第8話:家族なんだから


 一定のペースを保ちながら、走っていく。

 ゴールへと着実に近づいている。

 一時間走るのとは段違いに楽なはずなのに、何故だか足取りは重い。

 日々の疲れが溜まっているのだろうか。

 そんなことを考えつつも、足は前へと進んでいくことを止めやしない。


 こうして走りながらも考えることは一つだけ。

 どうやって説得しようかという所。

 どれだけ忙しくたって、休みは取るべきだと俺自身は思っている。大事なプロジェクトかもしれないが、仕事よりも大切なことはある。優先すべき順番が間違っている。


 子供に応援してもらえるのなんて、この機会しかないだろう。子供に格好つけられる機会もこういう時しかないだろう。

 まだ卒園するまでに二回は運動会があるかもしれないけど、この年は一回しかない。全部が特別なんだよな。来年もまたあるだろうなんて口では簡単に言えるかもしれないけど、志世にとっては今年は今年しかない。来年じゃ意味がないんだ。


 今、求められているんだから、それに応えるのが父親ってもんだろう。

 難しい問題かもしれないけれど、俺じゃ力不足なんだ。

 父親は一人しかいない、代わりなんて効かない。彼の親は一人しかいないんだから。

 そんな簡単な事なのに、なぜわからない。

 ……ったく、頼むよ正輝くん。







「あの一つ気になったことがあるんだけど」

「はい、どうしましたか?」


 朝食を食べ終え、さあ行こうか! となったところで茜さんが質問してきた。


「緑をどうやって探すの? どこを走ってるのか知ってるの?」

「知りません」

「は?」


 呆けた顔で、固まった。

 だが、すぐに現実に帰って来た。


「じゃ、じゃあどうやって探すの?」

「ふっふっふ……」

「え、なに、怖いんですけど……志世も心も固まっちゃってるくらいに顔が怖いんですけど?」


 顔が怖いとは失礼な! と言いたい所なのだが、バックミラーに写る自分を見たら、何も言えない自分がここにいました。

 まあ私自身、ノープランでここに来たわけじゃない。

 もちろん策はある。


「GPSってご存じですか?」

「「じーぴーえす?」」


 子供にはまだ分からなくて当たり前であるので、この反応は当たり前。


「もしかしてあなた……」


 ドン引きするような顔でこちらを見るのはやめてっ! そんなんじゃないから! 誰も緑の行動を画面に張り付くようになんて見ていないんだからねっ!


「違うんです! これはかくかくしかじかで——」


 スマホを取り出し、GPSキャッチャーというアプリを起動してみせた。


「このアプリは先ほど話しましたように、相手の場所がリアルタイムで見れるってわけです。共有している相手しか見れないので、逆に言ってしまえば、緑も私がどこにいるかってのが見れるわけですよ!」


「……へぇー」


 ジト目! そのジト目嫌だわ!


「見せて見せて!」


 グイッとスマホを持っている手を引っ張られ、志世君と心ちゃんが画面を覗く。


「このまるくてうごいてるのがみどり?」

「そうよ」


 地図に表示されている緑のマーカーは止まることなく動き続けている。


「とにかく時間は有限です。緑が走り終わるまでに、私達は見つけなければなりません。運転手、お願いします!」

「ママ! しゅっぱーつ!」

「はいはい、分かりましたよ……」


 出発命令を受け、車は走り出した。


 そこで、あることに気が付く。志世君の一言で。


「ねぇ、みずき。みどり近くにいない?」

「ん? ほんと?」


 私は道案内を心ちゃんと志世君に任せ、アシストする役割にしたので、スマホを手に持っていない。

 志世君が持っているスマホを覗き込むと——確かに緑はすぐ近くまで来ていた。

 自分たちのマーカーから少し離れてはいる。


「段々近づいてくるよ!」

「茜さん、そこ右です!」

「はいよっと」


 いつもは家の周辺を走っているのに、なんでこんなところまで走ってきているのだろう? 私には見当すらつかなかった。


「すぐそこだよ、あーちゃん!」

「あ、あれ!」


 二人が指差す場所には走ってる人の姿。

 スマホに映し出されたマーカーは段々と距離を縮めていく。

 間違いなく、緑だ。


「ゆっくり行くねー」


 気付かれないように、私はシートを倒して隠れる。


「志世君、ちゃんと緑の姿を見ておくんだよ」

「……うん」


 自分は緑の姿を見ることは出来ないが、志世君の顔を見ていれば何となくどんな感じなのか分かった。


 小さく呟いた「みどり……」という声が、全てを物語っていた気がする。

 彼の心に刺さったと思う。


 きっと汗だくになって、必死に走っているんだろう。

 それが自分の為だと分かったら、子供にだって伝わると思った。

 

