【落語台本】双半々(ふたつはんはん)

紀瀬川 沙

第一幕

一、甲州街道、高井戸宿、路傍の場


【春は三月、落花・菜の花・躑躅が江戸近郊の野を飾る時節に出来致しましたお話。ここは五街道の一つ、江戸と甲斐の国とを結ぶ甲州街道は、高井戸宿から内藤新宿へやや進んだところの路傍。高井戸宿を通過してまだ間もない飯塚半蔵・沼田半七、この二人の中年の旅人が、続く内藤新宿へと歩を進めてゆきます。彼らは甲斐の国にて材木屋を営む商売仲間でありまして、此度は先の仲間内の寄合で決まった視察兼勉強と、江戸の大店への挨拶回りのためにかれこれ幾度目かの江戸へのお上りであります。二人は中山道を辿り、下諏訪で甲州街道へと入り、長い道中を徒歩より進み今はもう内藤新宿を目前とするところまで到りました。長い道中の徒然をこれまではどうにかこうにか紛らわしておりましたが、いよいよ江戸を目と鼻の先にしたここに来て、とうとう無聊極まれりといった状態になりました。目的地の江戸を目前に控えてやはり心浮かれるかと思いきや、そこはもう幾度目かの旅、二人は退屈な旅路の中でとうに浮かれは通り越しておる模様でございます。二人は新たに、内藤新宿までの当面の無聊を慰める手立てを考案しようと致します】


半蔵〈ふうう、草臥れた。やっと江戸に着きますなぁ。長かった、長かった(ト溜め息混じりに言う)〉

半七〈ええ、こうして江戸へ来るのももう何度目になりますかなぁ。今ではすっかり数年に一度の決まった行事みたくなってしまって。だが、この道中の長さには、いつまでたっても中々慣れませんな〉

半蔵〈はは、いかにもおっしゃる通りです。それにしても退屈でたまりませんな。高井戸宿でもって、もう少し長く留まっておくべきだったですかな〉

半七〈いやいや、ここまで来たら内藤新宿はもう目と鼻の先。今日はそこで旅籠にでも入ろうではありませんか〉

半蔵〈そうですな。まぁ、あそこも、初めて江戸に来た時は内藤新宿の飯盛と言ったら楽しみでならなかったんですが、今では何か今ひとつ・・・〉

半七〈とはおっしゃっても、折角甲斐を離れて一路江戸へと参ったんですから、ねえ、そりゃあ、あれでしょう(ト互いに了解していることを笑みを浮かべて尋ねる)〉

半蔵〈ええ、まぁ、取り敢えずはねぇ、はは。腹も減ってきましたし、兎も角早く街へと入って、旅籠か飯屋でも探しましょう〉

半七〈わかりました。ところで、その道中のこの無聊は如何致しますかな〉

半蔵〈そうですなぁ・・・春三月、あたりは春彩りの風情が犇めくように、コレでもかと言わんばかりに広がっておりますが・・・これらももはや、何と言いますか飽きてしまいましたなぁ(ト贅沢な悩みを述べる)〉

半七〈ええ、もっともです。甲斐を出た時分はまだ当地の春の遅い気候もあって、ゆく道々に広がってゆく春の風情に心動かされましたが・・・今では〉

半蔵〈(道を譲るような素振りで)おっと、こりゃあ失礼。半七さん、今すれ違ったお人、あれは虚無僧でしたぞ。見てみなされ〉

半七〈ん、ああ、本当だ。深編み笠に袈裟の出で立ちは後ろ姿でも分かりますな。尊い尊い。これから甲州へとお出でになるんですかなぁ。惜しい、首にお掛けになっている餉箱に是非わたしらの寸志をと思いましたが・・・〉

半蔵〈もうちょっと遅いですね。一度拝んでおけば宜しいでしょう。我らが故郷にも、お運びになりますように、と(ト軽く礼拝する)〉

半七〈是非是非(ト同じく軽く礼拝する)

