応援コメント

四冊目 『北斗の人』」への応援コメント


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    すみません。司馬遼太郎と聞いて今更ながらコメントさせて下さい。
    私も例に漏れず、司馬遼太郎は紀行やエッセイも含めて全て持っているので、一人「そう、そう」と呟きつつ拝読させて頂きました。
    中学生の頃に一番最初に読んだのが『燃えよ剣』と『国盗り物語』だったので、『燃えよ剣』には燃えましたね。
    私は小説論のような難しい事は分からないのですが、司馬遼太郎作品の寂寥感の残る、ぷつんと切られたように感じる終わり方が好きで、『燃えよ剣』の最後に「新選組副長、土方歳三参る」と言うようなセリフがあったと記憶しているのですが、初めてあの場面を読んだ時に、一つの時代が終わった感覚を覚えたのを今でも覚えています。
    『峠』の最後、会津への敗走記述も淡々としていて胸に来るものがありました。

    他の司馬遼太郎作品の感想なども、また機会があったら是非お聞きしてみたいです。


  • 編集済

    石束さんと言えば新選組。新選組と言えば司馬遼太郎。水が下方へ流るゝが如くに自然なこととして個人的には来るべくして来た回でした。してやったり。『燃えよ剣』に『竜馬がゆく』は私の青春時代のバイブルでもあり、何か気の利いたことを言わねばと待ち構えて居たのですが、しかしながら、そう言えば私は剣道部では無かったし、SFを推進しながら正反対のジャンルを推してもイマイチ説得力がないなと気がついてしまいましたので、むしろ早めに気がついたおかげで浅田次郎の『壬生義士伝』についての2000字余りをここに貼りつけてしまう愚挙は避けられたのでした。私はSFにおけるワンダー(感)とは、既成概念を覆すことにあると考えていて、人の命が紙のように軽い戦国から幕末にかけての物語には現代人の価値観を覆す世界があると言えます。それは即ちワンダーがあったと言えるのではないでしょうか。日本には既にSFの下地が時代小説によって醸成されていたと考えれば、後のSFブームの発生は必然とも言える現象でした。とは言え、この理論は池波正太郎の『剣客商売』には当て嵌まりません。彼らはそんなには殺さないからです。ちょっと殺します。時代劇ですから。時代劇なのに人の命ではなくキャラクターに重点を置いている。鬼平だって悪党はバンバン斬り捨てているのにです。ここで私は、はたと気がつきます。一般的に元祖ラノベと言われる『妖精作戦』が1984年に刊行し、これ以降国内にラノベ文化が根付いて行くことになるのですが、翻って『剣客商売』は1972年から1989年の連載。ラノベの10年も前から存在し、その息吹に寄り添う形で人気が上昇していったことを鑑みれば、まさにキャラクター小説の元祖とも言える作品。これはラノベの歴史に修正を加えるべき系譜であり、そうして、現在の一大勢力となったラノベやキャラ文芸やSFの祖先が、実は時代劇にあったとすれば、ここで畑違いの私にも出番が訪れると言うものです。前述しました通り、ここから先の浅田次郎論は割愛いたします。
    (文章をものすごく圧縮したのでパラノイア的な内容になってしまいました)

    PS.
    ははは、見るたびに返信の文量が増えてる!
    普通、そんな三回も四回も読み返しに来ませんってば(笑)。
    ……え? 他の返信も……?

