【落語台本】どぢやう

紀瀬川 沙

導入

【噺の本題に入る前に、その前置きと申しますか、前口上と申しますか、マクラ代わりに一つ。題名にある「どぢやう」は「どじょう」を歴史的仮名遣いで表したものでありまして、漢字に直すと「鰌」、あるいは「泥鰌」でございます。他に、「どぜう」といった表記も見られますが、これは、現在も浅草に店を構えますどじょう料理の店『駒形どぜう』が縁起を担いで始めました表記だそうでございます。

 この「どぢやう」というのは、江戸時代には、厳しい夏を乗り切る滋養強壮のために、江戸の庶民が好んで求めた食材でございました。今でこそ、食卓におきましては鰻の方が親しまれておりますが、当時の鰻は、偽装はおろか、唐土のものも出回ってはおりませんで、庶民にとっては相当の高級品でございました。そこで彼らは、代わりと言っては何ですが、「どぢやう」を食していたようでございます。

 どじょう料理には「どぢやう汁」「どぢやう鍋」「柳川鍋」などがありまして、特に「柳川鍋」は天保年間に考案されたと伝えられ、なかなかの贅沢料理。その材料はと申しますと、「どぢやう」「笹掻きに切ったゴボウ」「味醂」「醤油」そして欠かせない物が、綴じる「玉子」でございます。「味醂」は江戸時代には、まだまだ一般的には広まっていなかったようで、今回は「酒」と「砂糖」をいい加減に混ぜ、「割下」に見立てて用いることと致しましょう。 

 サテ、ここは、江戸時代は天保年間まで下りまして、埋め立てから二百余年を経て、今やすっかりお江戸の下町といった風情を備えました深川でございます。時は暑中の朝、早くも夏の暑さ極まるというような、うだるように暑い午前でございます。どこかの戸では、口うるさい小言と熱心な念仏とがごちゃ混ぜに聞こえて参ります。まぁ、これではとある既存の落語になってしまいますから、軌道修正。そこに一人の、棒手振りのどぢやう売りが、長屋が軒を並べる辻角を、よく通る声色の口上と共にぶらりぶらりと流してゆきます】

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