ひかりと夏休み
まさとし
第1話 加藤ひかりという人間
"加藤ひかり"は綺麗だった。
何をしても絵になる。そんな彼女の周りにはいつも人がいた。人から囲まれるなんて経験がない俺からすると、加藤ひかりはただただ憧れの存在で、関わることも近づくこともなかった。彼女のように人から求められる人は幸せなんだろうな、と一方的に少し羨んでいたくらい。
かといって、俺が不幸だったかというとそんなことはない。家族がいて、たくさんではないけれど友達もいた。勉強も運動も人並みにできたし、顔だってそこそこ。……たぶん。ずっと悪いこともなく、悪いこともせずに平和に穏やかに生きてきた。だから高校生の俺もきっとこのまま高校生活を何事もなく終えて、大学に入って、就職をして、普通に生きていくことになると思っていた。全てが上手くいくとは思わないけれど、俺のような人間に何かが起こるわけもなくて、起こるとしたら転落人生?そんなことになるなら何もない人生の方がマシだと考えていたから、俺は現状に満足していたし、これ以上を望むこともなかった。
結論から言うと、この高校生活で俺の人生を大きく揺るがすような事件は何一つなかった。まぁ、そんなものだろう。
けれど、たぶん、いや、絶対。俺はこの高校生活を忘れない。なぜって?それは決まってる。
高校二年の夏、加藤ひかりに出会ったからだ。
***
七月下旬、夏休みが始まり学生ならば誰もが期待に胸を膨らませるそんな時期。俺は一人憂鬱だった。階段を上り、人気のない廊下を歩く。セミの鳴き声と俺の足音だけが、廊下に響く。
俺はとある病気の手術で高校二年生の一学期を過ごしていない。四ヶ月程入院していたのだ。そのため、出席日数というかわいげのないヒロインを救出するために夏休み返上で学校に来なければいけなくなった。
二年二組のプレートが掲げてある教室に入ろうとして違和感を感じる。違和感の正体はすぐに判明した。何故加藤ひかりがいるのだろう。彼女の夏休みだけ光速で終わったのか?……ひかりだけに。
加藤ひかりは教室に入ってきた俺のことなど気にすることもなく最前列の席でゲームをしている。声をかけることなどできるわけもなく、無言で加藤ひかりの三つ後ろの席に座った。
教卓の方に目をやると指示の書かれたプリントが置かれていた。プリントを読むと、朝の九時から午後の三時まで教室で置いてある課題プリントを解いていればいいと書いてあった。……これは思ったより暇になりそうだな。
三十分もしないうちに飽きた。窓の外からセミの鳴き声と運動部の声が聞こえて来る。今日は風もあって比較的涼しい日だが、背中から汗が垂れてきてシャツがへばりついて気持ちが悪い。ふと前を見ると、前の席の加藤ひかりはまだゲームをしていた。
たぶん加藤ひかりは俺のことなんて知らないだろう。去年は別のクラスだった。加藤ひかりはその美貌ですぐに話題となり、俺は友達と隣のクラスまで見に行った記憶がある。
……どうしよう。話しかけてみたい。
というか、よく考えてみるとこれは美少女と仲良くなるチャンスなんじゃないか?運が良ければここからそ・ん・な・仲になれるかも……?
