第54話 背伸びをして、夢を見て
待ち合わせ場所に佇む彼女は光り輝いていた。
「おぉ…………」
改札を出たところからその光景を見た僕は思わず声を零した。
デート当日。約束時間の十五分前。祥子さんは既に、待ち合わせ場所である時計台の下で携帯をいじっていた。
遠くからでも彼女がどこにいるかはすぐに分かる。男女問わず通りゆく人々が、皆彼女の顔をチラチラと見ていくからだ。
ネイビーのノースリーブトップスと滑らかな白いワンピースが真っ白な彼女の肌を包んでいる。柔らかくなびくふわふわの髪は光に透けると淡いミルクティー色にきらめいていた。窓から差し込む光が彼女を照らして、まるでそれは宗教画か何かのように神々しいものにさえ見える。
このまましばらく見つめていたいような衝動に駆られたけれど、いかんいかんと首を振って僕は小走りに彼女の元へと向かった。
「祥子さん」
「あっ」
彼女が顔を上げる。そして、目を丸くして黙り込む。
僕が近寄れば、不自然に彼女の傍でうろうろと携帯をいじっていた数人の男が、鼻にしわを寄せて離れていった。
「ごめん。待たせちゃったね」
「私も今来たところだから……」
「…………この格好変かな?」
「う、ううん。似合ってるよ。とっても」
僕は口を開けずにニッコリと微笑んだ。澤田さんと黒沼さんに選んでもらった一張羅が彼女の好みに合わなかったらどうしようと思っていたのだ。彼女が僕の格好を見て少し耳を赤くしているのを見ると、悪い印象ではなかったのだろうと安堵する。
黒のテーラードジャケットと白シャツでモノトーンにまとめて子供すぎず大人すぎず……。小物や髪型にも気を使って……。腕時計は最低でもこのランクからにしろ……。などと僕を着せ替え人形にし、更には女性のエスコートや遊び方も伝授してきた黒沼さん達には殺意が湧いていたけれど、今の彼女の反応を見ていると、あの二人には後でお礼を言っておこうと思う。
今日も彼女の美しさは思わず目を奪われるほどである。その隣を歩くんだ。これくらいはしなければ。
「じゃあ、デートしよっか」
僕は彼女に手を差し出して言う。
彼女は少し恥ずかしそうに笑って、僕の手を取った。
結論から言おう。彼女とのデートは夢のように楽しかった。
ショッピングモールに行きお互いの服を見た。コスメショップで彼女が次々化粧品を試して唸っているのを見守った。映画館で恋愛映画を見て、カフェでお茶をしながら映画の感想を熱く語り合った。
僕達の間に会話は絶えなかった。彼女との会話一つ一つがあんまりにも楽しかった。僕達は昔と同じように笑い合う。
こうしていると、三年間も会っていなかったなんて、嘘みたいだ……。
時間がたつのはあっという間だった。空は次第に紫色へと変わりゆく。帰路に着く人々の往来が増えはじめたのを見て、僕はそろそろ帰ろうかと彼女に提案した。
楽しい時間にも終わりがある。帰宅が遅くなれば彼女は父親にどやされるに違いない。名残惜しさを感じつつも、僕は彼女を駅まで送ろうとした。
「ううん、嫌」
「え?」
「最後に行きたい所があるの」
彼女はそう言って僕の反応を待たずに歩き出した。ぽかんとしていた僕もヒールがコツンと地面を叩く音に我に返り、慌てて彼女の後を追う。コツン、カツン、と鳴るヒールの音がまるで音楽を奏でているように聞こえた。
