第三部

プロローグ:1LDK・2LDK・築30年

 季節は移り変わり、残暑と言われる者の存在のせいで真夏とは言わないが、それなりの暑さがある九月一週目。

 名古屋の夏はヒートアイランド現象とフェーン現象が混ざり合って暑いのである。

 沖縄より暑いからな、夏場に名古屋に来るときは本当に気を付けろ。

 まあそんなことはどうでもいい。


 今現在、暑さはこんな涼しい場所でも衰えることを知らず、クーラーもガンガンに効いて涼しいはずなのに、暑さを感じさせるほど、一つのファイリングを原因に燃え盛っております。


「ばっかじゃないの!? あんたねぇ、201の部屋の荷物もあるんだから、1LDKじゃ狭いに決まってるじゃない! 考えなくても分かるでしょ! 本当に緑はこれだから嫌! 2LDK一択!! それ以外は有り得ない!」


「だーかーらー、あの部屋はあのまま借りたままにするって言ってんだろ? 1LDKで十分だっての! 馬鹿はお前だ瑞希! 不必要に家賃の高いところで暮らす必要なんてないんだよ!!」


 黒原不動産にて、目の前にいる新を他所に俺と瑞希は喧嘩を繰り広げている。

 この会社は一軒家の一階を会社の事務所として使われており、そこら辺にある某有名な不動産とは一味違った見た目をしている新の勤め先。


 名にもある通り、正面に座っている次期社長の新はウザそうに頬杖をついて俺達の喧嘩が終わるのを見ながら待ってくれていた。


 あの日、俺と瑞希がちゃんとした交際をスタートさせた日から一か月。

 報告がてら新に連絡を取り、ついでに引っ越しの相談をしようとしていた。


 そう、あれは一週間前のことだった——


「——ちょっと、なに天井眺めて過去回想に入ろうとしてんのよ!」

「うるさい、邪魔するな。今から回想に入るんだから」

「だからそれをやめ——」


 ——そう、あれは一週間前の事だった。







「ぎゃははははははっ! ひぃっーひぃーっ! ぎゃははははっ!」


 前と同じように机を叩き、下品に爆笑しているのは黒原新、改め、腹黒新。

 俺はこれまであったことを報告し、瑞希と交際を始めたことを伝え終えた途端にこれだ。


「だから瑞希との生活を考えた上で、引っ越しを検討してお前に相談している訳で……」

「いっーっひっひっひっ! やめっ、やめてくれっ、これ以上はし、死ぬぅー!!」


 笑う所は今の話でどこにあったんだよ。どこにもないだろ、話聞け話。

 とりあえず腹を抱えて笑っているが、気にせず話を続けていく。


「1LDKで脱衣所がついてるのが大前提で、なるべくがいい」

「ひぃー、ひぃー……はぁはぁ……お前は本当に面白い奴だな。こんなに笑ったのは三ヶ月、いや四か月ぶりだな」


 割と最近だな……ん?


「それって俺が瑞希と結婚した時だろ」

「そう、正解! あんときも面白かったけど……ひっひっひ、それにしても交際っ……あひゃひゃひゃひゃっ!! やめてくれっ」


 だめだこいつ、全然話が進まん。

 気持ち悪い笑い方なこと。


「まあ付き合ったのはただの報告だからどうでもいいんだ。本題は引っ越しをするために、部屋を探してほしいってことだから。いつまでも笑ってないで話聞いてくれよ」


 そこまで言うと、やっと落ち着きを戻しごほんと咳払いをして、仕事の表情に切り替わった。


「ご祝儀渡しておいて正解だったな。それで家ね、家。うん、で?」

「で? じゃなくてだな……さっき言ったんだけど」

「あー、ごめん。全然聞いてなかった」

「だから1LDKで脱衣所があって、なるべくボロいところがいい」


 は? とも言いたげな顔。

 何だ、俺の条件に文句でもあんのかと、睨みつける。


「お前さ、それ自分の意見でしかないだろ。絶対なんか後で言われるぞ。それに脱衣所がない家の方が珍しいんだよ。その間取りだったらよ」

「大丈夫だ。今がボロすぎるから、これから見る家は全部よく見えるはず。それに家賃は安いに越したことはないからな」


 自分自身が家に関心がないので、高い家賃で綺麗な家に住むのはお金の無駄だと考えて当然。

 どうせ家に帰ったら、ご飯を食べて、風呂入って、寝るだけなんだから、必要最低限の暮らしが出来れば何ら問題はない。


 ——よって、ぼろくて安いに至るわけだ。


「一応、話した方がいいと思うぞ」

「大丈夫だ。問題ない。きっと引っ越しをするということは上位互換な部屋に変わると思って何でもよく見えるさ!」

「……確かに」


 ふっふっふ、新も納得をせざるを得ないか。

 であれば、瑞希も大丈夫だろう。なにせあいつはあの家を見ても、住んでも、何も言わないのだから。


「じゃあ今週末、お前の会社に行くから」

「はいはい、俺が直々に対応してやるよ」

「おう。前回と言い、今回も頼むな」


 あのスズキ荘も新に頼んで見つけてもらった物件で、俺は一目惚れし、条件内容も素晴らしかったので契約したのだ。もちろん、二部屋。

 できれば201号室は解約せず、あのまま契約して仕事場として使いたいと思っている。お金を払うのも俺だし、問題ないよね?


