第84話 巨人
──
それが突如僕達の前に現れた怪物の名前だった。
身の丈はどんな木よりも高く、その巨体で僕等の視界を覆いつくした。
「そんなっ……! なんで! なんでこんな怪物がここにいるんだ!?」
キュクロプスは僕でも知っている、御伽噺の中の怪物だ。そんな怪物が目の前に四体もいる。
恐らく、この怪物達に帝国の兵団はやられたのだ。それならば潰されていたのも分かる。
「うそっ、なんでだよ! このままじゃ僕達もやられちゃうっ!」
「ハクト、慌てないで。大丈夫、ちゃんと戦えば、勝てる」
僕の横に立ちながらクラリスがいつも通りに言う。
「でもクラリス! 相手はキュクロプスだよ!? 御伽噺に出てくるような怪物だよ!? こんな奴等に勝てる訳なんて──」
「お前は自分を信じてくれている人の言葉が聞こえないのか?」
冷静な声でアレクが僕の言葉を遮る。
「クラリスが勝てると言ったんだ。ならば勝てる。自分を信じてくれている人の事を、もっと信じるんだ」
そう言うアレクは、既に腰から剣を抜き放ち、キュクロプスの動きに注意を注いでいる。
横にいるクラリスも、僕の肩に手を置きいつもの目で僕を見つめていた。
……そうか。そうだね。僕には仲間がいる。こんなに心強い仲間がいるじゃないか。
御伽噺に出てくる怪物だって、きっと負けない。いや、勝てる!
腰の鞘から岩斬をそっと抜き、その切っ先をキュクロプスに向ける。
「やってやるぞ! かかってこい!!」
◆◆◆◆◆
キュクロプスは、その見た目に反して鋭い動きをしていた。
人間と巨人じゃその身長差で普通に戦うには無理がある。
キュクロプスは主に踏み潰しで、僕達は主に足を目掛けての攻撃となった。
だが、この足が存外に速い。
いざ切り込もうと踏み出してみれば、既にそこに足はなく、次の瞬間には頭上から隕石の如く踏み潰しを仕掛けてくる。
斬る、払う、避けるを繰り返し、お互い致命の一撃を与えられぬまま時間だけが過ぎていった。
しかし、相手は四体いる。こちらの手数よりも多い足の数が僕等を踏み潰そうと必死に襲って来る。
今の所全てかわしているが、気を抜いたら最後、きっとぺちゃんこに潰されてしまうだろう。
こちらはいくら攻撃してもかすり傷程度しか与えられないのに、相手の一撃は喰らったら終わりだ。
なんとも割に合わない戦いに、身体よりも心が先に疲れてしまいそうだった。
「クラリス、これ、なんとかならないのかな!? このままじゃいつか僕等は潰されちゃうよ!」
「おや、ハクト。もう音を上げるのかい。まだ君は本気で戦っていないだろう? もう、戦えないかい?」
こんな時にクラリスが何故か僕を煽ってくる。そんな場合じゃないだろう!
ニヤニヤこちらを見てくるクラリスに少しだけイライラしながらキュクロプスに再び向き合う。
キュクロプスは足では捕らえ切れないと思ったのか、腰を大きく曲げてその二本の巨腕で僕等を捕まえに来ていた。
アレクはその腕をひらりと軽くかわし、そのまま腕に上って顔を目掛けて走りこんで行った。
それは一瞬の出来事だった。
キュクロプスの腕を駆けあがり、その大きな目に肉薄したアレクが、渾身の突きを放ったのだ。
まさに致命の一撃と言えるその突きは、キュクロプスの眼球を破裂させ、頭蓋を突き破り、その後頭部から脳漿を撒き散らせた。
「グオォォォ……」
アレクの突きを喰らったキュクロプスは、腹の底が震えるような悲鳴を上げ、ゆっくりとその巨体を地面に沈めていった。
キュクロプスが地面に沈み切る前、スタッと軽やかに飛び降りてきたアレクは、返り血で血塗れにはなっていたが息も乱れておらず、まるで当たり前の様な顔をして僕達の前に戻ってきた。
「さあ、ハクト。お前だって出来る。やってみろ」
まるで誰にでも出来る簡単な運動かの様にアレクは僕に言って来る。
アレクにとっては簡単かも知れない。だけど、はたから見ていても分かる。あれはアレクだからこそ出来る攻撃だ。
軽やかな身のこなし、不安定な場所でもぶれる事のない強靭な体幹、そしてキュクロプスの頭を一撃で粉砕する程の強烈な踏み込みと突き。
そのどれ一つをとっても簡単な事はない。だけどアレクはその全てを朝飯前の様にやってのけたのだ。
──僕にも出来るだろうか。……いや、出来る。やってやる!
仲間のキュクロプスがやられて動揺したのだろうか。残りのキュクロプスはその場でおどおどしている様に見える。
それでも、刀を構えて向かってくる僕を見つけると、先ほどよりも速く、強く僕に向かって腕を伸ばしてきた。
真っすぐに向かってくる腕を良くみて、タイミングよく跳ぶ。
キュクロプスの腕に無事上れたら、今度は顔に向かって走るだけだ。
だが、キュクロプス達もやられっぱなしではいない。
僕が腕を駆けあがり始めると、周りにいるキュクロプス達が僕に向かってその腕を伸ばしてきた。
右から左から四本の腕が唸りを上げて僕に襲い掛かる。
多分、ここで止まったらもう戦えない。
頭よりも体が先に反応して、周りの腕を避けながら僕は顔を目掛けて駆け始めた。
キュクロプスの腕は、まるで大蛇の様だった。
盛り上がった筋肉がうねうねと動き、足元を安定させない。ひとたび腕を曲げれば、僕の体はそのまま宙に放り投げられそうだった。
青い腕を遂に肩口まで駆け上がる。
アレクは、自身の一番得意な突きでキュクロプスを仕留めた。じゃあ僕は何だ。
……僕は、僕には抜刀術がある!
足を止める事なく、腰の鞘に刀身を納める。そのまま一段低い姿勢で、踏み込む力を強くして駆け続ける。
キュクロプスの巨大な眼が目前に迫る。
一歩。後一歩。
よし。僕の間合いだ。
走り続けて高鳴った鼓動は、いつの間にか水面の様に静かになっていた。
岩斬の柄に静かに手をかけ、最後の一歩を強く、強く踏み込む。
刹那、キュクロプスの大きな目と視線が交差した気がする。
最後の瞬間、こいつは何を感じたのだろうか。
その答えを得る事はなく、僕は無心で刀を抜き、そして振り切った。
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