僕達がやってきたのは公園だった。一歩入っただけでも目の前には花が咲き乱れる花壇や広い噴水があり、なるほどこれは昼間だったら穏やかなデートコースとして人気だろうと理解した。しかしそれはあくまで昼間の話。今は夜だ。
大きな花壇の周りをぐるりとベンチが囲んでいる。そこにはもう夜になるというのに幾人かのカップルが座っていた。僕達はあいているベンチに座る。植木の陰に隠れ、隣のベンチに誰が座っているかは見えずに済む。ひそひそとした小さく鈴を転がすような囁きだけが辺りから聞こえるだけだ。
祥子さんはベンチに座ってからも、特に何をどうするわけでもなく黙っている。ヒュウと強い風が吹き抜けて木の葉をざわめかせた。冷たい風に彼女は僅かに肩を縮め、ぎゅっと唇を噛んだ。
「これ着てて」
僕はジャケットを脱いで彼女に羽織らせた。彼女は少し驚いたように僕を見つめてから、ありがと、と大人びた声で言う。
「しばらく会わないうちに、なんだか大人になったね、湊くんは」
「まさか。今日のために知り合いに色々と教えてもらったんだよ」
「ふぅん。女の子を上手くエスコートする方法とか?」
「いや背伸びして自分をどれだけかっこよく魅せられるか」
あはは、と彼女は手の甲で口を覆った。ヒールがコツンと地面を打つ。
今日の彼女はヒールのおかげで少し背が高い。僕はヒールの靴を持っていないから、代わりに少しでも大人びた行動で背伸びをしようとしていた。
彼女の隣を歩いていても不自然に見えないように。
空はすっかり暗くなった。彼女はそれでも帰ろうとはしなかった。まさかこのまま一晩中ここにいる気じゃないだろうかと不安さえ感じたとき、不意に彼女が腕時計に目を向けて微笑んだ。
その瞬間。僕の視界一面が、眩い光に包まれた。
「わぁっ!」
僕は驚きとも感動ともつかない声を上げた。
公園が白く輝いていた。視界に映るもの全てが、天の川の星を零してしまったような眩しい光に包まれている。僕達が座るベンチの周りもだ。よく見ればそこにはLEDライトが巻かれていた。花壇の周りに、木の幹に。いたるところにライトが巻きつけられている。
周囲のカップル達からも歓声が聞こえてくる。僕はしばし圧倒的な光に目を奪われていた。鮮やかな白色が、見開いた目の奥にまでしみこんできそうだった。
「す……っごいな。イルミネーション?」
「どうしても見たかったから。引きとめちゃってごめんね」
「綺麗だ、凄く。来てよかった。まさか九月にこんな景色が見られるなんて」
SNSで教えてもらったの、と祥子さんは携帯を取り出した。彼女がやっているSNSは若い人の間で流行しているものだった。僕もやっている。お気に入りの写真や友人とのワンシーンをたまに投稿して遊ぶだけの。
けれど彼女のアカウントは僕の何百倍ものフォロワーがいて、投稿数も多かった。おしゃれなスイーツの写真やコーデ写真の中に紛れた「おすすめのデートスポットを教えて」という投稿に、ずらりと大量のコメントが付いている。
投稿写真の中には僕らしき人物の写真もあった。というより最近の写真のほとんどには僕が映っていた。顔こそ分からないようにぼかされているものの、持っているカメラや背格好や服装からそれが僕であることは簡単に分かる。
「いつの間に撮ってたの? わ、今日の写真もたくさんある。隠し撮りが上手いな……」
「あは、言い方。湊くんは? 写真撮らないの? てっきりカメラを持ってくるんじゃないかなって思ってたんだけど」
「あなたは僕が久しぶりのデートにもカメラを持ってくる男だと思う?」
