第28話 見えはじめたもの

***


 女の子のお友達ができたら、やりたかったことがいっぱいあった。

 お気に入りの服を着てショッピングがしたい。ショーウィンドに飾られた綺麗なドレスを見て目を輝かせたり、可愛いキーホルダーをお揃いで買いたいわ。

 他にもパジャマパーティーをしたり、お菓子作りをしたり、恋バナをしたり。それから、それから……。


「ふふ。楽しみ!」


 待ちに待った夏休みがやってきた。今年は新しいお友達と、たくさん素敵なことをして過ごすのよ、と私はうきうきした気持ちでヒールを鳴らす。石畳を叩くカツカツという音さえ、心地いい。

 今日は二人と、お出かけをする約束をしていたのだ。

 待ち合わせ場所に付けば、二人らしき後ろ姿が見える。私は手を振って彼女達に駆け寄った。


「千紗ちゃん、雫ちゃん!」

「うわ」


 千紗ちゃんと雫ちゃんが振り返って目を丸くした。

 彼女達の視線が私の洋服に注がれていることに気が付いて、その場でくるりと一回転してみた。空気を孕んだスカートがふわりと膨らむ。


「素敵でしょう?」

「わあ、とっても似合ってるよ」

「見た目バラッバラすぎんだろ」


 雫ちゃんは苦笑して頬を掻く。ほとんど肌を隠すシックな紺色のワンピースは彼女によく似合っていた。百貨店の受付にいるお姉さんみたいだ。

 その隣で肩を竦める千紗ちゃんは、肩がガッツリ開いたシャツ姿。ショートパンツからすらりと伸びた生足が惜しげもなく晒されている。

 どっちも素敵、と私は手を打って微笑んだ。スカートの下のパニエがふわりと揺れる。

 今日はとっておきのワンピースを着てきた。お人形さんみたい、とパパもママも褒めてくれたふわふわの白いワンピース。


 湊先輩は今日はいない。チョコもお家でまだいびきをかいて眠っている。

 魔法少女だけの、女の子だけのお出かけだ。


「さあ、遊びましょう!」


 私は二人の手を取って駆け出す。連れて行きたいところが、見せたいものが、たくさんある。私のお気に入りのお店もカフェも、きっと可愛いわって喜んでくれるだろう。

 そう思っていたのだけれど。




 お洋服屋さんで新作のドレスが売っていた。どうかしら、と二人に見せた。


「いいんじゃね」と千紗ちゃんは携帯から目を上げずに言った。

「素敵だと思うよ!」と雫ちゃんは小さく拍手をして言った。


 雑貨屋さんに入って猫ちゃんのぬいぐるみを見つけた。お揃いで買いましょう、と二人に言った。


「趣味じゃない」と千紗ちゃんは顔をくしゃくしゃにして言った。

「素敵だと思うよ!」と雫ちゃんは小さく拍手をして言った。


 おもちゃ屋さんで魔法少女のグッズを買おうと二人に言った。


「断る」と千紗ちゃんは白目を剥きながら言った。

「えっと……す、素敵だと思うよ!」と雫ちゃんは小さく拍手をして言った。




「合わないわね!」

「趣味がバラバラすぎるんだよ」


 ランチの時間。私はファミレスでパスタを食べながら声を上げた。どのお店に行っても、何を見ても、私達は意見が食い違うばかりだ。

 千紗ちゃんは大きく切ったハンバーグをほとんど噛まずに飲み込み、フォークで私を指す。


「元々キャラが合わない同士遊んだってつまんねえだけだろ。なぁ、雫?」

「んぐ。……ケホ、わたしは、た、楽しいと思ってたけど」

「お前ずっと同じことしか言ってなかったじゃん。無理してんのバレバレ」

「む、無理じゃないよ……」


 いつもママとお出かけをしているときは、私が可愛いと思ったものに可愛いと言ってくれるし、素敵だと思ったものは素敵だと言ってくれるし、欲しい物は何でも買ってくれていた。

