第1章 魔法少女???????

第1話 魔法少女、縺ゅj縺ちゃん

 映画研究部のドアを開けると、女の子達がコカインを吸っていた。


 ヴゥーン……ウウゥ―――ン…………。と壊れた換気扇のような音がする。

 部屋に舞っている埃が青白い紫煙の香りとからみあって、いやに煙たかった。

 ソファーに金髪の女の子が座っている。

 彼女が私を見て、加えた煙草の先端からゆるりとした煙と、怪訝な言葉を吐き出した。


「なに、お前」

「この子ここの部員でしょ?」


 私は隣に立っていた子の手を離した。その子は部室に一歩入り、怯えた目を金髪の子に向けた。


 女子トイレで吐いている彼女を見つけたのはついさっきのことだった。

 校舎の隅にある部室棟。その女子トイレ。私は親友の『チョコ』を探して、手前の個室で溺れていたのを救い出したところだった。その隣の個室からえずく音がするものだから覗いてみたら、彼女が便器に頭を突っ込んで吐いているのを発見した。

 開けっ放しの扉の前に落ちていた『映画研究部』と書かれた鍵。この部室棟に映画研究部があったはずだと、この間渡された部活紹介パンフレットを思い出す。

 私は震える彼女の手を引いて映画研究部に向かった。そして、この光景を見たというわけだ。


 ソファーの正面の壁に下げられた大きなスクリーンに、去年話題になったヒーロー物のアクション映画が流れている。怪物を見上げるヒーローが最後の変身をしようとする最高のシーンだけれど、部屋にいる人は誰も映画を見てはいなかった。

 こちらにやって来た金髪の子が勢いよく扉を閉めた。鍵のかかる音は映画の音よりも大きい。

 金髪の子は、私の隣で震える子を殴った。彼女は悲鳴を上げ、腹を押さえて床に蹲る。


「部外者連れてくんなよ」

「ご、ごめ、んなさい」

「バレてるじゃん。見てみろよ。なあ。なんのために鍵かけて、映画流して誤魔化してると思ってんだ」


 低く淡々とした声で金髪の子は笑った。吐瀉物をからみつかせた謝罪の声が、繰り返し繰り返し続く。

 金髪の子が私をソファーへと座らせた。彼女も隣に座る。私はそこで初めて、ウーンウーンと聞こえていた音が、床に蹲っている女の子の呻き声だと知った。


「ウーン。ウーッ……。駄目です。早く聖なるお力でお救いされなければ地球が弾けてしまいます。宇宙人さんこんにちは、三十年ぶりですね。約束したれました。また遊んでくれますよ。人間を僅か極小の一握りへ選ばれたこれが聖母様へ捧げられたこの星の力でした。どこへ。人の肉はナンセンスです。砂糖とバラを煮詰めました。ガラスの目玉はおいしかった? あの娘を媒体にしてあなたは生まれ変わるのですね。あなたこそが選ばれし者でちゅ。捧げなければ。うお――――っ」


 キメすぎ、と金髪の子は舌打ちをして、床で叫んでいた女の子を蹴り飛ばす。

 コロコロと転がった体がテーブルに当たるのを見て、サッカーボールみたいねと私はチョコに呟いた。腕の中のチョコも私を見上げて、ニコニコと笑った。


「で、お前なに」

「私は姫乃ありす。十五歳の、高校一年生!」

「名前聞いてんじゃねえんだわ」

「この子は私の親友。チョコっていうの。よろしくね」

「話聞いてんのか。親友? このびちゃびちゃのぬいぐるみが?」


 彼女は私の腕からチョコを取り上げる。顔に近付けて、鼻をしかめてゲェ、と声を上げた。


「小便の臭いだ」

「チョコは泳ぐのが大好きで、お水を見かけるとすぐに飛び込んじゃうのよ。今日はそこのトイレで泳いでいたの」


 私はチョコを受け取って頭を撫でた。幼い頃ママが縫ってくれた可愛いぬいぐるみ。水に濡れて薄暗くなったピンク色の毛から、ポタポタと水滴が垂れてスカートに落ちる。

 鞄にぶら下げているチョコはたまにどこかへいなくなってしまう。今日も放課後、いつの間にかいなくなっていたチョコをずっと探していたのだ。ゴミ捨て場、プールの底、下駄箱の奥。いつも隠れている場所を探してもいなかったけれど、ついさっきようやく見つけることができた。