「うん」
「そうなんですよ」
僕は鞄から小型のミラーレスカメラを取り出した。おかしそうに笑う彼女がピースサインをするから、僕は早速カメラを構えて彼女を撮った。
夜景を背景にして撮った彼女は、我ながら綺麗に写っていた。雑誌の表紙を飾れそうだと彼女がはしゃぎ、僕も満更でもなく頬をかいた。
僕の手からカメラを取った彼女がレンズをこちらに向ける。慌てて笑顔を浮かべようとするも、タイミングがずれて変な顔になってしまった。
「面白い写真になっちゃった。後でプリントして部屋に貼っちゃお」
「マジ?」
あははっ、と彼女は軽やかな声を弾ませて笑った。彼女は本当に楽しそうに笑う。その笑顔があまりにもとろけていたものだから、僕もつられて笑いながら思わず言葉を零した。
「祥子さんは本当に僕のことが好きだなぁ」
言ってからふと我に返る。なんだかとても自意識過剰なことを言ってしまったんじゃないだろうか、と僕は赤くなった顔を横に振る。違くて、と何も違うことはないのに弁明を探す。
祥子さんはキョトンとした顔で僕を見つめていた。笑い飛ばされるか引かれるかどちらかじゃないかと思っていたのに、予想外にもその表情はだんだんと愁いを帯びた。俯く眼差しが真剣なものへと変わる。
「祥子さん?」
「……好きだよ湊くん」
「えあっ? う、うん。ありがとう……?」
柔らかな手が僕の手に重なった。一瞬胸が強く高鳴ったけれど、隣の祥子さんは悲しげな顔を浮かべたまま僕を見上げた。
「私が楽土町に戻ってきたのは、怪物が出たからなんだよ」
顔の筋肉が強張った。緩んでいた表情を引き締め、怪物? と僕は彼女の目をまっすぐに見つめて聞き返す。
その言葉が彼女の口から出るとは、まさか思っていなかった。
肌がひりつく。甘くとろけていた僕達の空気は一瞬で霧散した。
…………怪物が出たからここに来たというのはどういうことだ?
「怪物のことはニュースで知ったの」
「…………うん」
「私はそんな変な生き物がいることが信じられなくてね。本当なのかなって、自分でも調べてみたんだ。SNSのコメントに情報を貼ってくれる子も結構いたの。そのうちの一つに動画があった。はじめて怪物が現れたあの日の映像。場所は北高校の廊下から」
「逃げていた生徒が撮っていたやつか」
最初にありすちゃんが怪物に変身してたくさんの人を殺したあの日。逃げ惑う生徒達の中には、記録を残そうと携帯を持っている人もたくさんいた。そのうちデータが残っているものは半分以下だ。残りは持ち主ごと潰された。
「ニュースには使われたことがない映像だった。画面もブレブレだったし、怪物の姿も映せてなかったから。悲鳴と生徒の背中しか見えないの。でもその中に湊くんの姿が映ってた」
「僕っ?」
「一瞬だった。でもすぐに湊くんだって分かった。見た瞬間に気が付いた」
そんな映像があったとは知らなかった。けれどまあ僕だって逃げていたのだ。映像の片隅に映っていてもおかしくはない。
祥子さんは溜息を吐いた。残り少ないロウソクの揺らめきのようにか細く、けれど酷い悲しさを孕んだ溜息だった。
「君が死んだらどうしようと思って、凄く怖かった。ちゃんとお別れもしていないのに。もう二度と会えなくなったらと考えると、悲しくてたまらなかった」
ずっと会ってなかったのにね、と彼女は泣き笑いの顔で言った。僕は彼女と同じ、苦しそうに眉根を寄せた顔で、彼女を見つめた。