 そういうものだと思っていた。けれど、お姫様みたいなワンピースを好きじゃない子もいるのね。

 はじめて知ったわ、と頷いてパスタをくるくるフォークで絡み取る。彼女達はおでかけのとき、いつもどんな所に行くのかしら……。


「ここのデザートとってもおいしそうね」

「まだ食うの? あたしもうお腹いっぱい。ここ量多くね?」

「でもプリンくらいなら、頑張ればいける気がするわ……」

「じゃあわたしが注文するよ。皆で分けよ?」

「わ。雫ちゃん、いっぱい食べれる人なのね!」

「前までは小食だったんだけどね……。魔法少女になってからなんだかお腹すくようになっちゃって。やっぱり、たくさん動くからかなぁ」

「あたしは別に変わりないけど」

「私もよ」

「えっ」


 デブの言い訳すんなよ、と千紗ちゃんが雫ちゃんのお腹を摘まむ。私もテーブルに身を乗り出して彼女のお腹をつついた。太ってないもん、と雫ちゃんは顔を真っ赤にして私達の手から逃げた。

 ふと私は窓の外に顔を向けた。席から立ち上がったおかげで、外の光景がよく見える。近くのショップに行列ができていた。二人も私の視線を見て外を見る。「××映画五十周年記念」と幕が張られている。店から出てくるお客さん達はたくさんのショップバッグを下げていた。窓の前を通り過ぎていく人が持っていたバッグを見れば、大きな怪獣のイラストが描かれている。


「有名な怪獣の映画だよね。五十周年記念の期間限定ショップ? すごいねぇ」

「うわ、一時間待ち!? キーホルダーやフィギュアなんかに? ただのおもちゃだろ!」

「あら千紗ちゃん。そんなことないわ」

「あ?」

「フィギュアもキーホルダーもただのおもちゃじゃないわ。怪獣の魅力がぎゅっとつまった素晴らしいものなの。並んででも買う価値があるのよ」

「ありすちゃん、ファンなの?」

「いいえ、全く知らないけれど。でも前に湊先輩とお出かけしたとき、同じようなことを言っていたから」


 湊先輩がおもちゃ屋さんで、怪物のフィギュアに子供のように目を輝かせていたのを思い出す。このショップのことを知っていたら、それこそ彼は三時間だって四時間だって並ぶに違いない。

