問題編「事件発生と消去法」

 放課後。ミステリ部室の前の廊下で声が響く。


「もう来てたんだ。ええっと……」

「松下。そっちは確か梅上君だったけ?」

「ああ。部室はまだ開いてないみたいだね」

「そうだな。山月先輩はまだけど」

「……こんにちは」

「ああ、竹中さん。……どうして一緒に神林先生が?」

 低い男声が会話に加わる。

「やあ、僕はミステリ部の顧問をやっているんだ。どうも山月が来ていないらしいから、彼女の代わりに部室を開けてあげようと思ってね。入部希望者を待たせるのも申し訳ないからさ」

 新入生三人がお礼を言うと、神林先生は大したことはしてないと言いたそうに朗らかに笑う。

「まあ、立ち話はこれくらいにして続きは中で話そう」


鍵が錠に刺さる金属音に続いて、スライド式の扉が開く乾いた音が響いた。

「って山月、ここに居たのか。ほら、こんなところで寝ていたら風邪引くぞ」

本に囲まれて机に突っ伏している山月に、神林先生は呆れたように声をかけた。



しかし、皆はすぐに気付いた。山月の背中からは包丁の取っ手が生えており、全身を真っ赤な鮮血が彩っているということに。鉄の臭いが嗅覚を刺激する。



竹中の口から小さい悲鳴が漏れる。松下は驚愕に支配されたように要領を得ない感動詞を口走り、梅上は現実を拒む如く沈黙した。

 しかしただ一人、神林先生だけは冷静だった。

「一人は俺と一緒に山月を保健室に運ぶ。残りは現場に誰も立ち入らないように見張っていてくれ!」

「あ、俺手伝うっす!」

松下が進み出る。こうして神林先生と松下が山月を保健室に運び、梅上と竹中が現場の保存を任された。


     *


足音と共に、松下が帰ってきた。

「……山月先輩を運んで来たぜ。幸いまだ息はあるみたいで、今救急車を呼んで神林先生が付き添ってる」

「お疲れ様。山月先輩、助かるといいんだけど……」

かなりの血を失っていると見たのだろう。梅上の言葉には明らかな不安が感じとれた。

「……ねえ、二人とも、あれを見て下さい」

「ああ、鍵だろ? 気付いてるよ」

そう、机の上にはこの部室の鍵があるのだ。

「え、合鍵はないって言ってたよな?」

「神林先生は、職員室に鍵が戻されてないから事務室のマスターキーを借りてきた、と仰っていました」

「それって、つまり……」

 松下の考えを悟ったらしい梅上は、自分でも信じられないといった様子で肯定する。

「ああ……密室だ。窓の鍵もしまってた。殺人にならないことを願うばかりだけどな」

中にいた山月が唯一の鍵を、施錠された部室の中で持っていたのだ。マスターキーはあるものの、密室と呼んで差し支えない。

 ここで口を開いたのは松下だった。


「なあ、俺たちであれを使って推理してみないか?」


 梅上が怪訝そうに尋ねる。

「あれって?」

「いや……俺たちで例の“消去法”を使って、この事件を推理してみないかって話」

 先程の密室講義を使えば、名探偵でもなんでもない素人も、あるいはこの事件が解けるかもしれない。だがそれ以上に、彼ら三人はミステリ部に入部希望するほどのミステリ好きだった。それだけで三人が推理に挑む理由は十分である。

「それは妙案だな。……竹中さんもそれでいいかい?」

「はい、山月先輩のためにも頑張りましょう」

 今まで無言だった竹中だが、力強い返事だった。



「よし、じゃあ事件の考察を始めよう。まず容疑者は俺たちも含め、ミステリ部に関係する人間だと思うんだがどうだろう?」

「はい、私もそうだと思います」

「え、タイムタイム……何でそう言い切れるんだよ?」

「さっきも言った通りこれは密室だ。つまり計画的な犯行である可能性が高い訳だろう? 衝動に身を任せた殺人を除いて、たとえ自分が疑われようとも見慣れない場所を使うのは心理的に抵抗がある。そして何より……これが“密室を装っている”という点だ。この部に合鍵がないと知っていなければ、わざわざ室内に鍵を残したりする意味がそもそもない」