僕だって同じだ。もし怪物が現れたのが違う場所だったら、逃げる生徒の中に祥子さんの姿を見かけたら……きっと同じことを思うはずだ。
「不安に思う間も怪物の報道は止まらなかった。二体目が出て、三体目が出て。もっと怪物が現れたらどうしよう? 私の街にも現れたら? って考えると怖かったの。あんなのが急に目の前に現れたら、私なんて一瞬で死んじゃうよ」
「…………じゃあ、何もここに戻ってくることはなかったじゃないか。楽土町は怪物が出るんだ。それに転校した北高校が、怪物の初目撃地であることを知らないわけじゃないだろう? ここは危険なんだよ」
「分かってる。でも私はパパにお願いしてここに転校したいって言ったの。……凄く怒られた。何でよりによってあんな所に、ってほっぺも叩かれちゃった。それでも私はここに来たかったの」
「どうしてそこまでして?」
「言ったでしょ。ここにはあなたがいるからよ」
イルミネーションが僕達の足元を照らしている。チカチカと綺麗な光の中で、彼女の肌が透き通るように輝いてる。
彼女はそっと僕の肩に寄りかかる。甘い香水の香りがして、僕の喉を引っ掻いていく。
「今後怪物が他の街に現れないなんて保証はない……。今いる怪物達が移動して私達のところにやってくる可能性だってある……。そうやって怯えながら湊くんの無事を祈る生活が続くくらいなら、危険だと分かっていてもいっそこの街に来て、あなたの傍にいたかった」
それは熱烈な愛の言葉だった。僕は静かに息を吐いて、それから喉にぐっと力を入れ、ゆっくりと彼女に尋ねる。
「ねえ祥子さん」
「なぁに」
「どうして僕を好きになってくれたの」
祥子さんは微笑んだ。返事はたった一拍の呼吸も置かずすぐに返ってきた。
「カメラ越しの君の目が、とても優しかったから」
僕はもう何も言えなかった。ただ自分の手に重なる彼女の手を、無言で握り返すことしかできなかった。
中学生のとき。彼女が僕と過ごしたたった少しのあの時間。それが少しでも彼女の心に安らぎを与えることができていたのなら。僕の存在があのときの……そして今の彼女にとってかけがえのないものとなっているのだとすれば。
そうしたらもう、僕は彼女の柔らかな願いを、否定することなんてできやしない。
「好きだよ湊くん」
「……………………」
「これからずっと傍にいて」
彼女が僕に顔を向ける。その顔は真っ赤に染まっていた。熱い吐息が震え、ゆっくりと瞬くその両目は涙が零れ落ちんばかりに潤んでいた。
その表情を見ただけで。彼女は本当に僕を好きなのだと確信してしまう。
いいのか? 僕も、普通の男子のように、恋をしたって。
十七歳の普通の高校生のように。魔法少女や怪物や宗教団体という課題から目を反らして。まったく別の甘酸っぱい青春を謳歌したって。
僕は祥子さんのことが嫌いじゃない。こうして恥ずかしそうに顔を赤らめて「好きだ」と言われて、何も感じないほど子供じゃない。
「祥子さん」
思わず彼女の肩を掴む。祥子さんは一瞬体を強張らせ、それから一層赤く染まった顔を僕に向けた。
イルミネーションが輝いている。美しい光が僕達を包み込んでいる。その中で互いの顔から目を反らさない僕達は、まるで世界にたった二人きりでいるみたいだった。
どうする、湊。お前はどうしたいんだ。祥子さんに何をする気なんだ。
なあ湊。なあ。
――――お前はこの人のことを、本当に恋愛対象として好きになっているのか?