 私が導き出したのは、実際に見てもらうのが一番だと、信じていないなら現実を見せてやればいいだけだと。


 自分の為になんか緑は走らないと言っていた。

 でも、現実は走っていた。

 そう——それだけが全てなんだから。


「緑は変に真面目だね、志世」


 茜さんは通り過ぎてから、問いかけた。


「ばかじゃん……みどりはばかだよ……」


「緑は去年の事を後悔していたの。悔しがっていたの。俺があんなことにならなければ、志世を悲しませることはなかったって。今回、お願いされた時も緑は嫌がらなかったよ。二つ返事で、いいよって。きっと志世君が嫌がるって分かってたと思う。けど、それでも緑は志世君の為に努力を怠ったことはないんだよ? 去年もこうして走っていたって言ってたから。緑は志世君との約束を守ろうと頑張ってるよ」


「うん……みたらわかるよ」

「ママ、こうえん! みどりこうえんはいった!」


 急に心ちゃんが声を上げる。


「どこの公園?」

「いつものとこ!」

「じゃあちょっと見に行こっか? もしかしたら休憩してるかもしれないし。志世も緑に会いたくない?」

「……あいたい」

「決まりだね。家に車停めて、こっそり行こうか。最後の探偵のお仕事だ!」







 私達4人はスマホのGPSで緑の居場所を確認した上で、こっそりと公園内に入っていく。


「この辺りだと、多分ベンチに座ってるかしら」

「なんか楽しいね」

「びっくりさせたい」


 子供達2人は楽しそうに会話をして、大人な私達は慎重になっていた。


「緑はわざわざいつもこんな所まで走ってるの?」

「走ってないはずです。私にも予想外で……ちょっと不安になってきました」


「まさか逢引きしてるって?」

「……はい」


「それはないでしょっ、ふふふっ……」


 笑い事じゃないんだが。

 緑に限ってそんなことはしないって信じてる。うん、信じてるから。

 裏手に周って、緑の背後から様子を窺って見ると、緑の隣には誰かが座っていた。


「……嘘? なんで?」


 驚いた声を上げたのは、私ではなくて茜さんだった。


「え? どうしたんですか?」


 ひそひそと聞こえない声で、問い尋ねる。


「隣にいるの、旦那なんだけど……」


 そう聞いて、ホッとした。男で良かったぁー。

 しかしここでは会話が聞こえないので、もう少しだけ、ほんの少しだけ近づいて、会話を盗み聞きすることに。


「どうしても運動会には出れませんか?」


「大事な仕事なんだ。これを外したら俺は出世できなくなるかもしれない」


「子供と仕事、どっちが大事なんですか。僕が言いたいのは、志世の為にも、自分の為にも運動会に行ってやって欲しいってお願いなんです」


「子供に決まってるじゃんか。家族が一番大切なんだよ。だから仕事を頑張っているんじゃないか」


「言いたいことは分かります。ですが、今この時は一瞬です。気付いたら大きくなっているし、きっともうお願いされることも無くなっていくと思います。志世はお父さんがいいんですよ。僕じゃ力不足なんです。僕じゃお父さんにはなれないんですよ。志世のお父さんはあなたしかいないんですから」


 じっと、私達は固まって緑の話に耳を傾けていた。

 子供たちすらも、静かにして話を聞いていた。


「来年は必ず出るよ。今年はだめなんだ。それこそ逃すわけにはいかないんだ」

「一日くらい休んだって何も変わらない」


「変わるんだ。僕がいないと何も進んでいかない。僕はプロジェクトリーダーなんだよ。指示をするものがいなければ、動かない」


「じゃあ予め言っておけばいいだけです。どうしてもの時だけ連絡を取ればいいじゃないですか。打ち合わせがあるわけでもないんでしょ? 傍から見たら行きたくない人にしか見えません。やり用はいくらでもある。少しだけでもいいんです! 顔を出してやってください! お願いします!」


「……僕は行きたくないわけじゃないんだ。志世が頑張る姿をみたい。けど、どうしても自分の力で今の仕事をやってみたいんだ。だから……ごめん」


 そう言って立ち上がった旦那さんは去って行ってしまった。


「んだよ……結局自分の事しか考えてないじゃないか……」


 去って行った旦那さんの姿が見えなくなってから、私は緑の所へ歩いて行った。


「……緑」


「んげっ!? なんでこんなところに居るんだよ! お前志世とデートじゃなかったのかよ」

「デートだった。ほら、出ておいで志世君」


 ちょちょいと手招きをして志世君を呼ぶ。

 すると木陰から顔を少し出して、ゆっくり歩いてきてくれる。


「……志世、ごめん」


 言葉を発さず、首を横に振って緑の言葉を否定した。


「ダメだったわ。お父さん頑固だなぁ……どうしたもんかね」


 隣にいた志世君は緑の座ってるベンチに移動して、緑に抱きついた。


「どうした?」

「みどりがいい。ぼくはみどりがいい。ぱぱなんてこなくていい」


「それは違うぞ。ぱぱだって本当は行きたいんだよ。でも事情があるんだ。だからそんな事言わないで欲しい。志世には辛い結果だけど、逆に行けばよかったって、そうやってお父さんを後悔させてやろうぜ? 今年こそ一位だ。絶対に約束する。前みたいなことには絶対しないから。お父さんをぎゃふんと言わせてやろう」