「なるほど、そういうことか」

 松下は感嘆したようにそう呟く。

「だけど、そうなると一番怪しいのは神林先生じゃない? 現にマスターキーを借りて来た訳だしさ」

「いや、マスターキーの線は薄いな。事務室は独立していて、事務員が常駐している。マスターキーを借りていたらすぐに足が付くだろう」

「そういえば、私のクラスは五、六時限目に神林先生の授業を受けていました。先生は授業の間教室を離れていません」

「あ、俺のクラスは七時限目神林先生だった! こっちも、ずっといたな」

 この学校では午後の授業が五から七時限目までの三コマで、一回は四十五分。間の休憩は五分だ。梅上が松下と部室前で会ったのは放課二十分後のことである。

「つまり、俺たちが昼休みギリギリまで山月先輩といたことを踏まえると、神林先生が部室棟まで来て人を刺す時間はせいぜい放課後ぐらいってことか」

「放課後から十分ほど経った時に私は神林先生と職員室でお会いしましたから、それも無理だと思います」

「じゃあ、一旦神林先生は容疑者から外そう。……ところで、松下はいつから部室前に?」

「ああ……最後の授業が早く終わってホームルームもなかったから、多分十五時二十五分くらいだな」

「私は十五時四十分前に松下君と部室前で会ってから、職員室に向かいました」

 つまり、松下は放課後一人で十五分も部室前にいたことになる。

「それだけ時間があれば、松下は犯行が可能っていうことになるな」

「え、俺もしかして疑われてる? でも、密室のトリックがまだわかってないぜ? それに竹中さんも、昼休みは最後山月先輩と一緒に部室に残ってたよな? 確か話があるとか言って」

「五分くらいですよ? 中学時代のことを話していました。山月先輩と同じ中学校だったんです」

「へぇ、そうだったんだ」

「ええ、先輩は私のこと覚えてなかったみたいですけど……」

 竹中の声が更に弱々しくなる。彼女のことを慮ったのか、梅上は慌てて話題を元に戻す。

「じゃあ、二人は容疑者続行ってことで」

「おいおい、そういう梅上はどうなんだよ? 授業中抜け出したりしてないだろうな?」

 梅上は「あ……」と何かに気が付く。

「そういえば、五時限目に貧血気味でふらふらしたから保健室に行った」

「まじか!」

「しかも、着いたら保健室開いてなくて、貧血も治まったからそのまま帰った。往復で大体十分くらいかな」

 保健室は比較的部室棟に近い。保健室に向かったと見せかけて部室に行くのは容易いだろう。

「むしろ梅上君が犯人ではないですか? 怪しいですよ?」

 竹中は勘繰るようにそう言った。彼女はこの推理が始まってから妙に饒舌である。やはり彼女もミステリ好きだということだろう。


「違うって! ……それより、本題に入ろう。どうやって密室を作ったかだ」



A.犯行時、犯人が密室にいなかった場合


①【偶然密室を形成してしまった場合】

②【自殺を殺人に見せかけていた場合】

③【標的を自殺や事故に誘導する場合】

④【室内に設置された仕掛けによる場合】

⑤【生者を死者と誤認させ、密室が破られた後に殺害する場合】

⑥【死者を生者と誤認させ、犯行時間を錯覚させる場合】

⑦【室外での犯行を室内での犯行と錯覚させる場合】


B.犯行時、犯人が密室にいた場合


⑧【外に出てから鍵をかける場合】

⑨【密室が破られた段階で密かに鍵を室内に戻す場合】

⑩【鍵をかけた後に道具を使って隙間から室内へ戻す場合】

⑪【蝶番ごとドアを外して出る場合】



「まずは事故である可能性だけど」

「いや、ないだろ。背中に刺さってるっていううのがデカい」

 これで①【偶然密室を形成してしまった場合】は否定された。


「次は、実は自殺である可能性ですね」

「それも今のと同じ理由で微妙だね。それに、山月先輩が僕らに罪を着せる動機が見当たらない。それから、自殺や事故になるのを狙うってのも、この調子じゃあ現実味がないね」

 更に、②【自殺を殺人に見せかけていた場合】と③【標的を自殺や事故に誘導する場合】も却下。


「機械トリックも……どうなんだ?」

「一考の余地はあるんじゃないかな」

 部室は十畳ほどで、窓は一般的な引き違い窓が南向きに一つ。それと向かい合うようにこれまた引き違いの扉がある。鍵は教室のものとは違い、中からはつまみを回すことでロックできるシリンダー錠だ。