「ぶぇくしゅんっ!」
唐突に。巨大なくしゃみの音が僕達の空気を弾き飛ばした。
わっと驚いた僕と彼女は体を離す。けれど僕はすぐ感じた違和感に眉根を寄せ、ベンチから立ち上がった。音がしたのは花壇の横側。つまり僕達の隣に位置するベンチの方向である。
僕はそちらに向かった。湊くん? と祥子さんが戸惑った様子で僕を追ってくる。
僕が立ち上がったのは、その声に聞き覚えがあったからだ。
「……ありすちゃん?」
「はっ!」
花壇の陰。目当てのベンチ。そこに、ありすちゃんがズビズビと鼻を垂らして座っていた。
……いいやありすちゃんだけじゃない。その両隣に千紗ちゃんと雫ちゃんが。ベンチの後ろには黒沼さんと澤田さんの姿まである。勢揃いだ。何やってんだ。
全員がやべっと言いたげな顔で僕達を凝視し、固まっている。ありすちゃんの顔はすっかり青ざめていた。僕と祥子さんを交互に見上げ、ぶるぶると必死に首を振っている。
「違うの違うの違うのよ」
「なにが」
「後をつけたりなんてしていないの偶然なのよ黒沼さん達から先輩のデートの話なんて聞いていないの」
「デートの話聞いて後をつけてたの?」
「つけたわけじゃないのよ本当よこの辺りでお喋りしてたら偶然公園に入っていく二人が見えたから皆でこっそり追いかけようとしたわけじゃないのよ本当よ信じて」
僕は無言で額を押さえた。ここまで馬鹿正直に暴露されると怒りも湧いてこない。代わりに黒沼さんと澤田さんを睨めば、彼らはわざとらしくくるっと顔を背けて月を眺めたり自分の爪を眺めたりしていた。
「分かったよ。分かったから。とりあえず鼻かんでありすちゃん」
「ンズッ」
ティッシュを鼻に当ててやればパニック状態のありすちゃんは素直に鼻をかんで満足そうな顔をした。けれど僕とありすちゃんは同時にハッと目を見開き同時に横を向く。ぽかんとした顔で僕達を見つめていた祥子さんは、困惑したようにこの方たちは? と首を傾げる。
千紗ちゃんと雫ちゃんはそっぽを向いて口を開こうとしない。まだ半分パニック状態のありすちゃんは山田花ですと何故か偽名を口にする。仕方なく僕が皆の紹介をしていった。
「どういったご関係?」
「友達だよ」
「ふぅん。友達……」
祥子さんは納得しているのかしていないのか分からない顔で皆を見つめた後、ニッコリと微笑んだ。
「はじめまして、華白祥子です。湊くんとは中学生からの付き合いで」
彼女は皆に手を差し出した。その手をありすちゃんが取り、よく分かっていない顔でとりあえず上下に振っている。千紗ちゃんは鼻をスンと鳴らして適当な挨拶を返し、雫ちゃんに至っては彼女と視線を合わせようとさえしていなかった。後ろの黒沼さんと澤田さんはバッチリとキメ顔をしているのでなんかもう論外だった。
夜風が一層強く僕達の間を吹き抜けた。肌にしみるような冷たさにありすちゃんが身震いする。そろそろ帰ろうかな、と祥子さんが夜空を見上げて呟いた。
「駅まで送っていくよ」
「いいよ。せっかくお友達がたくさんいるんだから。ゆっくりお話してて」
「そういうわけには……っと?」
不意に祥子さんが僕に一歩近づいた。ヒールがトンと地面を叩く。その音に瞬きをしたその一瞬、更に背伸びをした彼女は僕の頬にキスをした。
「っ」
カッと頬に熱が走る。柔らかな感触と、ちゅっと小さなリップ音が、僕の脳内を電流となって駆け抜ける。
祥子さんは僕の顔を見て無邪気に笑った。その瞳に映っている僕は一体どんな顔をしているっていうんだ。
「またデートしようね」
祥子さんはそう言い残して、駒鳥のように軽やかに去っていく。驚愕に目を丸くして固まるありすちゃん達の間を抜けて、くすくすと甘い笑い声の余韻を残しその姿を公園から消した。
僕はそれを追いかけることはできなかった。顔を押さえて、その場にずるずるとしゃがみ込んでいたからだ。追いかけたところでどうせ今は人に見せられる顔ではないだろうけれど。