    作者からの返信

    おお……おおお。
    これ! これです! こういうのを書いてくれるのはあなたしかいないと思ってましたありがとう須藤二村さんっ! ……って、正直ここまでとは予想してませんでした(笑)1970年代から1980年初頭にかけて、ライトノベルの萌芽期という実に熱いテーマ!にまさかの「剣客商売」!(驚)「三冬さん、かわええ。」とか言わせたいんだなそうなんだな!いっちゃうけど。
    >>ワンダー(感)
     わかります。腑に落ちます。
     そこからの一文を見て、やはり私は『戦国自衛隊』(1971)を思い出さずにはいられません。半世紀前の日本で今よりもずっと厳しく「戦うな」と言われていた彼らを、半村良はどうとらえ何を思って戦国時代にぶちこんだのか。命の価値の逆転は解放だったのかそれとも回帰だったのか。……あかん。探す本が増える(笑)

    「キャラクター小説」を仮に、登場人物がストーリーの「部品」ではなく、一人ひとりの個性・思考・発言・行動の描写をこそ、物語そのものとする小説であると、仮定し得るなら。

     個性的な登場人物あってこそ、といえる池波作品は「濃厚に」キャラクター小説の色を持っているといえるかもしれません。後キャラがつおい作風といえば「柴錬」「山田風太郎」です!『真田十勇士』やら『魔界転生』とか、某ソシャゲのイベントになってもおかしくないくらい(おっとっと)歴史ものではなく「時代もの」であれば、ラノベとの親和性はもともと高かったんじゃないか、と思います。

     まあ、あの時代は、時代劇も伝奇もSFもサスペンスも何もかも全部放り込んで各自が好きなモノを取り出す闇鍋のような状態じゃなかったのかなあなどと(笑)

     笹本祐一さんの主戦場はかつてはソノラマ文庫で、『妖精作戦』だと要所でちっちゃいネタを挟んでくる十三代目戸沢白雲斎が大好きで(笑) 完結あたりは朧気なのに『ハレーション・ゴースト』の印象だけが突出して鮮明(大笑)もう一人のライトノベルの「起点」とされる新井素子さんが特徴ある文体を除けば、指向と作風的にはむしろ第一世代SF作家の正統後継であるのに対し、ラブコメでもサスペンスでも戦争でも活劇でも「なんでもできる」様に世界観とキャラクターを前面に押し出した『ARIEL』も合わせて、元祖に名に恥じない作家さんだとおもいます。『星のパイロット』も好きだなあ。
     そのほか斎藤英一郎、菊池秀行、夢枕獏、そして御大・高千穂遥。忘れてはならないのは、なんといっても富野喜幸 著の『機動戦士ガンダム』! いやあ、70年代80年代のソノラマだけで、二年くらい不自由しないなあ(笑)

    >>『壬生義士伝』
     ルイズに召喚されるのが吉村貫一郎だった、というゼロ魔の二次を書きかけたことがあるというくらい好きだったので、ぜひ『壬生義士伝』について語っていただきたいです。……いえ。もちろん普通に好きな人がコメントにこまる好きになり方をしている自覚はあります。はい。
     ああ『柘榴坂の仇討』もよかったなあ、映画は吉右衛門さんの掃部頭さまを見ただけですっごい満足しました! 『赤猫』も好きなんですが誰も話題にしてくれません。……いや、そんなことはどうでもいいから! だから是非! 浅田次郎論! 読ませて!

    PS.
    見逃して。〉〉継ぎ足し

    編集済
  • リクエストに応えていただき恐縮です。(*^^*)
    石束さんの司馬遼太郎愛を感じるお話、一話だけじゃもったいないぐらい濃厚でした。
    面白かったです。
    司馬遼太郎ファンはたくさんいるので、皆さんこのエッセイを頷きながら読んで、読んだ後はあれこれ語りたくなるのではないでしょうか。(≧∇≦)

    そして、また司馬作品を読み返したくなりました。

    作者からの返信

     こちらこそ、『燃えよ剣』の話題を振ってくださればこそで。というか水を向けてくださったからこそ……というか、それをいいことに、というか、免罪符にして、好き放題させていただいたという。
     今、楽しく書かせていただいて、幸せな気持ちでいっぱいです(笑)
     ありがとうございました。

     石束の趣味が野放しになっているエッセイですが、これをきっかけにまた本を開いてくださる方がいれば、うれしいです。
     そして語りたくなるということなら。
     私自身が聞きたくって話したくって仕方ありませんとも(笑)

     メッセージありがとうございました。いずれまた。

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