第九十九夜 亀裂
「大変お騒がせしました」
ミュエルによって戻ってきたハクヤは現在、宿の乙女部屋にて深々と土下座をしていた。
そのハクヤのキレイな土下座をルーナは苦笑いに見つつ、ハクヤの正面のベッドに座るエレンは涙を拭っていた。
「良かった。ハクヤがちゃんと戻って来てくれて。私、何かしちゃったのかと......」
「いや、エレンは何もしてないよ。これはただ俺自身の問題なんだ。今の時点ではあまり深く考えないようにしていたことなんだけど、どうにも上手く折り合いがつけれてなかったようだ」
「顔を上げてよハクヤ」
エレンの言葉にハクヤはそっと頭を上げる。怒っているような気配は感じないが、エレンの前ではどうにも冷静に思考が巡らないような気がしなくもないのだ。
しかし、いざエレンの顔を見てみるとエレンはただ嬉しそうに笑っているだけだった。そして、ベッドから立つとそこから崩れ落ちるようにハクヤに抱きつく。
「私は嬉しい。こうしてハクヤが戻って来てくれたことが。
ハクヤが色々考えこんじゃうのは未だ私がちゃんとハクヤの役に立てるような強さを持っていないからだと思うの。そして、私も未だにハクヤに甘えてる」
「いや、それは......俺はただエレンに幸せになって欲しくて、そのための障害を取り除こうとしていただけなんだ。
.......本当はエレンが聖女であることを知ってた。だけど、それはエレンにとって障害になりえる可能性があったからずっと黙っていたんだ」
「そうだったんだ。でも、そんなことじゃ私の障害には――――」
「それがそうでもないんだよ、エレン」
「え?」
ハクヤはエレンの肩に手を置くとそっと離す。そして、エレンの目を見つつ、一瞬ミュエルの方に視線を送った。
その視線にミュエルは一度目を合わせると目を瞑る。まるで「好きにしなさい」と言っているようなものであった。
その言葉を送るのはハクヤ自身とでも伝わってくる。とはいえ、実際その通りなのでハクヤは覚悟を持って告げた。
「エレン、お前が思っている以上に事はそう簡単に収まらなくなっているんだ」
「どういうこと?」
「エレンが聖女であるということは女神ステラを崇めるこの国にとってとても重大なことなんだ。
それもエレンは本来ならばとっくに聖女として仕事を全うしている......正統なる聖女として」
「正統な聖女......」
「それをステラ教の総本山であるこの国に知られてしまった今、めんどくさいことが起こる可能性がある。
それはお前を正統なる聖女として推し進めることだ。
今の聖女が偽りの聖女として吊るし上げられ、代わりにお前が正統なる聖女として崇めたてられる。そうなれば、この国はクーデターでも起きかねない」
「ちょっと待った。それはさすがに考え過ぎじゃない?」
ハクヤの言葉に異論を唱えたのは人族のかかわりから最も縁遠いルーナであった。
ルーナも真面目に聞いているようで腕を組みながら言葉を続ける。
「だってさ、その国にとって聖女が重要な存在なら、別に聖女が二人いようが関係ないじゃん。むしろ、魔族と対立している人族にとっては嬉しいことじゃない?」
「それはそうなんだが......」
ハクヤは思わず言葉に詰まる。言いたいことはハッキリしているが、未だ頭が上手く働いていないようだ。
すると、ハクヤの様子を察したミュエルが代わりに返答していく。
「どうにもこうにも頭がお固い連中がいるのよ。伝説では聖女はどの時代にも一人だけ。それが本来のあるべき歴史の姿だってね。
エレンが聖女であるということは今日知られた。となれば、そういう連中に勘づかれるのは時間の問題」
「でも、当然保守派......聖女二人が容認する人達もいるんだよね?」
「それは当然ね。ただいう人達はどうしても聖女を守ることが優先になるから後手に回る。それにどうもきな臭いことがあるのよ」
「それは例えばどんな?」
「なんというか、不自然に情報が統制されてるの。ハクヤにはここに来る道中に既に話してあるけど、話している内容が『人斬りがダンジョンにいる』ってことばっか」
「? それが? 今日、エレンの聖女が明かされたんだから当然だし、何が不自然なの?」
「その情報を手に入れたのはついさっき。しかも、その内容を気にしているのは冒険者でもない民衆や牧師、シスターとかおおよそ関係ない人達。まるで他に何かあるのを別の話題でかき消すように。
ステラ教も一枚岩じゃない。一部の司祭が貴族と繋がっていて邪なことを考えてる連中がいる。しかし、その連中は正統な口実がなければ、真っ当なことをやってる人達に対抗できない」
「それじゃあ、その口実としてエレンの存在が使われると......ってことは、もう既にエレンの正体は広まりつつあるってこと!?」
「そういうこと」
ルーナはその話を聞くと「やぁ、いろんな人がいるんだね」とどこか他人事のように呟く。まあ、実際鬼人族にとって人族の間の問題は他人事なんだが。
「とはいえ、逆に言えばそれはチャンスでもある」
「どういうこと?」
ハクヤがミュエルの話を引き継いでそんなことを言うとエレンは思わず首を傾げる。それに対して、ハクヤはハッキリと告げた。