「ど、どういうことなの?」
祥子さんがいなくなった途端僕は皆に詰め寄られた。どこまで進んだんだいつもチューしてるのなどとうるさい声が響く中でも、一番裏返った声を震わせているのは意外にも雫ちゃんだった。
「あの祥子さんって人と付き合ってるの?」
「雫ちゃんまで……。ええと、説明が少し難しくなるんだけど。付き合っているというか昔の関係を引きずってるといいますか……」
「でもキスしてたよね」
そう言った雫ちゃんの声は少し刺々しかった。驚いて彼女の顔を見れば、彼女はハッとしたように顔を真っ赤にして隣にいた千紗ちゃんの背に隠れてしまった。
「まあそう邪険にすんなって。結構面白かったぞ」
「人のデートをエンタメにしないでくれる?」
「最後のキスシーンはドラマチックで痺れたね。ありすがくしゃみしなければなぁ。その後も参考にしたかったんだけど」
「参考って……何の話してんだよ」
「脚本のネタにしたくて」
「脚本?」
映画。文化祭のだよ。と千紗ちゃんは言葉を区切りながら言った。
「文化祭の出し物決めただろ? あたしは映画研究部で映画を作るんだ」
「映画? へぇ、作れるんだ。凄いね!」
「ミニ映画だけどな。まあどっちにしろ一ヵ月ちょいしか準備期間ねえから、急いで脚本作らないと」
「完成したら教えてよ。見に行くから」
「来なくていいわ」
そう言いながらも千紗ちゃんの顔はなんだか楽しげだった。
映画研究部には確かあと二人くらい部員がいたはずだ。人数は少ないが、ミニ映画なら作れるだろう。手が足りなかったら手伝いとして出演してもいい。木の役くらいなら僕にもできそうだ。
「雫ちゃんは文化祭何やるの?」
「えっ? あっ。わ、わたしっ? えと……。その、図書室で本を出すの」
「古本市ってやつ?」
「それもあるけど。あのね、皆で本を作るの。童話とか、小説とか、絵本とか……」
「自分でっ? わ、面白そう。雫ちゃんは何を描くの?」
「絵本を作りたくて……凄く可愛い、読んだ人が幸せになれる絵本を…………」
素敵だ、と僕は心からの賞賛を彼女に述べながら、更にその心の奥底でしめしめと笑みを浮かべていた。
文化祭の方向に話を持っていくことができた。祥子さんのことについてこれ以上追及されなくて済みそうだ。彼女の話は一旦おわり。おしまいだ。よし終了。
「ところで湊さっきのキスだけど結局彼女とはどこまで」
「黒沼さん澤田さん! 二人は学生時代どんな文化祭だったんですか!? 僕すっごく知りたいな!」
話を蒸し返そうとした黒沼さんに大声で尋ねる。大人二人は顔を見合わせて、どんなだったかな……と文化祭の思い出を手繰り寄せていた。「俺は三日しか練習してないバンドを披露したっけ」「バイクで廊下走りながら窓ガラス叩き割ったなぁ」と懐かしい思い出にしみじみと頷いている。
「いいじゃんか絵本。絵本作家に憧れてんだろ? 夢への第一歩ってわけだ。できた作品コンテストにでも出してみろよ」
「そんな大層なものは作れないよ……。千紗ちゃんだって映画をコンテストに出さないの? 映画監督とか、きっと向いてるよ」
「ミニ映画のコンテストねぇ……。あれば出してみてもいいけどさ」
「きっとあるよ。僕も文化祭用に撮った写真を数枚、フォトコンテストに送ろうと思ってるんだ。写真のコンテストはたくさんある。ミニ映画のコンテストもきっとたくさんあるよ」
「写真のコンテストって大賞取ったらどうなんだよ。プロのカメラマン資格とかもらえんの?」
「あはは。そんな資格ないよ。あったら嬉しいけど」
一ヶ月少し先に控えた文化祭の話で僕達は盛り上がる。ジャンルは違えどそれぞれ物を生み出す分野を目指しているのかなと僕はぼんやり思っていた。夢の話というやつだ。このメンバーでそんな話をするのは少し新鮮で、とても楽しい。