「じゃあ改めて、乾杯しようか緑」

「おう」


 キンッとグラスを交わし、ビールをぐびぐびと喉を鳴らして飲んでいった。







 こうして引っ越しの為に、不動産へ行くと瑞希に伝え、黒原不動産に赴いたわけだが、先ほどのように怒られてしまったのだ。

 まるでもう落ち着いたみたいな言い方をしてはいるが、現在進行形で怒られています。


「そもそもさぁ」


 手渡されたファイルをペラペラと捲って、指を差していく瑞希。


「これも、これも、これも!! なんで築30年以上の物件しかないの!? 舐めてんの? は? 舐めてんの?」


 あぁん? と俺に鋭い眼光を決めて、そのままその眼差しは新をも睨みつけた。

 山本〇広がモノマネをする渡部〇郎か! ついつい『来いよぉ』って吐息交じりに言い、両手で手招きして、結局殴られてしまい『あぁ~』っていう所まで想像してしまっただろうが。


 ——ゴホンッ。


 まあ俺はともかく、新に怒るのはやめてやってくれ……俺が悪いんだから……。

 手を合わせ、すまんと謝ると新は一瞬だけニッとうざい笑みを浮かべて口を開いた。

 ……おい待て。その顔は今から良くないことを言うだろ! お願いだからやめてぇ……。


「俺はちゃんと言いましたぁ! こいつにちゃんと、奥さんに伝えた方がいいって言いましたぁ! でもそれを拒否したのはこいつですぅ! 言われた通りにリストアップしただけなんですぅー!」


 おい! それは言わない約束だろ! ってそんな約束してないわ。とにかくやめてっ!?


「みぃーどぉーりぃぃぃー?」


 聞いたことないくらいの巻き舌。マジやから


「アレ、ココハドコ? ワタシハダレ?」



 ぺっしこーーーーーーーーーーーんっ!!! こーんこーんこーん……。



 やまびこのように余韻を残して気持ちいくらいに部屋全体に響き渡った。

 記憶が抜け落ちてもおかしくない勢いではたかれたのはもちろん俺。


「ぎゃははははっ! 緑……いっひっひっひ! ざまぁーねーなぁぁ!」


 目の前から耳が痛くなるほどの下品な笑い声が聞こえる。お前の会社どうなってんだ。他に客も社員もいない事を理由にして私物化しすぎだろ!


 でも、いつもの事だから俺は気にも留めなかったのだが、隣にいる瑞希は何を思ったのか大きく手を振り被って新の頭も同じように叩いたのだ。


「うっさいわね! 仕事しなさいよっ! 素直に緑の言う事ばかり聞いてんじゃないっ! この、馬鹿たれども!」


 魂が抜けたようにぽかんとして、頭を抱えた。


「え? え? なんで俺まで!? 理不尽っ!」


 我に返った新は子供みたく反抗し、瑞希を見た。

 だけれど、瑞希の眼光に臆したのか身体は小さく縮こまり、押し黙る。


「……ぷっ、くくっ、ざまーみろ……瑞希は怖いんだぞ……」


 そんな様子を見て、つい俺もぼそっと口にしてしまったのがいけなかった。


「いだだだだっ!?」


 聞こえていたのだろう。思いっきり、太ももをつねられてしまったのだ。


「あら、緑。あなたはまだ足りないらしいのかしら。マゾヒストなのね?」


 笑いながら言われる言葉に俺も新と同様に縮こまった。


「いえ、とんでもないです……。私が悪かったです……」

「なんかすいませんでした……」


 2人して瑞希に頭を下げて謝り、この場は丸く収まる事となった。


 ん? 誰が悪いかって? 

 ——まあ、俺と新が素直に悪いと思いました。



 こうして引っ越しの話は最悪のスタートから始まった。

 これからちゃんと部屋を決められるのだろうか。

 少しばかりの不安を抱きながらも話し合いは進んでいく。



 とりあえず俺の奥さん、めっちゃ怖い……。


 この一件で、それが俺と新の共通認識になったことは言うまでもないだろう。


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