それでも魔女は毒を飲む

綾乃雪乃

第1話 魔女との邂逅

日がすっかり落ちて外が暗闇に包まれてからしばらく経った頃。

僕―――マルクス・トリッドは屋敷の自室で読んでいた本を閉じた。


ここはトリッド領を統治する領主の屋敷。

僕が次男として生まれてから17年間を過ごしてきた場所。


その生活ももう、今夜が最後だ。



僕は閉じたそれをいつもの場所に戻した。

落ち着かなくて眠れず、何度も読み直した本を広げてみたけれどあまり効果はなかった。


どうしたものか。

もう夜も深いのに全く寝つける自信がない。



とりあえず、ベッドに入ってみよう。

意外と眠れるかもしれない。



そう思って、椅子から立ち上がった時だった。




「こんばんは、お坊ちゃん」




こんな時間に家族どころか使用人すら訪ねてくる訳がない。

振り返った僕はぎょっとした。




「だ、誰だお前は!」




そこには1人の女性が立っていた。


紫のドレスのような服に同じ色のローブ。

髪と瞳は金色に輝き、美しい顔は目を細めてこちらを楽しそうに見ている。

先が少し折れた帽子の先には、金の装飾が揺れていた。


この姿、どこからどう見ても…。




「ま、魔女…?」

「ふふ、そう、そうね、私は魔女」




くるくると回りながら『魔女』という女性は歌うように言う。

僕は立ち上がったまま彼女と距離を取った。


近くに護身用のナイフがない。

ベッドの裏にあるそれを取りに行くにも、距離がありすぎた。



「どこからきた!」

「ああ、それよ、それ」



魔女は長い爪で指をさす。

その先には薄汚れた鏡台があった。

確かこの屋敷が建てられたときに持ち込まれた古い家具の1つだと聞いたことがある。


鏡から別世界へ行ってしまうような物語もあるし、魔女なら魔法か何かで移動できるものなのだろう。

聞きたいことがたくさんあるので、ひとまずは無理やり納得することにした。



「何の用だ?」

「うーん?ええとね、お坊ちゃんが面白そうなことをしようとしていたから、ちょっかい出してみたくなっちゃったの」

「ちょっかい?」

「だって、こんな方法で結婚を認めてもらって家を出ていこうなんて、聞いたことないもの!」



…人生をかけた『約束』をこんなにも面白おかしく言われ、僕はふつふつと怒りを感じた。

無言のまま魔女を睨むと、彼女はごめん、ごめん、と軽く謝ってきた。



「そもそもどうしてこうなったのかしら?」

「…あなたに話す理由はない」

「いいじゃない!どうせ眠れないんでしょう?

 だったらそれまでわたしの話し相手になってくれたっていいじゃない」



あなたが眠る時まで付き合ってあげるわ、と魔女はいらないお節介を焼いてきた。

未だに屋敷に侵入してきた方法も釈然としないけれど、敵意はなさそうだし…。



どうせ最後の夜だ、こういうのも悪くないなんて、思ってしまう僕がいた。

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