「……うぅっ……ぱぱにきてほしかったよぉっ……いっしょに一番とりたかったぁ……うわぁぁぁん……」


 私は静かに二人を眺めてる事しかできなかった。

 今の私に何かできる事なんて何もない。


「緑、ありがとね」


 ずっと隠れていた茜さんが心ちゃんを連れて出てきた。

 その瞳には涙が浮かんでおり、志世君の気持ちが伝わったんだろう。旦那さんに来てほしかったのは志世君だけじゃない。皆が皆、来てほしかった。


「お前もいたんかい……」


 志世君の背中をさすりながら、呆れた顔をして肩を落とす。


「緑って、ほんといい男ね。旦那はもっと見習うべきだわ」

「あの人だってお前らの為に頑張ってるんだよ。そこは褒めてやるべきところだろ? まあちょっと頑固すぎるがな。やり用はいくらでもあると思うし」


「私からももっとお願いしてみるわ。ありがとう二人とも」

「いっ、いえ、私は何もしてません」


「俺もまだ諦めたわけじゃない」

「本当にありがとう。私達のことなのに、ここまで真剣になってくれて……ありがとうございます」


 深々と頭を下げた茜さんは涙を流した。


「私達は家族なんですから、当然のことをしたまでです。私だって茜さんには感謝しています。お互い様ですよ。これからも困ったことがあれば、私も茜さんに遠慮なく相談しますし、茜さんが困った時も、遠慮なく相談してください」


「そうだぞ。俺なんて弟なんだから。使えるものは使えばいいさ、ただ来る時は連絡はしてくれよな」


「ごめん、これからは気をつけます。瑞希ちゃん、緑ありがとう」

「あーちゃんありがとう」


「え、俺は? 心? 俺は?」

「みーくんもありがとう!」


「心に褒められると嬉しくてたまんないなぁ!」


 ぽりぽりと頭を掻く緑は本当に嬉しそうだけど、泣いた志世君が寝ちゃって落ちそうだから、しっかり持ってやって。


「じゃあ今日はこれで帰りますか」


 そうして、私は茜さんの家に停めてある車を取りに行こうとしたのだが、志世君との約束があったので、コンビニに寄ってちょっとリッチなアイスを買ってから車を取りに行った。


「じゃあ私はこれで」

「おい、待て瑞希。なんで俺は外にいるんだろうか?」


「走って帰るんじゃないの?」

「鬼か。疲れたから乗せてってくれよ」


「冗談よ。どうぞ、乗ってくださいな」

「これ俺の車なんだけど……」


 ぶつくさと文句ばかりうるさいわね。早く乗りなさいよ。


「じゃ、今度こそ。またお茶しましょう」

「ええ、今度は五人でしましょ。今日はありがとう。志世のアイスまで」

「約束ですから、いいんですよ」

「気をつけて」


 はーいと返して、窓を閉める。

 去り際に手を振って、車を走らせた。







 まさか見られているとは思いもしなかった。

 そもそももっと前から見つけられていたことが驚きだけどな。


「なあ瑞希、なんで俺の居場所が分かったんだ?」

「GPSだよ。ほら、前に緑がダウンロードしろって言ってたやつがそのままだったから」


「あー、それね……えぇ!?」

「そんな驚くところ? なに、怪しいな」


「いや、別にびっくりしただけだ」

「それを驚いてるって言うんだけど、大丈夫?」


 言葉きっつぅ~。言外に頭の事言ってくるじゃんこの人ー。


「まあそれはいいか。そんな事よりだめだったなぁ」

「私はだめだったことより、緑がかっこいいなって思った」


 急に褒めてくるじゃん。これはまさに飴と鞭ってやつだな。


「やめてくれ」

「人の為に頑張れる緑はかっこいい。緑で良かったって思った。私が結婚した人があなたでって特に」


「それは俺も一緒だ。俺の姉貴の問題なのに、あそこまでして志世を説得しようとしてくれたじゃないか。俺もこの人が奥さんでよかったってすごく思ったよ」


「じゃあ相思相愛だね」

「そうだな」


 ニッコリと前を向きながら歯を見せて笑った瑞希はそのまま言葉を続ける。


「あっという間に終わちゃったけど、これからどうする? 帰ってー、んー? 何する? えっちする?」

「しないだろ……昨日、散々したじゃないか……」


「冗談よ。汗くさいからシャワー浴びた方がいいわ」

「やめて、地味に臭いとか心傷つくからやめて」


「あはははっ、まあまだ朝早いしさ、どっか行きたいね。……そうだなぁ、家を見に行くとか、ね?」


「新に連絡しないとそれは無理だろ?」

「いいのいいの。オープンハウスかハウジングセンターを見に行ってみようかなーって感じだから」


 オープンハウス……? それって買うやつだよね? 


「買うのか?」

「ううん、とりあえず見てみたいだけ。茜さんちは一軒家だったから、こういう選択肢もあるよなって、新君も言ってたし『賃貸だけじゃない』って。どうかな?」


「それもそうだな。一応、見てみてもいいと思う」

「じゃあ、これから家帰って、緑はその臭い汗を流してから行きましょ」


 だから、臭いって言うな……。


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