遺言

水色ワイン

第1話

私は今日死にます。

自殺動機の書き出しとしてこれは果たしてどうなんだろうと首を傾げたくなるような書き出しをしてしまいましたが、ここから何を明智宛てに書こうかと少し悩みました。

貴方は、自殺をどう思いますか?

テレビやラジオでは電源を入れる度に中学生の自殺だとか高校生の飛び降りだとか騒がれているこのご時世で、サラリーマンの自殺は社会現象だと言われる事さえあるようです。こんな、自殺が最早聞き馴染みのある死因としてまで一般化してしまったこの日本という世の中をどう思うでしょうか。

私は心底、健全な世界だと感じます。

死、とは本来自分では選ぶことの出来ない選択肢です。事故、病気、外敵の襲来、色々とありますが18~19世紀までの人間にとって死は自ら選ぶものではなく、無作為に強引に与えられるものでした。

死にたくない、死にたくないといいながらそれでも死んでいく人をドラマや映画で見た事があるでしょう。死とは無作為に与えられ、それで終わる絶望の象徴でした。

ですが、この時代になって死は多様になったと思っています。死とは絶望であった時代から、死は死より辛く苦しいものから逃れる為の物へと変化したのではないでしょうか。

私は死にます。より辛く苦しいものから逃げるために私は死にます。なんて、そんな軽く薄い心地で死を選ぼうとしている訳ではありません。と、書けば貴方は納得してくれるでしょうか。

納得して貰っても貰えなくてもどちらでも構いませんが、私は私の苦しみから逃げる為に死を選びます。それ以外の理由はそんなにありません。

それが、私が死ぬ理由です。


まずは、何を書けばいいでしょう。明智を差し置いて先にお父さんお母さんどうもごめんなさいとでも書けばいいでしょうか。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと、無意味な言葉を書き連ねればそれで私は満足出来るのでしょうか。父親はお酒とパチンコの事で頭がいっぱいで私の事など興味が無いだろうし、母親は10年前に他界しています。ごめんなさいと、そんな事を書く意味は果たして有るのでしょうか。

それは、有るのでしょう。

死を選ぶせめてもの贖罪として書いているこの文章は、やがて明智に届くでしょうか。私の贖いを、この文章がしてくれるとそう信じて私はこれを書いています。

だから、せめて私の罪をここに書こうと思います。

せめてもの贖罪として、私の罪をここに書こうと思います。

ごめんなさいと、そう書こうと思います。

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