   そう言えば、半蔵さんに「半七さん」などと呼ばれるのは久方振りではありませんか。懐かしいですな〉

半蔵〈えっ、そうですかね。わたしはいつも呼んでいるように思いますが〉

半七〈いやいや、最近は長旅における日々の退屈も相待って、互いに呼び掛けも簡素になる一方で、只声掛け程度になっておりましたからな。本当に久々ですよ〉

半蔵〈そうでしたか。まぁ長年同じ郷で共に同じ生業をしておって、道中も一緒と来ては、呼び方などもはやどうでも好くなるものなのでしょう。いや勿論悪い意味合いではなくて、俗に言う以心伝心と言う好もしい意味合いで〉

半七〈いやまったく。「半蔵」と「半七」。そうだ、字を同じくすると申せば、前回江戸に来た時に中村座で観た《双蝶々曲輪日記》を覚えておりますか〉

半蔵〈ええ、覚えておりますよ。懐かしいですなぁ。双蝶々は「濡髪長五郎」と「放駒長吉」ですか。これに倣って我々ならば《双半々》・・・はは、どうも音ではシックリ来ませぬな〉

半七〈ははは、本当ですな。あっ、そうだ、半さん、字がどうのこうので今急に思い付いたんですが、この内藤新宿まであと少しの道のりの無聊を慰める方法として、戯れに一つ言葉の遊びなど如何ですかな〉

半蔵〈はあ、言葉の遊びですか。わたくしらは二人とも、文字を解するのは勿論のこと、郷では一廉の書読み人として名が通っておりますからな。それは相応しく、面白そうですな。して、その言葉の遊びとやらは如何に(ト食い付く)〉

半七〈それは他でもない、わたくしら二人の名に共通の「半」に纏わるもので。これから歩む道々で、言葉の末尾が「ハン」で終わるものを互いに挙げてゆくという遊びです。ああ、これは何も我々の名の「半」の字ばかりに限ったことではありません。漢字が異なっておっても、音が同じならば好いのです〉

半蔵〈成る程、「ハン」の音ですか〉

半七〈ええ、しかしそれだけでは頭の中で際限なく出て来ますでしょうから、ゆく道中で実際に出くわす人や物、事から思い出される言葉に限りましょう。実物を指しても宜しいし、その人や事物から巧くつなげていっても宜しいです〉

半蔵〈ふむふむ、いい考えですね。ですが、言葉の末尾が「ハン」だと、それこそ無数にありますぞ。そこで、如何かな、わたしの勝手な改良を許して頂けるのなら、末尾が「パン」で終わる言葉としては。これなら数にも限りが出て、探し出したり思い付くのも一苦労、より面白くなるのでは〉

半七〈さすが半蔵さん。それが好いですね。いや、そこまでは思い至りませんでしたよ〉

半蔵〈いやぁ、それほどでも〉

半七〈では決まりとしては、内藤新宿のどこかに落ち着くまでに、出す言葉に詰まった方が負け、つまり最後に「パン」の付く言葉を挙げていた方が勝ちということで〉

半蔵〈ええ、わかりました、やりましょう。あっ、そうだ、余り大きい声では言えませぬが、これはここ二人の間だけのことですし、どうせ勝負をするんですから・・・何か賭けることにしませんか〉

半七〈あ、好いですね。よりいっそう面白くなること請け合いですよ。で、何を〉

半蔵〈うぅん、そうだ、内藤新宿に到ってからの旅籠代、飯代、果ては女郎の花代まで、今日一日ばかりはいずれか負けた方の路銀から払うというのはどうですかな〉

半七〈おお、これは俄然負けられなくなりますなぁ。ええ、宜しいですよ〉

半蔵〈まぁ単なる退屈凌ぎの遊びですから、お金は余り厳密にしなくとも、いざとなればわたしも路銀を削りますから〉

半七〈はは、半蔵さん、やる前から勝ったような口振りで〉

半蔵〈はは、失礼、失礼。では始めましょうか。さて、今〝般〟のこの旅路ですが、毎度の事ながら退屈でしたなぁ(ト早くも一つ目を繰り出す)〉

半七〈おお、早速ですか。そうですなぁ、わたくしらはここ十年余り、甲州街道を頻〝繁〟に往来しとりますからな(ト切り返す)〉

半蔵〈(素早い切り返しにやや驚いて)さすが半七さん、こりゃ中々難しい。まぁまだまだ道は続きますから、ゆっくりと行きましょう〉

半七〈ええ。互いに頭をせわしなく動かして参りましょう。そうすれば時の経つのも早いはず〉

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