ありすちゃんは何をするの? と振り返る。けれど僕は、気落ちした様子で俯いているありすちゃんを見て呆気にとられた。どうしたの、と問えば彼女はごめんなさいと小さな声で謝ってぎこちなくはにかんだ。
「ただ、皆偉いなって思ってただけ」
「偉い? はは、何のこと。文化祭について話してるだけじゃないか」
「違うわ。だって皆、ちゃんと将来について考えているじゃない。カメラマンとか、映画監督とか、絵本作家とか。自分がやりたいことが何か、分かってるんだわ」
「ありすちゃんだって将来の夢はあるだろ?」
「……ううん」と彼女は首を横に振る。「私は魔法少女になりたいっていう夢しかないの」
「そんなこと」
そんなことないよ、と言おうとした言葉は途中で途切れた。何故ならそれはありすちゃんのいう通りだったから。
ありすちゃんの夢。それは魔法少女になることだ。だけどその願いは叶った。そしてその夢が黎明の乙女を倒すまでの間だと言うのなら……彼女にはその後の、将来の夢が必要になってくる。
だけど。ありすちゃんは、魔法少女になりたいという夢以外を口にしたことがあるだろうか。
「お、お花屋さんとか。ケーキ屋さんとか。おもちゃ屋さんとか。そういうのは?」
「ううん」
僕が掠れた声でした提案に彼女は首を振る。
ないの、と彼女は悲し気に、そしてハッキリした口調で答えを言う。
「ないの。何にもないの。自分でもびっくりするくらい、本当に考えられないの」
「……………………」
「私には魔法少女以外、何もないの」
背中にぬるく冷たい汗が伝っていく。首筋を冷たく撫でる夜風に身震いし、僕はぎこちなく彼女から視線を反らす。
なんとなく。本当になんとなく。彼女は僕達の中で一番 夢を持っている子だと思っていた。甘くてロマンチックで光り輝く、素敵な夢をたくさん持っているんだって、そう思ってた。
…………だけど本当は全然違うんじゃないだろうか。
千紗ちゃんよりも、雫ちゃんよりも、僕よりも。この中で彼女が一番、夢を持っていない子なのだとしたら。
魔法少女の物語が終わったら。彼女は、一体。
「あるよ」
「うん」
「きっとあるよ。夢。君の夢。これからいくらでも」
「うん」
「見つかるよ、きっと。すぐにでも」
「ありがとう、湊先輩」
ありすちゃんはニコリと微笑んだ。それは誰が見たって、お世辞の笑顔にしか見えなかった。
君はこんな笑顔をしたことなんてなかったのに。
「ありすちゃんは? 文化祭で何をするの?」
空気を読んだのだろうか。雫ちゃんがそんなことを言ってありすちゃんの気を反らす。彼女は一転してコロッと笑顔を浮かべ、大きな身振りをふまえて説明を行った。
「クラスで自由展示をするのよ。テーマがあって、それに合わせた思い思いの作品を皆が展示するの。今年のテーマは『私』」
「それはまた抽象的だね……」
「自由展示ってお前そりゃあれだ。案を出すのが面倒で適当に決めたら、逆に面倒なもん作るはめになるやつ。自由が一番めんどくせえ」
「一メートルを超えちゃ駄目とは言われてるんだけど、それ以内なら何を作ってもいいのよ。絵を描く人も、段ボールを組み立ててる人もいるんだけど、私は何をしようかしら」
「川で拾ってきた小石に『私』ってタイトル付けて置いとけよ。っぽいから」
先生に怒られちゃうわ、とありすちゃんは頬を膨らませて困ったように肩を落とす。雫ちゃんがふと僕を見つめ、カメラに視線を向けて手を打った。
「写真はどうかな? 何枚か撮ってアルバムを作るの。きっと素敵な作品になる」
「でも私は湊先輩みたいに上手く撮れないわ」
「当たり前だろ初心者なんだから。どうせ文化祭の一回きりだ。好きに撮ればいいんだ好きに撮れば」
ありすちゃんはもごもごと口の中で舌を泳がせて僕を上目がちに見つめる。撮ってみる? と僕は微笑んで小さな彼女の手にカメラを持たせた。簡単な説明だけをしてあとはまかせてみる。ありすちゃんは不安げな顔をしていたけれど、僕の両隣に千紗ちゃんと雫ちゃんがピースサインをして並べば、覚悟を決めたようにカメラを構えた。
