やるんだ、自分の手で

 頭の中から魔法の術式が浮かび上がり、手元のシャープペンシルを動かしていく。この術式そのものに見覚えはないが、断片的に頭の中に入っている。その断片が勝手に飛び出し、勝手に噛み合い、一つの魔術を形成していく。

「ルーズベルト」

名前を呼んだと同時に、モフモフとしたクマの人形がリュックサックから飛び出した。優作は先ほどのレポート用紙の一部を切り取り、それをルーズベルトに張り付けた。

「————」


 ぽんっ!


 優作が呪文を唱えると、ルーズベルトの姿が変化した。それも、優作本人と全く同じ姿に。

「後で迎えに行くから、ちょっと待っててくれ」

そう言い残すと、優作は残りのレポート用紙を持って速やかに講義室から脱出した。


 たったったったった……。


 大学の敷地内を駆け回り、ちょうどいい場所を探す。こういうのは直感だ。まだ魔術の論理を深く理解していないから、頭の中に入り込んだ情報を頼りにするしかない。そして、その情報にアクセスする手段が、今のところ直感しかない。


 ——ここだ!


 優作は立ち止まり、複雑な文様を描いたレポート用紙を取り出し、それに息をふっと吹き込んだ。その後、レポート用紙を高く掲げた。

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


 ベリィッッッッ!


 思い切り力を入れてそのレポート用紙を破いた。すると、紙と一緒にその場所の空間が引き裂かれた。その場所に、傷口のようなものが出来上がった。

「来い! 俺の絨毯!」

優作が叫ぶ。


 ヒュゥゥゥゥウウウウ!


 空間の裂け目から、一枚の絨毯が飛び出した。黒く艶のある生地に、紅色、菜の花色、瑠璃色の細かい刺繍がなされている、雅な雰囲気と、若干狂気を感じるデザインの絨毯。


 空間を切り裂き、その裂け目を利用してあらゆるものをワープさせる魔術。人を運ぶのは難しいが、道具なら比較的簡単に運ぶことが出来る。とはいえかなり高度な魔術だ。まさか、思いつきでこんな魔術を使用することになるなんて。


 ドサッ!


 空高く舞い上がった絨毯が勢いよくコンクリートの上に落ちてきた。優作はその絨毯の上に乗り、一回深呼吸をした

 心を落ち着けた後、目を見開き、肺いっぱいに空気を吸い込み、すべての力を腹に集中させて、思いっきり叫んだ。

「俺を、アンのところへ連れてってくれ!」


ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウッ!


 優作が叫ぶと同時に、絨毯は急発進した。

「ぎゃああああああああああ!」

絨毯は垂直に上昇し、周りに見えていた建物がすぐに点へと変わる。


 フサッ!


 雲を一瞬で突き抜けた。辺り一面真っ青な空になった時、優作は現状を理解した。さすがにこれはまずいよ。アンと違って、自分は大気を操れない。高度を上げすぎたら、凍死か窒息死、はたまた放射線にやられる可能性だってある。

「絨毯、下がってくれ! 下がってくれ!」

とっさに、優作が叫んだ。


 キュィィィィイイイインン!


 絨毯が急に方向転換し、今度は逆に、真下を向いた。

「え⁉ ちょ、ま、待て——」


 ビュゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウッ!


 鉛直方向下向きに、とんでもない加速度で絨毯が進んでいく。

「ぎゃああああああああああ!」


 これはもっとまずい。空なら、まだ助かるかもしれない。だが、このまま進んだら、間違いなく地面に激突。絶対に死ぬ。


 今まで点に見えていた建物が急に大きくなる。地面が迫ってきた。

「絨毯! お願いだから衝突だけは避けてくれ!」

ビルの屋上の高さを通り過ぎ、もうすぐ地面に激突する。その寸前だった。


 キュィィィィイイイインン!


 絨毯がまた方向を変えた。街の道路のすれすれを、地面と平行に飛び始める。一瞬安心した優作だが、進行方向の正面にビルがあった。

「……あ」

ダメだ。避けられない。俺の一生はここで——。


 キュゥゥゥゥン!


 激突寸前で、また急な方向転換を決行した。絨毯はその後、ビルとビルの間を縫いながら高速で進んでいく。

「ぎゃああああああああああ!」

周りの建物は線にしか見えない。今優作に出来ること。それは、まず考えること。そして、激しく動き回る絨毯から振り落とされないようにしがみつくこと。

 絨毯はますます加速していく。同時に動きもますます急に、複雑になっていく。なんでこんな障害物だらけの場所を飛んでんだよ! アンだってもっといい感じの高さで飛んでただろ!

 ……まさか、俺が“アンのところへ”と言ったが、場所が分からないからそれっぽい所を飛び回っているのか? そして、俺が“衝突だけは避けてくれ”と言ったから、衝突を避けながら飛んでいるか? 俺の魔道具たちは、どうしてこんなに一癖あるんだ。なんか、身代わりに置いてきたルーズベルトが心配になってきた。

 って、こんなこと考えてる場合じゃない。どうにかしないと。この絶望的な状況を。この時思い出した。優作は、今まで一人で絨毯を操ったことがない。つまり、操作方法をいまいち理解していないのだ。そんな状態だったのに、勢いに任せて発進してしまった。

 どうするよ……。額に汗のような水滴が一瞬形成された。だが、すぐさま突風に吹き飛ばされた。


 ……俺は、ずっとこうなのか。自分じゃ、何も出来ないのか。中途半端に覚えて、出来た気になって、不安になって立ち止まり続けてばかりだった。現実を叩きつけられ、恩人を傷つけたこともあった。

 今は、後先考えずに行動して大変なことになっている。俺は今まで、一人の力で何かを成し遂げたことがあったか? ない。俺は、結局、何も出来ないのか? 一瞬流れた涙が、押し寄せる突風によって粉砕された。


 ……そんなことない。俺は、初めて、自分で自分の壁を壊した。だから、あんな思い切った行動が出来たんだ。やってやる。この絨毯を制御して見せる。そして、アンを探して——。


 ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウッ!


 絨毯が急に、更に加速した。

「ぐわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」

町を高速で駆け巡る絨毯。必死にしがみつく優作。彼が制御するのが先か、体力が尽きるのが先か。追い込まれた学生を背負いながら、暴走した絨毯は加速し続けていく。

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