第九十一夜 口に出せないこと

 聖王国ルナリアに入国してから二日目が経った。

 その日も特に冒険者ギルドに向かうこともなく、ハクヤとミュエルはルナリアでの安全度や情報を求めに出かけ、エレンとルーナも二人で当てもなくプラプラしていた。


「なーんか、一面白だと迷いそうだよね」


「わかるかも。一応、店の看板とかが目印になるけど、少し路地に入ったらもうどこにいるかと思っちゃいそう」


 エレンとルーナはまだ人通りの多い道で多種族とすれ違いながら、目新しく映る周囲の光景にキョロキョロとしていく。


 来たばかりの初日はついた時間が昼過ぎだったこともありあまりどこへもいけなかったのだが、今は午前中から行動しているので好きなように街をめぐっている。


 ハクヤからは「あまり人気のない路地に入らないように」と注意勧告を受けているので、それを出来るだけ守りつつ、されど好奇心全開で行動していく。


「あ、あんなところに本屋がある!」


「エレンはよく読書したりするの?」


「うん、読むよ」


「主にどんなのを?」


「官の......げふん、純恋愛もの多いかな」


「今、官能小説って言いかけなかった?」


 ルーナの言葉に「言ってないよ!」とエレンは顔を赤くして抗議するが、もはや言葉と言動でバレバレである。


 エレンが意外にムッツリなのは今更なことなのだが、ルーナは初めてなので「あのエレンが......」と少し意外に思った。


 とはいえ、時折ハクヤに対して妙に押しが強くなる時があるのはもしかしてそれを参考書として使ってはいないだろうか? だとすると.......あれ? 作ろうとしてる? 既成事実。


 いやいや、さすがのそれは考え過ぎであろう。そこまでのエレンの行動は見たことがない。

 ......いや、見たことがないだけであったりするのか? あれ? そもそもなんでこんなことを悶々と考えているんだろう?


 ルーナはエレンから出たようなものである「官能小説」というパワーワードに思わず思考が茹ってしまっている。それってつまりは、あのハクヤが......


「痛った~~~~!」


「急に頬叩いてどうしたの!?」


 ルーナは思わず半裸のハクヤまで想像してしまったところで自分の頬を思いっきり手のひらで叩いた。

 まさしく煩悩退散! と言わんばかりの威力で、頬は赤く染まりジンジンと鈍い痛みが続いていく。


 その突然の奇行には隣にいたエレンも思わず驚きを隠せない。思わず自分が何かしたのかと疑うほどに。まあ、そのきっかけは正解なのだが。


 そんなエレンに何でもないような素振りを見せるルーナは「とりあえず覗いてみようよ」と告げて、そそくさと本屋に入っていく。


 品揃えがいいのか本棚にぎっしりと興味を引くような本が置かれている。その光景にエレンは感動が隠せない。


 そして、エレンはまるで高速移動のエンチャントでも使ったようにシュッシュッとあちらこちらへと動いていき、その片手には秒で本が積まれていく。


 ルーナはあまり読書をしないため「はしゃいでるな~」とそれを見て苦笑いしつつ、適当に近くの本を眺めてみることにした。


 あるのは大抵が物語本かエッセイ本、そして学術書である。物語のジャンルも成り上がり系か王子が姫を助けに行く王道もの。


 そう言う本も嫌いではないが、ルーナの場合目が引かれるのは誰かがまとめた秘境の地であったり、絶対に近寄ってはいけない場所とか変わり種の冒険物語やオカルト系である。


 そう言う本を軽く手に取っては目次を見て適当なページを開き、その本を覗いていく。

 紹介されている内容が本当にあるのかはわからない。しかし、わからないのであれば行って確かめてみるのもまた一興というものだろう。


「へぇ~、いつかは行ってみたいな~」


 そんなまことしやかの内容に少しだけ心が躍る。しかし、ルーナが「いつか」と付けたのはそれがやってくる日が来るのかどうかがわからないからだ。


 なぜなら、自分の目的は昔のある瞬間から絶対的に揺るがないものだからだ。


 手に取った本を読んでいるとふと腰付近に並べられている本の中から気になるタイトルの本を見つけた。


「『鬼人族滅亡までの歴史』......か。別に滅亡してないけどね」


 現にこうして鬼人族である自分がその本を手に取っているのが証拠だ。それに島を出た鬼人族は自分だけではない。


 されど、怒る気になれなかったのはそのタイトルはあまり間違っていることを言ってなかったからだ。


 ルーナが知ってる事実としては鬼人族は全滅した。それはルーナがまだ幼い頃に鬼人族でしか作られない鬼神薬を巡ってのことだった。


 鬼人族は誇張でもなく人族よりも強い。それは生まれつきの体格もそうであるし、魔力量、筋組織の強さ――――つまりは肉体面でも魔法面でもはるかに基準値が高いところにあった。


 もともとポテンシャルが高いということは鍛えればさらに強くるということ。その鬼人族の中でもトップクラスの連中は人族を五十人相手にしたところで十分に戦うことが出来るレベルであった。