 私は怪物の魅力はよく分からない。けれどあのとき、湊先輩の笑顔を見るのは楽しかった。

 相手が喜んでいる姿を見るだけで、人は楽しくなるものじゃないかしら……。


「よし、決めた!」


 私は大きな声を上げた。うわ、と二人が揃って驚きの声をあげる。


「好きな場所を教え合いましょう!」

「教え合う? どういうこと?」

「雫ちゃんの行きたいところ。千紗ちゃんの行きたいところ。これからどっちにも遊びに行くの」


 湊先輩が私の趣味に付き合ってくれたように、私も湊先輩の趣味に付き合ったあのときのデートはとても楽しかった。


「どんな所だって構わないわ。私の行きたいところばかりじゃ不公平だもの。それぞれ行きたい場所に行くことができれば、三人とも楽しめるでしょう?」


 友達と遊ぶときだって同じだ。それぞれが見たいもの、行きたい場所に行って、全員が楽しめるようにするのが一番いい。

 私は早速雫ちゃんに身を乗り出した。彼女はきゅっと目を丸くして私を見つめる。


「わ、わたしは、特に見たいものもないから……。二人に合わせるよ」

「だめよ雫ちゃん。あなたの好きな物を教えて? あなた一人が我慢する必要なんてないの。だって私達、友達でしょう!」


 雫ちゃんはおどおどと戸惑った様子で私と千紗ちゃんを交互に見る。私は目を輝かせて頷き、千紗ちゃんは何も言わずすまし顔で彼女を見つめていた。

 頼んだプリンが運ばれてくる。雫ちゃんは揺れる黄色いそれに目を落としながら、小さな声で言った。


「…………えっと、じゃあね」



 雫ちゃんに連れてこられた先は本屋さんだった。ずっと寄りたかったの、と彼女は今日一番のはしゃいだ声をあげる。

 店頭には映画化された話題の小説やビジネス書がずらりと並んでいる。けれど私と雫ちゃんはまっすぐ児童書コーナーへと進んで絵本を手に取った。


「お前らいくつだよ」

「十五歳よ!」

「えと、わたしは十六。十月になったら十七歳になるけど」

「真面目な回答ほしかったわけじゃねえんだよ」


 雫ちゃんは恥ずかしそうに絵本で口元を隠した。かわいい森の動物さんが描かれた表紙に素敵ねと言えば、雫ちゃんはまるで自分が褒められたかのような顔で微笑む。


「素敵だよね。この作者さん、絵も文章もとっても可愛くてね。どの絵本も大好きなんだ。今までの作品全部買っちゃった」

「はー、そんなに絵本好きなのかお前」

「私も絵本は大好きよ。よくママに読み聞かせをしてもらうの」

「小説も大好きだけど、絵本が一番好き」


 雫ちゃんは絵本をキラキラした目で見つめ、そっと胸に抱きしめて呟いた。


「わたし大人になったら、絵本作家さんになりたいんだぁ……」


 雫ちゃんとはじめて会ったとき、彼女が素敵なイラストを描いていたことを思い出す。もしかするとあれも絵本の練習だったのかしら。

 本に囲まれた雫ちゃんは本当に生き生きとしていた。絵本を手にとっては素晴らしいイラストとお話に頬を緩ませ、最新作の小説を見てどれを買おうか長時間悩み、お財布と相談して選んだ一冊を大事に胸に抱えていた。


「幸せ!」


 本屋さんから出たとき、雫ちゃんの頬は薔薇色に染まっていた。本に夢中になる姿がなんともいえず可愛くて、私は彼女を見つめて頬を綻ばせる。

 と、私と雫ちゃんは後ろから肩に腕を回された。振り返れば、謎めいた笑みを浮かべた千紗ちゃんが「次はあたしの番」とカラカラ喉を鳴らすように笑った。



 千紗ちゃんを先頭に私達は見知らぬ道を歩く。駅からどんどん離れるたび道は狭くなっていった。小道を抜け、路地を抜け、民家と民家の間の道を抜け。楽しむ私の横で、雫ちゃんは不安そうな顔をして歩いていた。

 ふと千紗ちゃんは狭い路地にある小さな扉の前で足を止めた。どこかのお家の裏口かしら、と思うような扉を、彼女はあっさりと開ける。

 中に入れば、壁には古い映画のポスターが貼られていた。小さな受付に座っていたおじさんから、千紗ちゃんは三人分のチケットを買う。どうやらここは映画館らしい。外見からはちっとも分からなかった。


「ここでしかやってないのがあんだよ」


 座席は十個ほどしかなかった。お客さんも私達しかいない、貸し切りだ。

 なんだかちょっとした広い部屋という感じで、映画館らしさはない。それでも照明が落ちて部屋が暗くなるとドキドキして、私は画面をまっすぐに見据えた。

 流れたのは、聞いたこともないアクション映画だった。街を破壊していく恐ろしい怪獣を少年少女達が倒す物語。

 エンドロールが終わって部屋に明かりが戻る。面白かっただろ、とこちらを見て笑う千紗ちゃんに、私と雫ちゃんは真っ赤な目からぼろぼろと涙を流して頷いた。


「この監督、全然知られてないけどマジで最高なんだ」

「千紗ちゃん、映画に詳しいのね!」


 まあね、と千紗ちゃんは私の言葉に鼻を鳴らした。

 ふと、その目が遠くを見つめるように切なく細められる。その横顔は、映画のワンシーンのように穏やかな色をしていた。

 彼女はまだ映画にとらわれているように、ぼんやりとした顔で呟く。


「あたしが映画研究部にいるのさ。部活を乗っ取るためだとか、薬物を誤魔化すためだとかなんとか言われてるらしいけどさ」

「…………本当はなにか、違う理由があるの?」

「合ってるけど」

「合ってるんだ……」

「防音効いてんじゃん。映画爆音で流しときゃ、大抵の音は誤魔化せるし。校舎からちょっと離れてるから色々バレにくいし」


 でも、と千紗ちゃんは眉間にぎゅっと力を入れて笑った。


「あたし映画好きなんだよ」


 金色の髪が彼女の肩をくすぐる。


「昔から好きだった、ずっと好きだった。……それは本当なんだぜ?」

「分かるよそれくらい」

「本当に?」

「映画好きな人じゃないと、こんな所見つけられないよ」


 雫ちゃんの言葉に私も大きく頷いた。こんな場所、見つけようったってそんな簡単に見つかる所じゃない。映画が好きな人が調べてようやく発見できる。そんな奥まった場所にあるミニシアターなのだから。

