偶然重なる講義と履歴(前編)

 講義の内容が全く頭に入らない。さっきから気になるのはアンのこと。あの魔術、凄かった。動くルーズベルト、飛び交う空気塊、部屋で巻き起こった低気圧、超高圧の水、なんかよくわかんない拘束術、何もなかったかのように元に戻った部屋。途中で意識を失ってしまったのが残念で仕方ない。あの時こそどうなるかと心臓がバクバク動いていたが、いざ終わってみると残ったのは好奇心だけだった。そして、アンのあの時の雰囲気。気になって仕方ない。同時に思うのは、それをアンに聞くべきかどうか。アンは、悪い奴じゃない。だが、魔法使いだ。いつも自分の部屋を占領し、好き勝手に扱い、気ままに空の散歩をしている自由人、というだけではない。殺気立った目で威嚇し、強大な魔力で圧倒する、大魔法使いなんだ。そもそも、自分はいつも“アン”と軽く呼んでいるが、彼女には『大風師・ヴィヴィアン』というたいそうな名前があった。


 俺は、アンの一部しか知らない。


 だが、踏み込んでいいのだろうか。一緒に暮らしている人間(人間だよね?)とはいえ、一度首を突っ込んだら、もう二度と帰ってこれない気がする。アンが暮らしていた魔法の世界。優作はその夢のような世界に惹かれつつ、しっかりと現実を見なければいけない、と自分の頬をパシンと叩いた。


 ゴーン。


 考え事をしていたら講義が終わってしまった。さて、お昼でも食べるか。優作は廊下へと出て、人がいなさそうな場所を探す。静かで、誰にも邪魔されない場所でひっそりとお昼を食べるのがちょっとした楽しみでもある。


 ざわざわ……。


 何やら人混みができている。別に講義の連絡や、試験の申込というわけではなさそうだ。人間関係で苦労しない確実な方法。それは、人間関係を作らないこと。人混みを迂回しながら、もっと静かな場所を探そうと歩き始めた。

「あ! 探したよ優作! 広いから迷っちゃったけど、どうにか来れたよ! でさでさ……」

——! そんな馬鹿な、なぜ大学で言葉のゲリラ豪雨が? 恐る恐る声が聞こえた方向を見てみた。人混みの中心には、頭が飛び出ている長身の美人がいた。鮮やかな赤髪に、上品なダッフルコート。そして、見たものすべてを釘付けにしそうな大きな瞳。なんてこった。まさか大学にまで暴風が上陸してしまうとは。アンを囲っていた人の目が、一斉に自分へと向いた。

(勘弁してくれ……)

本当は、誰にも見られない場所で、ひっそりとお昼を食べるはずだったのに。なんでこんなことに。これから降りかかる暴風と、他の学生からの目を考え始めた優作は、ただただ天井を見上げた。


 これが、台風の目というものか。暴風のようなアンの隣は、大学のどんな場所よりも静かだ。アンは、さっきまでアンを取り囲んでいた人たちを、たった一回睨みつけただけで追い払ってしまった。まるで、強い風が一回吹いただけでまとわりついた軽い物を吹き飛ばすように。

「それにしても、この世界にもこんな施設があるんだね」

アンはキョロキョロと大学の構内を見回しながら、優作に話しかけた。

「もしかして、アンの故郷にも大学が?」

「大学? この施設はそういう名前なの? そんな施設は無かったけど、『魔術院』ならあったよ。将来魔法都市を支えたり、外で活躍する魔法使いを育成するための施設」

アンの口から思いがけない言葉を聞いた。まさか、向こうの世界にも似たような物があったなんて。いろいろ聞こうとしたが、優作が口を開く前に、アンが大きく口を開いた。

「ンまあ~~~~っ、つまんなかった! みんな、『○○帝国のロイヤルになるんだ』とか『××ギルドのアークになるんだ』とか言う奴ばっかり! 『この魔術のこの部分が面白いよね!』とか、『この術、見たことある?』みたいな会話を一回もしたことがないの! 先生たちは『先祖が築き上げたこの都市を存続させるため』とか、『都市の外で活躍し、都市の名声を上げるのだ』みたいなことしか言わない。授業もそんな内容ばっかり! ほんと面白くなかったから、自分の好きな魔導書ばっかり読んでたし、講義室を出て書院に籠って魔導書を読み漁ってばかりだったもん!」

やはりアンだ。台風の目でも、言葉の豪雨だけは止むことを知らない。いつもなら途中で止めるところだが、今のアンの言葉は、いつになく共感できた。

「なんか、ほんと大学みたいだな」

「そうなの?」

きょとんとしたアンが、優作の顔を見下ろす。

「だって、つまんない講義を耐えながら、ずっと黙って座ってるんだろ? 無駄な時間だと分かっていながら。さすがに講義室を出るまではしないけど、俺だって講義の合間に自分が好きな本読んで勉強したりしてるぜ? まあ、だいたい中途半端に終わったりするけど」

優作の言葉に、アンの目が輝きを増した。

「へー! 優作もそうだったんだ! てことはさ、講義を寝ながら聞いたり、遊びながら聞いて、そんでもって成績評価の提出物を何人かで協力してやったり、上級生から関門の正解をもらって楽をする奴とかもいるわけ? そういうやつはほんと見ててイラっと来る」

「向こうにもそんな奴いる? なんか、聞けば聞くほど大学だな。なら、さっき言ってた『○○帝国のロイヤル』とか『××ギルドのアーク』とかって、お金と権力のあるエリートってことか? もしそうなら、大学だってそんな場所だぜ? 『いい企業に就職するんだ』とか『これで大金持ちになる』とか言うやつがほとんどで、この勉強が好き、っていう奴はまずいない」

「うわっ! ほんと魔術院みたい。てことはさ……」

アンと優作の悪口合戦は、昼休みの最後まで続いた。


「え⁉ この大学って施設って、そんなに高いお金払って通うの⁉ しかも借金までして通ってるの⁉」


「こっちでもあっちでも、コネを持ってる先生は強いんだな。しかも、魔術院にはそんなに威張った爺さんがいたなんて。なんて環境だ」


「師範とかってさ、自分が話すことばっかりで、聞いてる側のこと考えないよね! もっと面白く、興味深く話してくれればいいのに」


「講義を聴いてもさ、結局自分で勉強しないといけないんだよ。資格とか、スキルとか。何のために講義受けてるのかほんとわかんないよ」


 時間を忘れて話に没頭する二人。二つの口から愚痴が垂れ流される。二人の時間もまた、滝から水が猛スピードで落ちるかの如く流れていった。

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