 しかし、ある点においては鬼人族と人族は決定的に違っていた。


 それは人族から生まれる特異的な存在のことだ。いわゆるポテンシャルが高く生まれたという意味なのだが、鬼人族とは違うのは伸びしろに限界がないということ。


 鬼人族は誰しもが高いポテンシャルであるが、その中でも飛びぬけるにはさらにポテンシャルが高い存在か伸びしろが周りよりも長かった場合に限る。


 つまりは大抵の連中は早く鍛えようと遅く鍛えようと最終的には同じような力の値になるということだ。


 とはいえ、それだけでも十分に脅威な存在と言えるはずなのだが、とりわけ特異的な人族の集団には意味がなかった。


 まるで限界を知らないかのように、鬼人族でも逆らえない自然と相手にしているように圧倒的な力で潰されていく。


 それは人族が五十人も束になって戦ってもものともしない鬼神族の戦闘エリートがあっけなく死んでいくほどに。


 そして、その特異的な殺戮集団は今でもはっきりと思い出すことが出来る。


「――――8人の殺戮者達エイトジェノサイダーズ


 ルーナはその本に書かれていたその文字を指でなぞりながらボソッと読み上げる。

 この言葉が出るということはきっとこの本の作者は同じ既存族なのであろう。そして、書いたのはあの日の悲劇を繰り返さないためと誰かにそいつらを殺してほしいということ。


 その内容に書かれていたのが正しくそれを伝えているようであった。

 突然襲ってきてまるで赤子の手を捻るように鬼人族の猛者達を叩きつけ、潰し、切り刻み、屠っていく。


 地獄に行っても笑って地獄の門番を殺しそうな野蛮さ。まるで娯楽の一つであるかのように人を殺す罪意識の軽さ。


 殺すことが道楽であるかのような頭のネジが一本どころか数十本も足りないようなイカレた存在。


 ルーナはもう読むに堪えず本を閉じた。これ以上読むと昔に聞こえた鬼人族どうほうの断末魔が思い出してきそうだから。


 この本はその殺戮集団がいかに極悪で生きてちゃいけない存在であるかということを示している。ただこの世から消えてくれることを願っている。


 まるで鬼人族どうほうにそいつらに復讐することを願っているみたいじゃないか。どこにそんなバカがいるというのか。


 挑んでも殺されるだけ。それは昔のあの時にハッキリと思い知らされた。ただ生きたいなら関わらないのが一番だと。


 しかし、知っている。そんなバカが一人だけいることを。


「ルーナちゃん、何読んでるの?」


「え?」


 ふと思考に没頭していたルーナの背後からルーナが手に持っている本を覗き見るように顔をピョコっと出すエレン。


 そのエレンの突然の登場にルーナは驚き、咄嗟に振り向きながらその本を背後に隠す。大切な友達のエレンには一片たりとも関わらせたくないから。


 しかし、そんなことを知らないエレンは訝し気にルーナに尋ねる。


「ルーナちゃん? 今何隠したの? もしかして、官能小説?」


「ち、違うよ! っていうか、エレンちゃんと同じにしないでくれる!?」


「なにをー! ちゃんと純愛小説買ってますぅー!」


「......今、ハッキリと『も』って言ったよね?」


「......」


 ルーナの当然の追及にエレンはルーナから視線を逸らしながら口を固く結ぶ。

 しかし、その顔に「しまったぁー! 口滑らせたぁー!」とでも伝わってくるような冷や汗をいっぱいかいている。


「......ぷ、くふふふ、あはははは!」


 そのエレンの様子にルーナは思わず笑みをこぼした。全くバレバレであるのに必死に隠そうとする辺りがなんとも子供っぽくて可愛らしい。


 今の時間が幸せだと感じる。心の底から笑える気がする。エレンがまるで太陽のような存在であるかのように、さっきまで影が差していた心を優しく包み込み透かしていく。


 一緒にいて楽しい。また楽しい思い出を増やしたい。恋にガッツあふれる、されど空回りしている少女の言動を見ていたい。


 だからこそ、関わらせてはいけない。絶対に。大切な友達であるからこそ。


 ルーナはそっと後ろ手で平積みされたところに手に持っていた本を戻すと何も持っていないことを示すように腹を抱えて笑った。


 そのちょっと小バカにしたようなルーナの笑いにエレンはちょっとだけムスっとしながら、「そんなに笑うことないでしょー! もー!」と抗議していく。


 そして、しばらく笑った後、ルーナは不意に漏れ出た言葉を告げる。


「ありがとう、エレン。こんなに笑わせてくれて」


「なんかすっごく不本意なんだけど、どういたしまして!」


「もうそんなに怒ったら眉間にしわ寄っちゃって、ハクヤに顔向けできなくなるよ~」


「それは困る!」


 エレンは血相を変えて両手で眉間を抑える。そして、指を使って眉間を伸ばしながら「どうかな?」と尋ねてくる。その顔がちょっとした変顔みたいでまたルーナの浅いツボに刺さり......


「あはははは!」


「なんで笑うの!? あ、もしかして騙したな~!」


「違う......けど、くふふふふ」


「笑いすぎ!」


 ルーナは心から笑えてるこの瞬間がとても好きだった。今もとても充実した気分であった。

 だからこそ告げられない。自分の目的が――――殺戮者の復讐であるだなんて。

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