 千紗ちゃんはキョトンとした顔をしてから、そうか、と照れくさそうに笑った。




 私達はたくさん遊んだ。水着を買って、カフェでケーキを食べて、雑貨屋さんで小物を見た。お揃いの物を買ったりすることはなかった。皆バラバラなものを見て、バラバラなものを買った。けれどどれも夢のように楽しかった。

 気が付けばもう夕方だった。それでもなんとなく名残惜しくて、私達は広場のベンチに座ってお喋りをしていた。

 広場は色んな人がいる。スーツを着たサラリーマンや、買い物帰りのお母さん、お酒を飲んで騒いでいる男の人達。騒がしいけれど、私達の会話はそんな喧騒に負けないほど華やかだった。


「楽しかったわ。お友達とこんなに遊んだのは、はじめてよ」

「わたしもこんな風に遊ぶこと、あまりなかったよ。友達は皆お家で過ごすのが好きな子が多いから……」

「友達すくねえなぁお前ら」

「千紗ちゃんは? いっぱいいるの?」

「あー…………、彼氏とデートすることは多かったけど、最近はなくなってたしな……。あんま遊んではなかったかもしれねえ」

「うふふ」

「何笑ってんだよ」

「私、あなた達とお友達になれてよかった」


 千紗ちゃんと雫ちゃんは、ピタリと動きを止めて私を見つめた。

 魔法少女になんてならなかったら。私達は一生接点なんてなかった。こうして遊ぶことも話すこともお友達になることもなかった。

 今日一日を一緒に過ごして改めて思う。私は千紗ちゃんのことも雫ちゃんのことも、大好きだ。


「これからもよろしくね」


 魔法少女としても。友達としても。

 言外に含んだ言葉も、きっと彼女達には届いただろう。


「…………お友達とか言うけど、湊はどうなんだよ」


 千紗ちゃんは誤魔化すように話題を変えた。首を傾げれば、彼女はそんな私をからかうように笑う。


「あいつもお友達なのか?」

「ええ」

「へえ? てっきりあたしは、あいつとお前が付き合ってるんだと思ってたけど」


 私は目を丸くして笑った。湊先輩は大切なお友達だ。恋人というわけではない。


「湊先輩はお友達よ。そりゃかっこいい男の子だけど。優しくて、頼りになるし。デートもしたことあるけれど…………。あら? よく考えてみると素敵な人よね。ドキドキしてきちゃったわ」

「単純すぎる」

「うふふ。恋バナってやつかしら。私、恋バナにも憧れていたの!」

「何か違う気もするけど……。で、でも伊瀬くん、かっこいいよね……」


 私達は湊先輩のことで盛り上がった。彼は確かにかっこいい。

 魔法少女のサポートをしてくれる男の子。カメラが得意で、怪物が大好きな人。

 柔らかな黒い癖っ毛の下に隠れた、長いまつ毛に高い鼻。綺麗な顔立ちだけれど凛々しい眉毛や喉仏は男らしくて、繊細さと凛々しさが混ざった微笑みはとても魅力的だ。

 いつも困ったように笑って私のことを助けてくれる。危ない目に遭ったときは自分の身をかえりみず庇ってくれる。優しさばかりを目にしていればいざというときの勇ましい姿のギャップにドキリとする。素敵な人。


「何だかんだ文句言っても結局応えてくれるよな。超便利。たまに説教臭くなるのは勘弁だけどな。母親かっての」

「わたしみたいな子も面倒がらずに親切にしてくれるし……。すごく大人だよね。素敵な人だなぁ、伊瀬くん」

「そういえば、どうして雫ちゃんは先輩のことを伊瀬くんって呼んでるの?」


 唐突な質問に、雫ちゃんは面食らった。戸惑いに結んだ唇に指を当て、小首を傾げる。


「特に理由はないけれど……。強いて言うなら、名前で呼ぶの、ちょっと恥ずかしいから、かな」

「私達のことは名前で呼んでくれているのに?」

「あっ、嫌だった? ごめんなさい。えっと、姫乃さん、犬飼さん?」

「いやっ! だめよ、名前で呼んで! その方がお友達って感じで嬉しいわ」


 湊先輩もきっとそうよ。私の言葉に、雫ちゃんは困ったように頬を赤らめる。

 苗字で呼ばれるより、名前で呼ばれる方がより親しみを感じる。湊先輩もきっと伊瀬くんと呼ばれるよりも、湊くんと呼ばれる方が嬉しいんじゃないかしら。聞いたことはないけれど。

