タイムパンドラボックス

十六

 Hi-Gの黒いスチール缶を傾けて、拓海がなんの気なしに問う。

 意外そうにぱちぱち瞬くリーダーに、彼は疑問を続けた。


「令和博さんに会った昭和博さんが拒否ることはわかってたわけじゃん? 昔、経験してんだから。なら実家へ行く前に対策できなかったのかなー、って」


 拓海のわりには多少は鋭いなとか、逆に、今さら気づいたのか、とじっと見つめる意味を取り違えて「あ、もしかして、サッカーの動画がその対策だった?」と拓海はあわてる。


「いや」明日ヒューストンサミット開催、との見出しの新聞を折りたたんで博は首を振った。「俺は知らなかった」


 四つ折りにした新聞をベッドの端に放り天井をあおぐ。


「え、なんで?」尋ねて拓海は思いつき声をあげる。「あー、玄関に出てきたあのクソダセえ奴、博さんじゃなくて別人だったとか?」

「でも、おじさんにすごい似てたよ。ダサかったけど」葵が首をかしげる。


「あれはもちろん俺だ」ダサいはよけいだ、とつけ加えて、否定。


「じゃ、なんで博さんはなんも知らねえの? 矛盾しね?」葵をまねるように首をひねる拓海は、またはっとひらめき、声高に指をさす。「あ、これがあの、なんとかっていうやつ? タイム――パンドラボックス?」


 パラドックスだ。

 なぜそんな器用な間違えかたをするのか。


「タイムパラドックスは――」

「そーそー、それ。パンドラの箱」違う。無視して博は進める。


「タイムパラドックスは起こらない。俺たちのやってきた時間軸は『二〇二〇年から一九九〇年へのタイムトラベルがおこなわれたことのない世界』だ」


 ベッドに片手をついて体を伸ばし、アニメ誌わきに置かれた葵の液晶タブレットを手に取った。電源を入れると、描きかけの人物画――この時代のタッチの練習途中らしいが、九〇年風味はないに等しかった――その横に、博は付属のペンで図を書き込む。


  1990

   ↓ タイムトラベルは起きていない

  2020


「これを俺たち五人はさかのぼってきた」


  1990

   ↑ タイムトラベルが起きる

  2020


「行動を起こすことにより歴史は書き換わっていくが――」


  1990

   ↓ 行動により変化

  2020


「改変前の世界から離れた俺たちには影響しない」


  1990 [俺 葵 千 不 バカ] ←変化しない

   ↓ 行動により変化

  2020


「博さん、オレん名前がねーんだけど」

「あるだろ」

「ねえし」

「これじゃ、たくみんがずっとおバカのまんまって意味に見えちゃうよ」

「葵に言われたくねーからっ」抗議する拓海に、五十歩百歩だろ、と内心あきれる。


「ともかく」博は図を範囲選択し消去した。「もともとの世界の歴史では、一九九〇年に俺たちは来ていない。だから俺には、未来の俺に会った経験がない」


 体を伸ばしてイラスト用のタブレットを葵に手渡し、わかったか、とふたりに問う。拓海は「なんとなく」――これだけ噛み砕いた図解でなんとなくかよ。

 一方、葵は「なんとなく」――おまえもか、と思いきや「――日本語でおk」


 だからおめーにおバカだのなんだの言われたくねーっての、でもたくみんだってなんとなくでしょお、なんとなくの意味あいが全然ちげーから、とぎゃーぎゃー、きゃいきゃい、ふたりはやりあう。どんぐりの背比べだよ……。

 底辺の争いとはいえ、我が姪のそこはかとなく深刻な残念無念さを改めて見せつけられて、ほう、と息を漏らす。こいつらこそ、パンドラの箱のごとく、あらゆる災厄の元凶とならなければいいのだが。


 ひそやかに不安を募らせつつ、博はベッド上、ノートPCへ視線を落とす。

 いくつもひらいたウィンドウのひとつへ目を向けた。



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