 金髪の子はゆっくりと瞬きをして、私から僅かに身を引いた。それから頭を振って、低い溜息を吐き出す。辛くて苦い煙の香りがした。


「お前分かってんだろ」

「何が?」

「あたし達がしてたこと」

「部活動でしょ?」

「本気で言ってるなら、あたしはお前を尊敬するよ」


 私はテーブルを見下ろした。見慣れた学校の備品だ。カッターで掘られた落書きが所々に見えるような、普通の長テーブル。

 上に置かれているものは何本ものDVD。紙皿に盛られたポテトチップスとクッキー、それから炭酸ジュース。吸殻が積もった灰皿。白い粉とカラフルな錠剤。


「もしかしてこれは、危ないお薬ってやつなのかしら?」


 おっそ、と高い声で金髪の子が笑った。その拍子に伸びた足が床で呻いている女の子の顔を蹴る。その子は一度大きな悲鳴を上げて、それから足を痙攣させて笑った。


「いけないわ。体に毒よ」


 テーブルに白く線を引いた粉がコカインであることを私は知っていた。三日前保健体育の授業で習ったばかりだったから。てっきり部活動の小道具か何かだと思っていた。でもどうやら違うらしい。

 長く伸びた煙草の灰が灰皿に落とされる。部屋の中は煙草の香りと消臭剤の香りと香水の香りが混じって、不思議な香りを生み出していた。


「落ち込んだときに飲めば、途端に元気になれる……。そう考えればこれだって健康な薬だろ。というかお前に関係なくない? 何も見なかったことにして、帰れよ」

「でも彼女達、なんだかとっても具合が悪そうだけど」


 私は床に転がる子と、入り口のところでしゃがみ込んでいる子を見て言った。二人とも顔色が悪いし、何やら小さな声で呟いている。震える唇から涎が伝って床に模様を作っていた。


「調子乗ってキメすぎただけだって。まだ慣れてないから分量を誤っちまったんだな。そのうち落ち着くでしょ、多分。きっと」

「そうなの? なら、大丈夫なのね」


 私はソファーに背を預けて映画を見ることにした。ヒーローが魔法の剣で怪物にトドメをさそうとしている。

 これも面白いけれど、もっと可愛い映画が見たいわ。とチョコに話しかけてから私はふと横を見た。金髪の子は奇妙な顔をしていた。


「あたしが言うのも変だけどさ……。お前さっきから、反応おかしくね?」


 鋭い視線が私を観察する。

 私には彼女の言葉がよく分からなかった。


「お前。本当にここに偶然来ただけなの? やっぱ最初から薬が目的で……」

「あっ。すごい。この映画も置いてあるのね!」


 私はひょいと腕を伸ばすと、テーブルに置かれていたDVDの山の中から一枚をとった。ピンク色の髪の女の子が魔法の力で怪物と戦う、可愛らしい絵柄のアニメ。

 ラストシーンが流れていたヒーロー映画を止めて、新しいDVDを突っ込む。画面いっぱいに流れる可愛い女の子に、私はキャアと歓声を上げて身を乗り出した。


「ほら見て。『魔法少女・ホワイトクリスタル』! この作品は本当に素敵なんだから。妖精さんもとても可愛いわ。変身したときの衣装がお姫様みたいで、綺麗だわ。子供の頃、教室の皆で魔法少女ごっことかしなかった? 皆自分が主人公になりたがって……」

「なあ話聞いてる? お前やっぱ変だって。実はお前も、薬やってるんだろ? ここで薬撒いてるって噂をどっかから聞いて来たんだろ?」

「でもいっつも私が主人公を奪ってた。ずるいって言われたけど仕方ないわよ。だって私、本物の魔法少女なんだから」

「は?」

「私の体の中には不思議な力が眠っていてね。妖精さんの魔法をかけられると、その力が目覚めるの。この星を守る選ばれし戦士。魔法少女として覚醒した私は地球を襲う悪い敵を倒さなくちゃいけないの」

「……………………」

「自分達の星のエネルギーが消滅しそうだから他の星のエネルギーを奪おう、って考える悪い人達は、この宇宙にたくさんいるのよ! 近くの星だけでも何億とあるんだから! パウワウ星のツニーチェム星人や醐阿見ヲ星のゐ■ゐ■星人とか……。私は魔法の力、エニオマXを使ってムノア・■■の陰謀を阻止するためにッスピ・■・ド■ーゥ■のマニ■■ーグ・エ、ェaェ■■■AAを倒して…………むぅ」


 突然口にクッキーが突っ込まれた。金髪の子の苦い指が、私の口からぬるりと引かれる。

 彼女の顔は少し青い。


「帰れよ」


 しめきったカーテンの隙間から零れる細い夕陽が、私のピンクの髪を鮮やかに照らした。

 壁にかかっている時計は、夕方から夜に移動しようとしている。

 金髪の子が指に挟んだ煙草は、ジリジリと灰を伸ばして、耐えきれずに折れた。

 折れた灰が彼女の太ももにかかったけれど、彼女は身動ぎ一つしなかった。白い肌にじとりと汗が滲んでいた。


 私は突っ込まれたクッキーをサクサク噛んで飲み込んだ。草の香りと、不思議な甘さが口に広がる。抹茶だろうか。

 おいしいわ、と思った。

 でもママの作るお菓子の方が、もっと甘くておいしいわ。とも思った。






 私、姫乃ありす。十五歳の高校一年生。

 とっても可愛い女の子。

 魔法少女になる予定の、女の子なのよ。

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