 男の子だから、と雫ちゃんは更に頬を紅潮させた。千紗ちゃんが愉快そうな笑みを浮かべて彼女に顔を近付ける。


「お前。あいつのこと好きなの?」

「好きなのっ?」

「す、好きっ!?」


 私もつられて彼女に問うた。雫ちゃんはパッと目を丸くして俯く。頬に垂れた横髪が彼女の表情を覆い隠してしまった。髪の毛に反射する光のきらめきは、仄かな青色を帯びている。


「す、好きとか、よく分からなくて! お友達だとは思ってる、けど……」

「でもかっこいいとも思ってるんだろ?」

「うん…………。危ないとき、守ってくれるから……」

「あー、これは秒読み。次に恋愛イベント発生したら完璧に落ちるパターン」


 男に不慣れな奴はすぐコロッといくんだ、と千紗ちゃんは私に笑った。今度から湊くんって呼んでみるといいわ、と私もアドバイスをした。

 お友達の話をするのは楽しい。恋バナをするのも楽しい。

 けれどそうしてキャッキャ声をあげて楽しんでいる私達の話に、ふと水を差す声がかけられた。


「お姉さん達楽しそうだねぇ」


 顔に影がかかって、上を見た。男の人が三人、私達の顔を見下ろして笑っている。

 その顔は夕焼けを浴びたように真っ赤だった。ふわりと香るアルコールのにおいに、鼻をきゅっと引くつかせる。

 広場で騒いでいた酔っ払いの人達だ。千紗ちゃんが眉をしかめ、刺々しい視線を寄越す。


「俺達も混ぜてよ。人数多い方が楽しいでしょ?」

「間に合ってるから」


 帰ろうぜ、と千紗ちゃんは私達の手を引いて立ち上がろうとした。けれど目の前に残る二人がまあまあと立ちはだかる。


「もう帰るとこ? じゃあ、家まで送ってあげるよ」

「あら、いいの?」

「あ、ありすちゃん。駄目だよっ」

「遠慮しないでさぁ。ほら、最近、何かと治安悪いでしょ。ここらへん。変なのも出るし」


 笑いながら一人が携帯の画面を見せてきた。友達とのメッセージトークに付けられた写真だ。魔法少女イエローが写っている。私はあっと声を上げ、隣の雫ちゃんはぎゅっと唇を噛んだ。


「友達がちょうどここにいたらしくてさ。レア写真。やばいっしょ」


 吹きすさぶ砂嵐。逃げ惑う人々。その隙間に見える、キラキラ輝く魔法少女の姿。

 疾走する彼女の姿は写真や動画ではほとんどブレてしまう。けれどレア写真というだけのことはあってか、その写真に写るイエローちゃんは比較的鮮明だった。煙に姿がほとんど隠れているものの、隙間から覗く鋭い眼光や、輝く黄金の髪が美しく輝いている。


「…………えっ?」


 けれど、横で同じく携帯を覗き込んでいた千紗ちゃんが呆けた声をあげた。目を擦り、何度も瞬かせ、じっと画面をのぞき込む。あれ、と何度か首を傾げ、不安げな顔をする。


「見間違えたのか……」

「どうしたの?」

「これさ、あたしだよな」

「とっても可愛くてかっこいい、魔法少女イエローちゃんよ」

「そうだよなぁ」


 彼女は私と雫ちゃんにしか聞こえないくらいの、か細く小さな声で言って笑った。心なしか、その声が微妙に震えている。彼女にしては珍しいなと、そう思った。

 心配してその肩を撫でようとしたそのとき。彼女は無理したような笑顔を浮かべた。


「一瞬でっかい犬みたいに見えてさ」


 雫ちゃんが息を飲んで千紗ちゃんを見つめた。私は首を傾げてもう一度画面を見つめる。

 魔法少女イエロー。その下にも写真が続いていた。空の雲を強烈な魔法の光が貫いている一枚だ。壊れた建物の小さな隙間から、ピンク色の魔法少女の姿がほんの少し覗いている。