「それは保守派と過激派が争った場合、もし保守派が勝てればエレンはこれ以上なく安全な暮らしが約束されるということだ。
確かに、聖女ということを利用しているので聖女の仕事はしなければいけない。しかし、女神の遣いである聖女は周りに縛られることがない。好きなように恋だって出来るんだ」
「待って、ハクヤ......それ以上は――――」
「だから、エレン。お前はここに残れ」
「......っ!」
その言葉はハクヤに振られに等しいほどの衝撃がエレンを襲った。そして、その言葉にミュエルは思わず頭を抱え、ルーナは目も当てられないように手で顔を覆い隠す。
「......いや、すまん。それはどちらかというと俺の願いだ」
「......でもそれがハクヤの今の気持ちなんだよね?」
「まあ、な。それにお前をここに置いていく理由は他にもある。俺を狙う連中のことだ。
エレンも知ってる通り俺はエルフの森でユークリウスと戦った。だけど、その前の街にもエレンがダンジョンに潜ってる間に俺はリュートという人物と戦ったんだ」
「何者なのその人達?」
「暗殺者だ」
「......」
その言葉にエレンは驚き慣れたようにリアクションはなかった。ただハクヤを見つめるその瞳はより一層悲しみの色が強まった。
その一方で、逆に反応を示した存在がいた。ルーナだ。ルーナは未だ誰にも打ち明けていないが、過去に暗殺者集団に一族をほぼ滅ぼされた記憶がある。
それ故に、ハクヤの言葉を無視できなかった。どうしてハクヤが暗殺者に狙われているかはわからない。
しかし、その暗殺者の正体は恐らく復讐対象の連中だろう。その確信は暗殺者の一人であるユークリウスに見覚えがあったからだ。
「俺がどうして暗殺者に狙われているかはまだエレンに言えない。でも、ここからは一筋縄じゃいかない厄介な連中が襲ってくるかもしれない」
「だったら、なおのこと人がいた方が――――」
「俺が生きていられるのは!......エレンが笑顔でいてくれていると分かっているからだ。
だからこそ、俺は頑張れる。なんとしてでも生きようと足掻いていける。
けど、もうここからの襲ってくるだろう連中は俺の力を十分に発揮して勝てるかどうか。つまりはエレンを守りながらなんてできない連中なんだ」
「ねぇ、どうしても......どうしても私は近くにいちゃダメ? ミュエルやルーナはいいのに?」
ハクヤはその場から立ち上がると下から涙を浮かべて見上げるエレンと目が合った。その瞳に昔のエレンを重ねてしまって思わず心が揺らぐ。
しかし、もうその時と状況がまるで違う。今はどちらかというとオーラル王国が襲撃された感覚と似てる。
「ルーナなまた別の話になるが、ミュエルは俺と同じでその連中と因縁がある。それ故に、俺と一緒にターゲットになる可能性が高い。
それに、それを決めるのはエレンだ。俺はただ俺の願いを言っただけ。その答えはこの国を出立する目途が立った時にでも言ってくれ。しっかりと考えてくれ」
ハクヤはそう捨て台詞のように吐くと部屋を出ていった。そして、ミュエルは睨みつけるような表情で「あんのバカ!」と吐き捨てるとハクヤを追いかける。
泣いてるエレンを一人残されたルーナは何とも言えない気持ちでエレンの横に座ると「よしよーし」とそっと頭を撫でた。
その一方で、ハクヤを追いかけたミュエルは部屋から出るとすぐドアの横で壁に寄り掛かってるハクヤの姿があった。
そして、その時のハクヤの表情はとても悲しいのを噛み殺しているような顔で、ただいつもより瞳は凍てついていた。
その表情にミュエルは怒る気も失せて同じようにドアを背にして寄り掛かる。
「結局、私の説得も無駄だったわけね。あんなにしっかりと自分の欲を吐いたのに。信じたから好きにさせたのに」
「言葉じゃ自分の理想を体現できない。それに俺の願いなんて二の次だ。今は成し遂げなければいけないタスクを実行しているからな」
「あんたも結局どこまでも
昔のあんただったら状況が状況故に仕方ないと思ったけど、今のあんたは私が知ってる中で一番胸糞悪くて嫌い」
「堂々と言ってくれるな」
「それに何か『俺の願いは』よ。あんなもん自分の願いを押し付けてるもんじゃない。そして、それをあえてエレンの意思で容認してもらおうとしているクズ野郎。
そして、今何よりも嫌いなのがあんたのその面よ! 任務のためだとかカッコつけてんな! 死臭が漂いまくってんのよ!」
ミュエルはハクヤに指を指すとまくしたてるようにそう告げた。それに対してのハクヤの反応はない。
全て図星だったからだ。反論の余地もない。だからこそ、思う。
「ミュエル......生き様を変えるって難しいな」
「......はあ、今のあんたって不器用を通り越してただのバカよ」
ミュエルはそれ以上何かを言うことを止めた。言っても意味がないと感じたから。それ以上に、ハクヤの自棄気味な様子にどうしたらいいかわからなかった。
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