【落語台本】美南見今川(みなみいまがわ)

紀瀬川 沙

第一幕

一、神田竪大工町 長屋の場


大家 「おーい、八やー、八やー、八五郎やー、いるかねー?八やー、八やー、八五郎やー」

八五郎 「へぇーい、大家さん。聞こえてぁすよぉ。何かご用ですかぁ?」

大家 「何だ、いるのかい。一回で出てきなよ。まったく、何だって、お天道様がこうもご健在だってのに、一日中、大工仕事もしないで、いたずらに過ごしてるんだね?」

八五郎 「呼んどいてそりゃあひでえ。イヤァ、仕事をしたいのは山々なんですがねぇ、この所、無性に気に掛かることがでてきちまって・・・仕事が手につかねぇんですよ。まったく、面目ねぇ次第なんですがね」

大家 「少しは親方に腕を認めてもらえてんだから、精出さなきゃいけないよ。気に掛かることねぇ・・・。わかった、女だろう?全く水臭いねぇ、大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然というじゃあないか。あたしがヒトツ世話してやろうじゃあないか。えぇ、相手は誰かね、斜向かいのお時さんかぇ?」

八五郎 「違え違え。お時さんといったら、暮れに旦那を亡くしたばかりじゃねぇですか。まだ喪もあけてねぇ。洒落にならねぇですよ」

大家 「なんだね、男女の仲はお構いなしさ。昔から言うだろう、男やもめに蛆が湧き、女やまめに花が咲くってね。けどねぇ、お時さんじゃないってぇと、じゃあ、隣長屋のお妙さんかぇ?」

八五郎 「お妙さんたぁ、もう七十じゃないですか。いいですかい、悩みというのは他でもねぇ、ご高家のことなんでさぁ」

大家 「ゴコウケ、ゴコウケ、ゴコウケコゴコケコケコ、コケコッコォー。鶏かい?」

八五郎 「いや、ご高家たぁ、お上は高家旗本様のことよ」

大家 「何だい、そりゃあ。お前さんねぇ、自分の身の程を知らなきゃいけませんよ。お前さん如きの素寒貧が、ご高家旗本様の御令嬢にあくがるるとは、不届き千万、沙汰のほか。手打ちにしてくれるわぁ」

八五郎 「いやいや、大家さん、そりゃあ芝居の見過ぎでぇ。ちとお待ち下せぇな。そもそも、大家さんが思ってるような色恋沙汰じゃあございあせん」

大家 「へぇ、そうかい。だが、合点がゆかないねぇ。ずぼらなお前さんがそんなに悩むことねぇ・・・。話してごらんよ」

八五郎 「ええ、話しゃあ長くなりますが、この月の初めに熊五郎の奴に誘われまして・・・大家さんに言うことじゃねぇんですが、ちょいと仲の方(新吉原)へ行きましてねぇ。そこでの酒盛りの間中、ずっと、熊五郎の奴が、どこぞの軍談の受け売りか知らねぇが、本朝においちゃあ『源平盛衰記』から『太平記』、はたまた唐土は『三国志』まで、様々な来歴を述べ連ねるわけですぁ。その流暢な口振りに、女郎と来たらぁキャンキャンとはやし立てやがって・・・。それだけで済みゃ何も俺がとやかく言うことはございやせん。だが、熊五郎の野郎、俺が故事に明るくないのを知っていて、わざと話を振って来やがる。それにまごついてると、ああ、思い出しただけで胸糞悪ぃ、あの人を馬鹿にした顔・・・。えぇい、関羽雲長の身の丈が二丈なわきゃないなんて、こちとら知るかってんだ。てめえだって関羽なんざぁ馬鹿でかい籠細工でしか見たことねぇだろう?それが何を・・・さも三国時代に見てきたような嘘を言いやがって」

