第10話(2/2)
「…………え?」
思わず俺は固まる。
姫宮の言っている意味が分からなかった。
え? 嘘? 一体何が嘘だと言うんだ?
「全部、後輩部として活動をするための口実なんです。あの人達に興味なんてありません」
「……はい?」
姫宮は顔を上げ、戸惑いで揺らぐ俺の両目を捉えると、極めて真剣な顔で言った。
「ヒナが興味あったのは、近付きたかったのは、ずっとただ一人……。センパイだけです」
「どう、いう……。え、ちょ、待て。つまりそれって……」
「はい。ヒナもセンパイのこと好きですよ。それもセンパイよりずっと前から」
その言葉に、俺は喜びよりも困惑が勝った。
「ずっと前……?」
「全く。本当に何も覚えてないんですね」
「わ、悪い……」
「まぁもういいんですけど」
姫宮はくすりと笑うと、窓の外を向いて呟いた。
「去年のクリスマス」
「……え?」
「センパイは何してました?」
俺は記憶を辿る。
「……確か、近くの中学校の生徒会と合同でクリスマス会をしたな」
町内の児童に人形劇を披露したり、プレゼントを用意したクイズ大会を企画して、大いに盛り上がったイベントだった。
「ヒナが前に話したこと、覚えていますか? ヒナ、中学時代に生徒会入ってたって」
そういえば初めて姫宮と一緒に帰った時、そんなことを言っていた気がする。
「え、まさか……」
「はい、そのまさかです。あの時はお世話になりました」
にへへ、と姫宮は顔を綻ばす。
なんということだ……。俺は姫宮と初めて会ったのは、後輩部に勧誘されたあの時だと思っていたが、それ以前に俺達は出会っていた。クリスマス会で、ということはその準備段階の十月頃に。
「この部屋に初めて入ったのもその時です。というか、鍵の隠し場所も『内緒だぞー』って言って教えてくれたんですよ?」
「マジか……」
もちろんこの生徒会室で中学の生徒会役員達と活動した記憶はあるが、そこに姫宮がいたことはさっぱりだった。
「まぁ担当の違いでセンパイと直接話したことはそんなになかったですからね。それにヒナ、当時は髪も染めてなければ化粧もしてなかったですし、生徒会もやらされて入ったような引っ込み思案だったので、今とは全然雰囲気違いますから。覚えてなかったのも無理はないです。……まぁ、名前は特徴的なんでそこは覚えてくれてるかなって思ったんですけど。どうやらセンパイは神楽坂先輩以外、眼中になかったみたいです」
「うっ……」
実際その通りだ。あの頃はすっかり先輩の虜で、先輩と一緒に仕事出来るのが楽しくて、先輩に認めてもらおうと躍起になっていた。
「……けど、そんなところもかっこよかった」
「へ?」
「誰かのために……その誰かが見てないところでも必死に尽くし支えるその姿が」
「…………けどそれ、先輩への下心なんだぞ」
「ふふっ。そうですね。当時は知らなかったのもありますけど、動機なんて些末なことです。努力することは等しく尊いことだとヒナは思います」
そう答える姫宮の目は真っ直ぐだった。
「それできっとセンパイなら、生徒のためになる良い生徒会長になるだろうなぁとか思って、それなら神楽坂会長にとってのセンパイのように、ヒナがセンパイの隣にいれたらなぁとか思って……。そんなことを考えてたら、いつの間にか好きになっちゃってました」
恥ずかしそうにそう笑う姫宮は、たまらなく可愛かった。
「まぁ決定打は、クリスマス会の後に自販機でココア奢ってくれた時なんですけど」
「ココア……? ……あ、それなら覚えてるかも」
「え、ホントですか!?」
「あぁ、たぶん……」
確かクリスマス会が終わってその片付けが一段落してジュースでも飲もうとした時、ちょうど自販機の前で女の子と鉢合わせて、達成感からテンション上がってて奢ってあげたんだっけ。そうか、あれは姫宮だったのか。
「良かったです覚えててくれて……。あれはヒナにとって、すごく大切な思い出なので」
そう言ってはにかむ姫宮の顔を見ていると、もっと色んなことを覚えていればよかったという後悔が湧いてくる。
「とまぁそんなわけで、センパイの後輩になりたくて志望校をここに変えて必死で勉強して、センパイに振り向いてもらえるように化粧とか服とかも勉強して、もっと明るく振る舞えるように頑張って……。
けどいざ入学してみたらセンパイ、生徒会にいないじゃないですか。そんな中広報誌を読んだら、会長に振られたとかで。生徒会にいないのと、やっぱりあの人のこと好きだったんだーってことでちょっとショック受けましたけど、逆にこれはチャンスかもって思って。
それで、センパイに近付く手段を色々考えて……」
「……それが後輩部ってわけか」
「はい。もちろん理想的な後輩になりたいってのも本当ですけど、それを口実にアプローチ出来そうだって」
「アプローチって……」
「センパイに触れたり、センパイに勉強教えてもらったり……。練習と言ってましたけど、ヒナにとって全部本番だったんです」
「マジかよ……」