「一回だけよ。練習だけ。だってカメラを買うお金なんてないもの……。これはあくまで文化祭で作る作品のヒントにするだけで」
「はよ撮れ」
「うーっ!」
彼女は唸りながらシャッターを押した。軽く音がなって写真が撮れる。ありすちゃんの背後で見守っていた澤田さんがどれどれとカメラを覗き込み、目を大きく見開いた。
「えっ、えっ。どこか変? やっぱり駄目だった?」
更にその横から画面を覗き込んだ黒沼さんも同じ反応をする。不安そうにおろおろと涙目になる彼女を見かねて手招きすれば、彼女は両手を伸ばして僕の元に飛び込んでくる。
初心者だ。そう上手く撮れるわけもない。それでもきっと彼女の味がある写真になっていることは間違いない。
僕はどんな賞賛の言葉をかけようか考えながら写真のデータを見て、そして唇を引き結んだ。
「すげえじゃん!」
「わ、本当だ。上手……」
真っ先に声を上げたのは千紗ちゃんだ。横から雫ちゃんも、目をパチパチと驚きに瞬かせながら感動の声をあげる。
笑顔で写っている僕達はちっともブレていない。表情も自然で、夜で暗いのにも関わらず光加減が絶妙だ。イルミネーションのライトが綺麗に輝いている。
そう。ありすちゃんの写真は上手かったのだ。
それもかなり。
「本当? 嘘ついてない?」
「本当だよ。すっごく上手な写真」
「まあ初心者にしてはだけどな。プロレベルとは全然呼べないけどさ」
「千紗ちゃん!」
「…………ふつーに上手いよ。初めて撮ったのか? マジで?」
千紗ちゃんと雫ちゃんに褒められてありすちゃんはぽっと耳を赤く染める。けれど僕が写真を凝視して動かないのを見ると、また顔を青くしておどおどとした様子で僕の裾を引っ張った。
「み、湊先輩。どう? やっぱり気に入らない? 駄目っ?」
「……………………」
「うぅ…………」
「…………上手いよ。……いい写真だ」
嘘じゃない、と僕は振り絞るように低い声でそう言った。途端、ありすちゃんの顔がパッと明るく光る。彼女は僕の手を取ってぴょんとその場で飛び跳ねると、屈託のない愛らしい笑顔を浮かべた。
「やった! 湊先輩に褒められちゃった! 私、センスがあるのかも」
「その道の人間に褒められたら本物だろ。よかったじゃないか」
「ふふん」
「おお、調子に乗ってる」
「うふふん」
「図に乗ってる」
僕は彼女が撮った写真から目を離せなかった。皆の会話がどこか遠くに聞こえる。ぼんやりと頭の奥が白くなっていくような、嫌な痺れが脳を包んでいた。
簡単なことしか教えていない。シャッターを押すタイミングや、どこを見ればいいかとか、それだけ。それなのに彼女はこんなに素敵な写真を撮った。センスがある人間の撮り方だと僕には一目でそれが分かった。
「湊先輩」
不意に背後からありすちゃんが僕を呼んだ。思わずビクリと肩を跳ねてから振り返ると、彼女は心底嬉しそうな笑顔で僕を見上げている。
「ね、先輩も撮ってちょうだい。私の写真」
「あ……ああ、うん」
僕はカメラを構えて写真を撮る。小さな画面にありすちゃんの姿が収められる。イルミネーションを背景にキラキラと輝く自分の写真を見たありちゃんは、キャアッと嬉しそうに声を上げた。
そんなに喜んでくれるなら撮ってよかった、という気持ちが胸に込み上げる。けれど同時に別の感情までもが僕の胸に浮かぶ。
きっとありすちゃんなら、もっといい写真が撮れた。
「やっぱり私、湊先輩の写真が一番好き」
彼女はそんなことを言った。嬉しかった。嬉しいはずだった。
だけどありがとうという言葉は僕の喉に詰まり、結局口には出せなかった。
なんだか上手く、ありすちゃんの顔が見れなかった。
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