第2章

第68話 カラオケは誰と行くかが重要

 目の前で、天使が歌っていた。

 弾むような声は私の、聞く人の心を躍らせる。

 どんなに落ち込んでいても、つらい状況でも。希望を与えてくれる。


 そんな天使――もとい乃亜のあさんが、目の前で歌っていた。


「いえー! 乃亜かわいー!」

夢崎ゆめさきさん歌うまいじゃん!」


 歌い終わった乃亜さん天使に向けて、拍手喝采かっさいが飛ぶ。本物のアイドルみたいに視線を集める彼女に、私も小さく拍手を送った。


「やっぱ乃亜の歌はいつ聞いてもさいこーだよ」

「もー言いすぎだってば」

「そんなことないって。やなこと忘れちゃうくらいだもん」


 うんうん、そのとおり。

 私だってそうだもん。目をそむけたくなることを忘れることができていた。

 乃亜さんが歌い終わる、今の今までは。


 目をそむけたくなること――そう、例えば。


 私が今、クラスメイトとカラオケの一室にいることとか。


「よーっし、次あたし歌おーっと」


 右にはイケイケのギャル。


「おっ、その曲いいね! アガるぜ」


 左には、ハイテンションな男子。


「……」


 間に挟まれるは、陰キャの私。


 ほんと、どうしてこうなった……。


「にしても、もうちょっとで優勝できたのにねー」

「しょーがねーよ。A組、5人もバスケ部がいたんだぜ?」


 そう。事の発端ほったんはクラス対抗の球技大会。もちろん私みたいな陰キャは試合に出るメンバーになるはずもなく、ひっそりと終わるのを待っていただけ。

 だから『打ち上げ行こーぜ!』なんてクラスの誰かが言い出しても、参加するつもりはまったくなかった。なかったのに、


『ちーちゃんも一緒に行かない?』


 天使のほほ笑みが、私をつかんで離さなかった。


 ――結果、私はカラオケここにいる。できるだけ身体を小さくして。


「……」


 当たり前だけど、部屋の中はにぎやかというか、騒がしい。

 歌声にかき消されないように会話しようとするから、あらゆる音と声が入り乱れていて、まさにカオス。


 百歩譲って友だちと来ているとかなら大丈夫なんだろう(そもそも陰キャの私がそんな状況に置かれることは皆無だ)。だけど周りにいるのはほとんど話したことないクラスメイト、それもスクールカーストの最上位に君臨する人たちだ。まさに四面しめん楚歌そか孤立こりつ無援むえん


 本当なら、唯一まともに会話したことのある乃亜さんの隣にいたいところだけど、


「そーいえば乃亜、この間のドラマ見た? 神宮寺じんぐうじくんマジかっこよくてさー」

「見た見た、アクションもすごかったねー」


 頼みの綱の彼女がいるのは、私から最も離れた対角線上の席。


 うう、帰りたい……。


 乃亜さんと友だちになれて、そのほかにもいろいろ・・・・あって少しは変われたかも、なんて思いかけていたけど、そんなものはまやかし。コミュりょくなんてものはそう簡単に身につくものじゃない。


 どうせなら乃亜さんとふたりでお出かけとか……


『それからー、次は下着も買おうね?』


 って、いやいやいや! そういうのはまだ早いって! ……うん、まだ。


 それよりも考えるべきは、どうやってこの場を乗り切るか、だ。今の私に課せられた使命は言うまでもなく、この場で歌うことをなんとしてでも回避すること。

 たしか2時間パックで入ってたはずだから、耐え抜けばいいのは、あと1時間くらい。


 1時間なら、ドリンクバー&トイレで席を立つ作戦でなんとかなりそうだ。ふふふ、私だって無策じゃない。ここに来るまでの間にやり過ごす方法を必死に考えたんだから。


「私、ちょっとトイレ……」


 早速作戦を実行。私は小声とともに腰を上げようとして――


「あれ? 西村にしむらさんまだ歌ってなくない?」

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