


「こないだ奮発して買った圧力鍋、いい感じだよね」


「あれ使ってくれたんだー。ちょっとお高かったけど、この味の染みた大根を食べて、買った決断は間違ってなかったと胸を張れるね」


「ん。これから料理のバリエーション増やせるから、楽しみにしてると良いよ」


「やったやった。へへ、やっぱりご飯が美味しいのは幸せだね~~」


「………………ん、そうだね」


 それからしばらく会話は途切れ、食事の音だけが響いていた。

 夢中で頬張りながら美味しさに唸る冬華と、食べながら改善点を頭の中で考えている春馬。


 ゆっくり食べる春馬に対して、冬華はあっという間に食べ終えた。

 彼女の皿に食べ残しは全く無く、米のひと粒に至るまで食べ尽くしている。


「ごちそうさまでしたっ」


「お粗末さまでした。お皿、シンクに置いておいて」


「はーいっ」


 冬華は言われたとおりに食器を重ねてシンクへと持っていく。

 がシャリと音を立ててシンクに食器を置いた彼女は、そのままリビングに置いてあるソファーに勢いよく飛び込んだ。 


「…………はしたないよ」


「んぅ………幸せならそれで良いのだ~…………」


「まったく」


 ダラダラとしている冬華を横目にようやく食べ終わった春馬も食器をシンクへと運ぶ。

 春馬が食器を洗いはじめ、冬華はリモコンを手に取りおもむろにテレビを点けた。


「ひぇー、すっごい下がってる怖いーっ」


「なにが?」


「株価」


「あなた株やってないでしょ」


「うん」


「なんだこの知能指数低い会話」


 食器を洗い終わった春馬は手を拭いて、冬華のいるリビングへと向かう。

 そのまま彼女が座っている二人用ではなく、一人用のソファーへと腰掛けた。


「ミニPCパソに切り替えよ。つべ見よつべ」


「はいはい。何見るか冬華さん決めてどうぞ」


「よっしゃ。じゃこないだ春馬くんが見てたポッテリコをレンチンしてみたやつ見ようかな」


「…………え待って、なに他人ひとのアカウントの閲覧履歴見てんの」


「いいじゃん減るもんじゃあるまいし。かわいいよっ、ポッテリコレンチンしてる動画見てる春馬くん想像すると」


「おっけ。じゃ冬華さんが共有アカウントで堂々とワニの産卵動画見てたこと、Tmitterに呟こう」


「ごめんなさい許して下さい。貴方のお母さんや友人が多数見ているSNSで私の奇特な行為を報告することだけは勘弁して下さい」


「まったく…………」


 ソファーの上で平伏ひれふしてる冬華と呆れたようにそれを見ている春馬。

 ため息を吐いて、春馬はマウスを操作して自身のアカウントを開く。


「って言ってもだいぶ前に投稿された動画だから、一度検索かけないとかなぁ」


「おっ。検索サジェストまでは見てなかったからワクワク」


「……………」


「冷めた眼が心に突き刺さるなぁ…………あれ?」


 苦笑しながら画面を見ていた冬華が声を上げた。

 春馬も、そのトップに出てきた生放送に手を止める。


「『明日コンバイン買います。』の緊急生放送…………?」


「え、春馬くんトップ画面に出てくるほど入れ込んでるの?この闇鍋アイドル」


「いや、奇特なグループだなぁ……って数曲MV見ただけ」


「ただの冷やかし」


「まあ、『Please say!住吉地区はご勘弁!』は個人的にツボに刺さったけど」


「正気か?曲名正気か?」


「他に見るものないし、これでいいか」


「え、あ、うん……………………見るんだ」


 春馬は生放送を開いた。

 動画ページが開かれる。そして、見出しには大きくこう書いてあった。




 『明日コンバイン買います。緊急解散生放送!』と。




「…………」


「…………」


 二人がなにも言えず黙っている中、放送はなおも続いている。


『この度は……急な解散になってしまい、申し訳ありません…………』


『解散の理由としましては、これ以上続けてもグループがよくなることはない、って言う共通認識が私達の中に生まれてしまって…………』


『はい……応援してくださったファンの皆さんを裏切ることと、結局誰もコンバインを買っていないというユニット名詐欺が許されるのかどうかが胸につっかえています…………』


『そうですね……あの、明日という曖昧な言葉の定義をどうにかしてその辺り解釈してもらえると………あ、『言い訳するな』………はい、すみません』


 青年はその動画ページをそっと閉じた。

 静寂が二人の間に訪れる。なんとも言えない空気が、二人の間に流れている。


「………………春馬くん」


「………………なに」


 感情のこもっていない声で青年は応える。


 数秒逡巡して、意を決したように女性は小声で春馬に囁いた。



「…………一緒にワニの産卵動画、見ようか」


「見ねぇわ」



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