意を決して話しかける。
「さ、さっきから何のゲームしてるの?」
「っ!!」
加藤ひかりが驚いたようにバッと振り向く。長く美しい黒髪が弧を描いて宙を移動する。
俺は思いがけないリアクションに動揺する。
「えっ!?な、何?」
加藤ひかりはキッと俺のことを睨んだ。
「後ろから話しかけないで。後ろに居られるの嫌いなの」
「えっ、でも……「うるさい!早く移動して」
加藤が最前列にいるから、と続く俺の言葉を遮って加藤ひかりは不機嫌そうにそう言った。
俺は加藤ひかりの要望を断るわけにもいかず、渋々と席を隣の号車に移動させた。席を二つ前にして。
「……」
加藤ひかりが移動を終えた俺のことを見ている。
「な、何か?」
「別に何も」
「あ、あのさ、先生いつ来るか分からないし、ゲームはやめておいた方がいいんじゃない?」
「ふっ、小学生かよ」
「なっ!?」
加藤ひかりは俺のことを見下すように鼻で笑った。
俺はというと、憧れの美少女加藤ひかりの悪態に衝撃を受けていた。俺の想像していた加藤ひかりとかけ離れている。
俺の想像の彼女はもっと、優しくて、言葉遣いが綺麗な清楚な感じの女の子のはずだったんだけれど。
再びゲームに戻った加藤ひかりの方に目を向ける。
俺の想像していた清楚な少女などどこにもいなくて、そこにはゲーム機にかじりついて必死に
……結局こんなもんだよな。期待しすぎてしまった。
その時、ガラッという音がして教室の扉が開いた。
「「あ」」
加藤ひかりと俺の声がハモる。入ってきた先生はすぐに加藤ひかりの手の中にあるゲーム機に気がついた。
「はい、ぼっしゅーう」
先生は加藤ひかりのゲーム機を取り上げて「ちゃんと課題やれよ」という言葉とともにすぐに教室から去っていった。
加藤ひかりが顔を赤くして俺を睨む。
「何だよ、俺は注意したからな」
「知ってるわよ!はぁ、もう最悪!」
そう言い捨てて、机に突っ伏した。俺はどうすることもできず、仕方なく再び課題プリントに手をつけ始めた。カッカッとシャーペンの音だけが響き、沈黙が辛かった。
「ねぇ」
加藤ひかりがそう話しかけてきたのは俺が昼ごはんを食べようとビニール袋からコンビニで買ってきたものを取り出していた時だった。
「何だよ」
「それ」
加藤ひかりが指差したのは袋に入っていた漫画雑誌「中年漫画シャブ」。
「暇だから、見してよ」
「え、これを?」
「うん」
「え、これ結構えぐい漫画多いけどいいの?それにあのグラビア……とか」
「問題ない」
加藤ひかりは俺の机から雑誌をぶんどって、表紙を眺めた。
「この表紙の子ってうちの高校の芸能科にいる子よね」
「え?あぁ」
表紙に写るのは"水際美波"今をときめく清純派アイドルだ。ボブカットの柔らかそうな黒髪と白く輝く陶器肌、優しく微笑んだ顔が最高に可愛い。そして加藤ひかりの言う通り彼女はうちの学校の芸能科に属している。この近くにいるのに届かない感じが絶妙にイイ。この雑誌を購入したのも彼女がカバーガールをしていたのが理由だ。
「ふーん、可愛い子。こういう子がタイプなの?」
「えっ!?いや、まぁそういうことに、なるかな」
「そう、けどこの子胸小さいわよ」
予想外の返答に食べかけていたおにぎりが、喉に詰まりそうになった。
「ゲホッ。どこ見てるんだよ!美波ちゃんの魅力はそこじゃないんだよ」
「美波ちゃんって、……きも」
「なぁーー!?」
「あー、もううるさいな。あっ、この写真かわいい」
加藤ひかりがそう言ったページを覗き込むと、制服を着た美波ちゃんが机に突っ伏してこちらを見つめるポーズをしている写真だった。
「そうだよ!美波ちゃんの魅力はこういうところなんだよ!」
「……というと?」
「この少女な感じ!ここのほっぺに落ちてる髪の毛とか!無邪気な感じで可愛いよなぁ」
「髪?」
「そう、美波ちゃんの言えばこの綺麗な黒髪だよ」
「ふーん、けどさ」
「うん?」
「髪の毛ってトイレの床と同じくらい汚いのよ」
加藤ひかりはそう言って次のページの漫画を読み始めた。俺は加藤ひかりの情緒もくそもない発言に固まってしばらく動くことができなかった。
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