わざとらしくて演技下手だと思っていたが、それも全て計算ずくだったわけか。そして俺はまんまと引っ掛かけったというわけだ。
「なんでそんな回りくどいことを」
「そんなの、恥ずかしいからに決まってるじゃないですか。素であんなあざといこと出来ませんよ」
「あざといって自覚あったんだな」
「そりゃあそうですよ。練習装ってもセンパイに触れる時はいつだって心臓ばっくばくなのに。抹茶オレ貰った時とか、椅子から落ちて抱きかかえてもらった時とか、正直死ぬかと思いました」
「……ポーカーフェイス上手すぎだろ」
「えへへ♪」
姫宮は嬉しさ半分恥ずかしさ半分といった表情で笑った。
「ってか、なんで知り合いだって言わなかったんだよ」
俺は疑問に思っていたことを訊ねる。
「うーん……忘れられてる方が都合が良いかなって。ほら、当時のヒナを知られてるのに可愛い子ぶるのも寒いですし。……まぁ、すっかり忘れられてるのに拗ねたのが一番ですけど」
「それは、すまん……」
「ふふっ。忘れられてたのは大した影響じゃなかったですけど、結衣ちゃんが入部してきたのとか、センパイが張り切って先輩達と知り合わせられたのは影響大きかったですね。あれで結構計画が狂いました」
思えば姫宮は恋愛面の理想的な後輩に対して、一度も自分から具体的な行動を起こそうとしていなかったことに気付く。
「結衣ちゃんは今となれば親友なので嬉しい誤算ですけど、先輩達は色々困りましたね……」
姫宮は苦笑いをする。
「実はセンパイの手前出会うところまではしましたけど、ほとんどそれっきりでLINEも交換してないんですよ」
「え。でもお前、その後も交流あるみたいなこと言ってたじゃん。ほら、花火大会も一緒に行くって」
「そっちは順調ってことにしておかないと、また当たり屋することになるかもしれないし、深く突っ込まれて実は何もしてないことがバレちゃうと思ったんで。あとは何かとセンパイを誘うための理由作りのためですね。夏祭りはまさにそれです。普通に誘う勇気も理由もなかったので、予行練習だってことにして……。だから実は花火大会の日は家でゴロゴロしてました」
「……マジか」
なんだかさっきから、マジか、しか言ってない気がした。
「ただ吉澤先輩だけは断り切れなくて止む無く交換して、そしたらすっごいぐいぐい来て……。告白も断ったんですけど、それでもまだ連絡してきて、しかもヒナのクラスメートも使って……」
「もしかしてここ最近悩んでたのって……」
「はい。付き合う決心がつかないどころか、どうやったら上手く関係を断てるかって考えてたんです。……けど、それももうセンパイが解決してくれました」
幸せそうにそう言う姫宮の顔は、柔らかな西日に照らされていた。
「……以上がヒナの秘密です」
「…………」
「何か言ってくださいよもう」
「あ、や、いや……」
俺は頭の中で姫宮の話を整理する。
姫宮とは一年前に出会っていて、俺のためにこの高校に進学して後輩部を作って、俺に好かれるために画策して、吉澤達のことも全部フェイクで、そして姫宮はずっと俺のことが好きで……。
驚きと嬉しさが入り混じって、言葉が出てこなかった。
「……せーんぱい?」
上目遣いで覗き込むようにこちらを見る姫宮。幾度となく見てきたあざとい構図だったが、全て俺のための所作だと知った今では、すっかり印象が変わっていた。
「…………お前」
「はい?」
「……本当に可愛いな」
つい漏れ出た心の声を聞いた姫宮は一度目を丸くすると、頬を掻き照れくさそうに、それでいて誇らしげに答える。
「だって頑張りましたから」
「なんだよそれ。……可愛すぎかよ」
「えへへ♪」
「……ふふっ」
多幸感から、放課後の生徒会室にくすくすと二人分の笑い声が響いた。
「ふぅ……。それじゃあ改めて」
ひとしきり笑うと俺は一つ息を吐いて、姫宮の目を見る。長い睫毛で縁取られた大きな瞳がそこにはあった。
「ん?」
首を傾げる姫宮。今ではそんな小さな動きも愛おしかった。
「姫宮、好きだ。俺と付き合ってくれ」
「……意外とそういうとこちゃんとするんですね。ふふっ」
「おい笑うな」
「いやぁ、センパイもなかなか乙女ですね」
「……やっぱ今の取り消しで」
「嘘です嘘です! 喜んでお受けします! はいもう今から恋人ー」
姫宮は一体何のポーズか、大きく両手を上げる。
「まったく……」
……可愛いなぁ。
「さてさて。これでヒナの目標は一つ叶ったわけですが、まだ一つ残っているわけです。何か覚えていますよね?
「……あぁ、当然」
後輩部の活動の初日、俺が姫宮に掲げさせた目標。それを聞いた当時、どうしてそんな奇妙なものにしたのか不思議だった。しかし今となってはそれも分かる。それは姫宮がこの学校に来た理由でもあるからだ。
「センパイなら、叶えてくれますよね?」
俺の裾を掴んで、上目遣いで訊ねてきた。その動作に、わずかな拒否権も排除される。
「……しょうがないな」
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