 その顔は。その姿は。

 そこに映っているのは。


「…………魔法少女よ」

「だよな。疲れてんのかも。見間違いにも程があるな」

「可愛い魔法少女よ」

「何度見てもこの衣装フリッフリしてるよな。そもそも、どっから出てくんだ? スカートも悪かねえけど、やっぱズボンの方が動きやすいだろ。着替えらんねえのかな」

「他のものだなんて。そんなことあるわけないの。私達は、変身しているの。ずっと夢見ていた素敵な女の子に変身しているの」

「…………ありす?」

「私達は魔法少女なのっ!」


 私は叫んで、男の人の手を払いのけた。携帯が地面に叩きつけられてパンッと割れる。

 何するんだ、と彼が怒鳴った。けれどその声よりも、私の叫び声の方が遥かに強く空気を裂く。


「私達は悪い人達を倒して世界を平和にする、正義の戦士なの。魔法の力で変身できるのよ。とっても可愛いお洋服を着て、素敵な魔法の力も手に入れて、世界一強い女の子になれるんだから。皆を守ることができるんだから。私達は。わた、わたしは……諤ェ迚ゥになんかなっちゃいない。可愛い、んだから……。私は、私はっ……。鬲疲ウ募ー大・ウなんだから!」

「ありすちゃん!」


 雫ちゃんが私の肩を掴む。彼女の顔がぼやけてよく見えない。どうしてかしら、と私は目から零れる涙を袖で拭いながら考えた。

 頭が痛い。吐き気がする。ぼやけた視界がぐるぐると回っている。雫ちゃんが私を心配している姿と、その後ろで憤慨している男の人の姿が見えた。


「買ったばっかなんだぞ!」

「そっちが先に絡んできたのが悪いんだろ」


 千紗ちゃんが言い返す。鋭い彼女の声はザクザクと人を刺し、牽制する。けれど酔っぱらった相手にはそう上手くいくものでもないようだ。

 うるせえ、と怒声が響く。彼が思い切り拳を振り上げて千紗ちゃんの顔めがけて振り下ろそうとした。


「ゴッ」


 彼の拳が届くよりも千紗ちゃんの蹴りが脛を蹴る方が速い。体勢を崩した彼の胸倉を掴み、彼女は容赦なく顔面に膝を入れた。

 鼻血が飛ぶ。雫ちゃんが目の前で突如はじまった喧嘩に悲鳴をあげた。

 広場にいた人達の視線が私達に向けられている。逃げるように去っていく人や携帯を構える人はいれど、警察を呼びに行く様子の人は誰もいない。近くに交番はなかった。おまわりさんはしばらく来ないだろう。


 お友達が怪我をさせられれば怒るのが人ってものよ。当然、残りの二人も顔を真っ赤にして怒りだした。私達を睨み、千紗ちゃんに向かって拳を握る。酔っぱらった彼らはきっと理性がなくなってしまっているのだわ。


「女相手に恥ずかしい奴らだなぁ」

「うるせえよ!」


 大振りに振られた拳を千紗ちゃんはしゃがんで避ける。そのまま大きく一歩を踏み出して懐にもぐりこんだ千紗ちゃんは、勢いよく拳を相手のみぞおちに打ち込んだ。

 打たれた相手は目を丸くして、膨らませた頬からビシャリとゲロを吐き出す。お腹を押さえて蹲った彼は、ぼたぼた口から涎を垂らして唸り声をあげた。

 千紗ちゃんは素早く振り向いて、残る一人に飛びかかる。咄嗟に彼が前に突き出した足に片足を乗せ、ダンッと力任せに飛び上がる。彼の頭より高い位置まで飛んだ彼女に、私は思わず感嘆の声をあげた。

 千紗ちゃんの靴が彼の顔にめり込む。彼は後頭部を強かに地面に打ち付けた。痛そうな音がした。けれど追い打ちをかけるように、千紗ちゃんは何度もその顔を蹴りつけた。


「はははっ!」


 甲高い笑いが響く。千紗ちゃんの目はらんらんと輝いて、口角は引きつりそうなほどの笑みを描いている。

 血が飛ぶ。彼があげていた悲鳴が弱々しい呻き声に変わっていく。顔に血がじわじわと広がって赤く染まっていく。


「やめて千紗ちゃん!」


 震えていた雫ちゃんが意を決したように駆け出した。凄惨な光景に飛び込み、千紗ちゃんを後ろから抱きしめる。ぎらついた目で雫ちゃんを見た千紗ちゃんが、そこでようやくハッとしたように動きを止めた。