 家具は左右の壁際に本棚が大小四つと、窓と並ぶ形で金属製の掃除用具入れがある。中心には折り畳み式の大きな机があり、その下にはレポートの入ったダンボールが数箱置かれている。そして、それを取り囲むように椅子が六つ。全体的に整理されており、他には大して目に付くようなものはない。

「大掛かりな仕掛けは設置できそうにないですね。紐で吊るした包丁を何かで固定して、山月先輩の動作をきっかけにそれが外れるようにするとかが限界でしょうか」

「それでもあんなに深く背中に刺さるようにするのは至難の業だろ。それにそんな紐を回収するチャンスは誰にもなかった」

 加えて④【室内に設置された仕掛けによる場合】も可能性は低いと分かった。


「次は時間差密室だが……あとで殺害するのは厳しいな。山月先輩に触れたのは二人同時だし、仮にあの包丁や血痕が偽物だとしても、そもそもあれを仕掛ける暇がない。実は昼休みの時点で刺されていたというのも、昼休みの山月先輩が別人だっていうのは考えにくい。事実、同じ中学だった竹中さんが見ても山月先輩だと思った訳だし。そもそも、背中に刃物が刺さった人を隠し通せるような場所はない」

「そうですね。私もあれは間違いなく本物の山月先輩だったと断言できますし」

 これで⑤【生者を死者と誤認させ、密室が破られた後に殺害する場合】と⑥【死者を生者と誤認させ、犯行時間を錯覚させる場合】も難しいと判断される。


 次は⑦【室外での犯行を室内での犯行と錯覚させる場合】なのだが、これも芳しくないだろう。

「物理トリックもできるか分からないのに、遠隔殺人なんて有り得ないです。でも、私は内出血密室が一番現実味あると思います」

 竹中が珍しく意見をする。しかし、そこに松下が待ったをかけた。

「でも、あの出血量で動き回ればそこらじゅう真っ赤になってると思うけど? だけど実際は座ってた椅子の周りだけだったよな」

「ああ……そうですね」

 やや力のない肯定だったが、どうやら納得はしたらしい。

 これで犯行時、犯人が密室にいなかった場合は一通り出尽くした。犯行時、犯人が密室にいた場合に話は進む。


「シリンダー錠を針金やヘアピンなんかで開けるのは無理だ。紐を中へ仕込ませることくらいはできるだろうが、つまみを一定以上の力で回さなければならないためどうしようもない。蝶番も、鍵を中へ戻すような隙間も存在しない」

「室内に鍵があるって気が付いたのはいつなんだ?」

「最初に扉を開けた時から、机上に鍵があることには分かっていたよ」

「私も入ってすぐのタイミングで見つけました」

「気付いていなかったのは俺だけかよ……」

 これで⑧【外に出てから鍵をかける場合】、⑨【密室が破られた段階で密かに鍵を室内に戻す場合】、⑩【鍵をかけた後に道具を使って隙間から室内へ戻す場合】、⑪【蝶番ごとドアを外して出る場合】も否定された。


 松下が落胆した調子でそう言うのも構わず、梅上は話を進める。


「でも、これだと全ての選択肢を消してしまったことになるね」


 消去法で進めた結果、山月の提示した十一の可能性を全て否定してしまったのだ。つまりは八方塞がりであった。


「また、一つずつ再検証していきますか?」

「俺たちは何かを見落としていたってことか……」

「うーん、また最初からやっても同じことの繰り返しになりそうだよね」

「じゃあ、どうするんだよ?」

 皆黙り込んでしまった。いよいよ万事休すだろうか。しかし、この状況が不味いと感じたのだろうか。唐突に松下が話しだす。

「やっぱり物理トリックが怪しいんじゃない? どこかから包丁が飛び出すような仕組みとかが、ひょっとしたら現場にまだ残ってるかもしれないぜ?」

「飛び出す……現場に残ってる……?」

 松下の言葉を聞いた梅上は、何故かそこの部分を復唱した。

 そして次の瞬間には、梅上は笑いを噛み殺していた。しかし、やがて抑えられなくなった笑い声は高らかに解放される。

「はははははっ! 騙されたな……完全にしてやられていたよ」

「なんだ、何か分かったのか?」

 松下は戸惑いと期待を込めてそう尋ねるが、梅上はさも愉快そうに即答した。



「何かどころか、全て分かったよ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る