第89話 お風呂はついつい口が軽くなる
洗面器がクリーンヒットした黒猫は、頭をおさえながら叫んできた。
「いきなりなにすんねん!」
「それはこっちのセリフよ! 女子のお風呂のぞくなんて最低!」
「誰があんさんみたいな子どもの風呂なんか見るかいな!」
「なっ……」
なんて失礼な。
これでもおっぱいとかは一応ある方なんだそ!
それに、今日だってサイズを測りなおしたらちょっとおっきくなってたし。まあそれは乙女のヒミツだから言わないけど。
「ちょっと
脱衣所から扉ごしに声。お母さんだ。
「なんだか大きな音がしたけど」
「な、なんでもないよ。ちょっとすべりそうになっただけ」
「気をつけなさいよ? それにもう夜なんだから、ご近所に迷惑にならないようにね」
「は、はーい」
足音とともに扉から人影が消える。どうやらベルの声は聞こえていなかったみたいだ。
「心配せんでええで。オレの声はふつーの人間には猫の鳴き声にしか聞こえんからな」
いっそ聞こえてたらしゃべるのぞき魔の猫として警察に突き出してやったのに。
「それで、なに?」
湯船に肩までしっかりつかって、窓枠にちょこんと座るベルを見上げる。メガネをかけていないからその姿は若干ぼやけていた。あと念のため、両腕を組んで胸を隠すことにした。
「そんなトゲトゲしく言わんでもええやんか」
「お風呂でのんびりしてるところにいきなり来られたら、誰だって怒るわよ」
ほんと、いっつも現れたり連絡してくるタイミングが悪いっていうか。
「あんさんには、相談っちゅーか、頼みがあって来たんや」
「頼み?」
「ああ。後生の頼みや。あんさんにしか頼れへんねん」
「…………」
「な、なんや」
私は無言で、半眼でじいっと見つめる。
「……先に訊いておくけど、また私をダマそうとしてないわよね?」
「ダマすなんて人聞きが悪いで。オレは
「いやだってこの展開、初めて会ったときみたいだし」
思えばあのときの安
「それだけじゃなくても、ベルってばけっこう……いやかなり私に都合よく頼るでしょ?」
いきなりホワイトリリーと戦えって言ったり、牛丼怪人が暴れちゃったときとか。
「そ、そないなことは……ないことはないかもしれん、なあ」
「でしょ?」
「せやけど! 今回ばっかりはホンマにあんさんだけが頼りなんや!」
「ええ……」
ぽむ、と前脚で拝みたおしてくる。どうせここでノーと答えても、この黒猫は引き下がらないことは容易に想像できた。
なので私はしょうがなく、
「……とりあえず、話を聞くだけなら」
「助かるわ!」
「ちょっと、まだやるなんて1ミリも言ってないんだけど」
が、ベルはそんなことはおかまいなしにと話を続ける。
「あんさんには、ちょっとばかし
「はい?」
偵察って、アニメとかで頭のいいエージェントみたいな人がやってる、あの偵察?
「私、そんな器用なことできないって」
「気にせんでええ。別に難しいことはあらへんからな」
「で、どこに行けって言うのよ」
どこかの施設に侵入しろ、とかだったら即お断りだ。
「オレらのアジト、その下の階や」
「それって……」
「あんさんも知ってるやろ? ちょっと前に新しく入ってきた人間を。そこに探りを入れてきてほしいんや」
ベルが言う「ちょっと前に新しく入ってきた人間」。知ってるもなにも、その人は私が怪人からかばった人であり、活動休止中の人気俳優、
そして、
「ああ、ボスのところね」
「せやせや。ボスのとこ……って、ん?」
うんうn、とうなずきかけて、ピタリと動きが止まる。かと思えば、
「ちょ……あんさん……」
窓枠から落ちそうなくらいわなわなと震えだした。あと全身の毛がなんだかぞわぞわしていた。
「な、ななな、なんで知ってるんや!?」
「別に知ってたわけじゃないってば。なんとなくそんな気がしただけ」
確たる証拠があったわけじゃない。「もしかしたらそうかも?」くらいのレベル。
「でも今のベルの反応で確信することができた」
「んなっ」
とは言ったものの、そう思わせるような要素はたしかにいくつもあった。
透明マントで一緒に隠れたとき、私を怪しむようなそぶりがぜんぜんなかったり。アジトの下の階に引っ越してきたとき、ベルがそれを容認していたり。
「あんさん
「うるさいわね。引っかかる方が悪いのよ」
私のことはさんざんダマしてきたのに。
「それに、私に偵察に行けって言うなら、それくらい知っておくべきだと思うけど?」
「むぐぅ」
「で? どうしてそんなこと頼んできたのよ。しかもボスだってことは隠したまま」
訊きたいことは山ほどある。のぼせそうだから手短にはお願いしたいけど。
「むぐぐ……」
「ちゃんと説明してくれないと、頼みは聞かないからね?」
腕組みしながら首をひねっているベルに追い打ちをかける。すると、観念したように「はあ~」と息を吐いて、
「そ、それはやな――」
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