 彼女の目が、まるで今気が付いたかのように倒れる男の人達を見つめる。丸くなった目が、不安そうに揺れて雫ちゃんを見た。


「あっ!」


 私は咄嗟に叫んだ。二人が同時に振り返る。

 後ろから、鼻血を出した男の人が二人に襲いかかろうとしていた。

 雫ちゃんが咄嗟に千紗ちゃんを抱きしめる。彼女の顔面に拳が迫る。もう、間に合わない。


 けれど。直前で男の人が吹っ飛んだ。

 バキン、と。一拍遅れて骨が割れるような壮絶な音が聞こえた。


 吹っ飛んだ彼は、そのまま地面に顔を打ち付けて、声一つあげることはなかった。気絶したのだろう。

 私も千紗ちゃんと雫ちゃんも唖然として何も喋らない中。突然飛び込んで彼を殴ったその人は、真剣な顔を私達に向けた。

 汗で濡れた癖っ毛の髪。険しい眼差し。

 湊先輩だ。


「大丈夫!?」

「湊先輩!」

「立って。逃げるよ!」


 彼は私の手を引っ張ると、千紗ちゃん達に声をかけて走り出す。唖然としたまま走った私達は駅の改札口まで来るとようやく足を止めた。興奮した様子ではあはあ息を荒げている彼は、額の汗を拭って、一転ふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。


「騒がしいと思って見てみれば! 間に合ってよかった。怪我はない?」

「どうしてここに……」


 野暮用、と彼は肩を竦めた。ふと彼が片手に下げているショップバッグに気が付く。描かれているロゴは、さっき見かけた映画ショップのものだった。

 バッグを握るその手は、よく見れば骨の部分に血が滲んでいた。相当力を込めて殴ったらしい。いまだ少し震えている。

 彼は私の視線に気が付くとさり気なく怪我を隠し、「拳の振り方を教えてもらっていてよかった」と笑った。千紗ちゃんが少し気まずそうに唇を尖らせる。カフェで喧嘩をしそうになったときのことを思い出しているのだろう。


 安心すれば、忘れかけていた吐き気が戻ってくる。口を押さえて俯いた私を、湊先輩が心配そうにのぞき込んだ。


「顔が真っ青だ。大丈夫?」


 なんだかずっと頭が痛い。どうしてかしら、と考えようとすればするほど吐き気は酷くなる。

 改札を通っていく人の数が段々増えていく。まだ空は明るいけれど、夕日はほとんど沈んでいる。もう帰らないといけなかった。


「一人で帰れねえだろ。送ってもらえよ、湊に」

「えっ。僕?」

「お前ならおぶってやれんだろ。この中じゃ一番力持ちだし」


 それは流石に、と口をもごつかせていた彼はもう一度私を見下ろす。青ざめた顔で彼を見上げれば、困ったように眉を寄せていた彼は、小さく溜息を吐いて頷いた。

 電車に乗り込んで座席に座る。湊先輩の肩はあたたかい。寄りかかれば、心地よくて少し気分が楽になる。


「お家はどのあたり?」

「ええとね。まっすぐパーンと行って、蛇さんみたいな道をうねうねして、左にくるっとしたら踏切を渡って、星屑ロードを通った先にあるお城みたいな……」

「うん、ありがとう。近所にはどんなお店があるかな」

「クラウンっていう名前のケーキ屋さんがあるのよ。チョコレートケーキがとってもおいしいんだから」


 ガタンゴトンと電車が揺れる。私はうとうとと微睡む目を擦った。寝てていいよ、と湊先輩が優しい声で言った。

 ぼんやりとした夢と現の間で、私は今日の出来事を思い返す。色々あったけれど、とても楽しい一日だった。

 一緒に見た絵本や、映画のシーンが頭によみがえる。その中に魔法少女の姿で戦う私達の姿も見えた。思わず、口元に笑みを浮かべる。見せてもらった写真には魔法少女の姿が映っていた。そうよ。私達は、こんなに可愛い魔法少女に変身しているんだから……。


「そんなの、最初から全部嘘だよ」


 意識が眠りの世界に落ちるその寸前。頭の中で誰かが、そんなことを言ったような気がした。

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