大家 「ほう、そんなことで怒っているのかい、馬鹿らしいねえ」

八五郎 「まぁ、そう言わないでくだせえな。で、そこで話頭に上ったのが、他でもない、今をときめく花魁は、三浦屋の藤壺高尾でしてね。憧れるなあ、なんて話をしていたんですがね。あれの懇意にしている旦那が、ご高家は品川備前の守なにがしとか言うらしく。そんなことを話しているところで、その品川様のお家の歴史について、俺が詳しいとか、熊五郎の奴が言いやがってねぇ。しどろもどろに誤魔化して凌ぎやしたが・・・。次行く時ぁ、馴染みの女郎に口上を求められちまいますよ。行けば恥を掻くだけだろうし、かといって行かなきゃ、お瀧に会えねぇし・・・〉

大家 「何だい、そんなこと。そりゃあ元より恋患いとは言わないよ。そんなこと、あたしゃ知らないね。それより、早く店賃を払ってちょうだいよ。もう半年近く払ってないんだからね。郭なんかに通ってないで、店賃に廻せってぇんだよ、この擂り粉木」

八五郎 「だから、誰が恋患いだなんて言いました。早とちりしたのはそっちだよ。こっちとら真面目に悩んでんのに。浮世風呂にもいうじゃあねぇか、『命に代えての山谷通い』ってな」

隠居 「ご免下さい、大家さん。八五郎のところにいたんですかぁ。捜しましたよ」

大家 「あら、ご隠居さん。どうしました?」

隠居 「いやぁ、昨日、近所界隈の寄合い連で一緒に御殿山まで物見遊山に行きましてなぁ。こりゃあつまらん物ですが、御土産です」

大家 「まぁ、ありがとうございます。こんな上物の海苔を」

八五郎 「ご隠居、ご隠居、俺の分は?」

隠居 「カァァッペッ(痰を吐いて追い払うような動作)。お前のなんかあるか。反対に、金を返してもらいたいよ。

(身を大家の方へ翻して満面の笑みで)そうだ、もうすぐ藤の花時がやって参りますからな、大家さん、どうですかな、今度亀戸天神までご一緒に参りませんか。それに、この正月もやっておったみたいですが、西国は太宰府から始まって上方に伝わり、この度江戸へやってきた『鷽替え』についてもあちこち尋ねて参りたいんでね〉

大家 「いいですねぇ。ぜひ行きましょう」

八五郎 「そんなことより、ご隠居さん、亀の甲より年の功だ、あんたなら知ってるだろう、ご高家品川様の始まりは何かね?」

隠居 「何だい、短兵急に。最近ちと耳が遠くなってのぉ、何?」

八五郎 「短兵急?それなら知ってらあ。座敷で熊五郎が言ってたぜ。なんでも、豪的に強ぇ唐人なんだってな。ってまあ、んなこたぁ、どうでもいいから。聞きてぇのは、品川様のことよ」

隠居 「お前もお前じゃが、熊五郎も余程の馬鹿者じゃの・・・。まぁよい、品川か、懐かしいのう」

八五郎 「おぉ、知ってるのかい?」

隠居 「知ってるも何も、北の吉原に南の品川と言えば、貌佳花の群れ咲くところ。わしも随分通い詰めたっけ・・・。そこで増上寺の坊さんと仲良くなったりしてなぁ。今でも教えて貰った経の一つ位、唱えてみせるぞい」

八五郎 「あぁ・・・違え違え。岡場所のことじゃぁねぇや」

隠居 「はて、他になんぞ、あったかな・・・。そりゃ江戸の話か?全然分からぬが、そんなに気になるなら、辻の角の手習師匠に聞いたらどうだ?あれは、今でこそ貧乏暮らしだが、元お侍様だったというから知ってるんじゃないかい」

八五郎 「そりゃ良いことを聞いた。遊びほうけのご隠居も、時には役に立つじゃぁねぇか。(ご隠居渋い顔)おっとそうとわかりゃ時間がもったいねぇ。今から行ってくるぜ。待ってろよ、お瀧〉

隠居 「手習師匠んとこに行くんじゃないのかい」

八五郎 「うるせぇ、のっぴきならねぇ事情があんだ。じゃあな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る