XYZ

十七

  びらでぞめ       ひよじにど

  うきしまわ ぎみるぱい けとろざぐ

        ぱうだるわ

  ぺすふぢぷ がじおろり ねざぬげな

  ゆわけよん       おへえなづ


  P4896T19152e269


 五十五文字のひらがなと、十五文字の英数字。

 例の小半助教授の暗号だ。


 小休憩時など、おりをみて解読を試みている。

 万一、解けた場合、小半助教授に接触する必要がなくなる。そうなればしめたもの。時空のむらの発生する日まで、歴史改変の危険を冒す行為のいっさいをひかえてひっそりと待ち、一九九〇年からおさらば。任務完了だ。

 しかし実際には、そうそう都合よくものごとが運ぶようにはできておらず、百に満たないひらがなと英数字の羅列は、かたくなに扉の開放を拒む。


 もちろん頑強な錠門だ。新型コロナウイルスの制圧とその名誉、プラス五百万円の懸賞金という、名実ともに備えた褒賞に、何千何万の腕に覚えのある者が(そうでない者を含めれば何十何百万の有象無象が)群がり束になってかかっても跳ね返す程度には鉄壁。暗号技術に特段明るいわけでもない博が片手間に考えて攻略クリアできるほど甘くはない。

 たとえば、姪の大好きな小説風娯楽作品のごとく『なんか五秒ぐらいでさくっと解けちゃったんですけど〜w ええ〜、これそんな難しかったんですかあ〜?wwwww』などとはいかないのだ。


 無駄とわかりつつ、つい向きあってしまう心理は有象無象たちと同じ。もしかしたら偶然に、との雲をつかむがごときダメもとの精神。問題文の意味だけなら子供でも理解できるフェルマーの定理に通じる、あわよくばの無邪気な期待だ。


 一方で、もしかしたら解けそうな感覚があった。

 具体性を欠き、論理だった考えにはなんらいたっていない。偶然頼みと同じレベル。にもかかわらず、博は、確信にも似た予感をいだいていた。


 千尋の情報によると、小半助教授がそこそこに重度のアニメ・ゲームオタクであったことは、数学界隈の一部ではわりと知られた話らしい。

 かの国民的RPG『Dragónドラゴン El Guerreroエル・ガレロ』、通称『ドラゴエ』。シリーズの第三作『ドラゴエIII』は、発売日に全国に長蛇の列を作り社会現象となったが、その中に、職場放棄した助教授の姿もあったのだとか。同じようにアルバイトを欠勤した(そして早解きのため一週間、無断欠勤を続け、感無量でエンディングを迎えた徹夜明けに意気揚々出勤したら、当然のごとく解雇クビになっていた)博は親近感をおぼえ、氏が『メイソン五刻』の熱心なファンであると聞かされたときは、絶対うまい酒を飲める同志と確信した。


 小半助教授は一九六五年生まれ。博とは年代的にも同じで、少なからず共通の感性を有しているのではと想像きたいできる。愛のパズルのように解けない難問も、じっと見つめていると、どこか糸口が見えてきそうな、つかめそうな、漠然とした予兆があるのだ。


 止めて引くエンディングテーマがかかる脳内で、漫然とかぎを求めてみる。手がかりに手が届きそうな手ごたえがありながら、お手上げ状態で手をこまねいているのがもどかしい。いっそ、新宿駅の伝言板へ、三文字のアルファベットを添えて依頼でもしてみようか。

 ふ、と口もとをゆがめて、そういえばまだ連載は続いていただろうか、と博は画面右下へ目をやった。


 ――1990/07/08


 つかの間、日付の字面をじっくりと、見入る。

 PC横に置いたスマートフォンをそっと点灯した。ホーム画面のカレンダーにも同じ年月日が表示される。

 一九九〇年こちらに到着してから、情報端末の日時はすべて現地時間のものに変更してある。はるか遠い昔、CRTモニターで見たきりの、現在日時としての「1990」の表示。

 液晶画面のカレンダー表示にはいまひとつなじまず、どこか嘘っぽくて、それでいて、あらがいがたい現実感を突きつける数字の並び。何度見ても、居心地の悪い妙な気分にさせられる。暗号といい、短い数字が異様に存在感を帯びてくれる。


 博は頭をもたげ、ひらかれたカーテンと窓を通し外界を見やった。

 生ぬるい湿った風が、無遠慮に、排ガス混じりの街の匂いを五階の部屋へ届ける。昨日からどんよりと曇る空の下に林立するビルは、どこか退廃的なたたずまいだ。

 実際、金・カネ・かね――かねこそが正義の世紀末な世の中は、デカダンスそのもの――いいや、景気のよしあしの違いはあれど、金がだいたいすべてであることは二〇二〇年みらいもそう変わらないか――

 それはともかく、あの魔窟ビルの向こう、虚飾の東京まち横浜ふもとのさらに保土ケ谷ふもとで、平成博もCRTの黒いモニター上に「1990」の文字列を見ている。


 今夜だ。今夜、日付が変わって七月九日、鈍色のブラウン管を点灯けて目撃するがいい。の起こるさまを目のあたりにしろ。明朝、そのつるりとした肌が吠えづらをかくざまを横目に、悠然と上がり込んでやる。なにを遠慮する必要があるものか。自分家じぶんちだ。


 博は、文字どおり膝上ラップトップへすえたPCへ視線を戻し、昭和って髪もっさりにしないといけない縛りでもあるのかな、あと謎ハチマキ、それな――絵の練習やることもやらず取りとめのない雑談に興じる若いふたりへ頭痛を痛くしつつ、作業を再開した。


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